「ぼくのすむまち」―子どもたちの視点を大事にした現代日本が舞台のフリーRPG


 2006年に「ツクールモバイル」(後述)で連載されていた携帯用RPG「ぼくのすむまち」が、パソコン用フリーソフトに移植されて公開された。作者は「MoonWhistle」シリーズで独自路線を貫く神無月サスケ氏である。
(ただし、パソコン版への移植は、自身もオリジナルゲームを発表しているブラックウルフ氏による)

作品名:ぼくのすむまち
ジャンル:RPG
種別:フリーソフト
必要ソフト:RPGツクールVXRTP(http://www.famitsu.com/freegame/rtp/vx_rtp.html)
入手先:
→第1話(http://www.vector.co.jp/soft/winnt/game/se446346.html
→第2話(http://www.vector.co.jp/soft/winnt/game/se448483.html


 現在、第2話まで公開されている。いずれもクリア時間は1、2時間、クリアに必要なレベルは10程度の短編RPGだ。オーソドックスな作りだが、システムやバランスともに工夫されていて、ストレスなくプレイできる。

↑もちろん、絵日記から飛び出したかのような敵キャラと、数々の魅力ある特殊技によるバトルの楽しさは健在


 今作では、作者の別作品でおなじみのマックスとエイドスが登場する。だから、今作は「MoonWhistle」シリーズに連なるといえるだろう。ただし、今作の主人公は「何もしゃべらない」ドラクエ形式の主人公ではない。
 もともと、携帯アプリとしてリリースされた作品である。そのため、データや機能に制限がある状況で制作されている。「第1話 いじめを吹き飛ばせ!」をプレイしたときは、ややストーリーが急いでいる気がした。目を見はる展開もあったが、「MoonWhistle」シリーズのエッセンスを手早くまとめた印象が強かった。
 しかし、「第2話 友達を作ろう!」をプレイすると、かつて「Another Moon Whistle」や「MoonWhistle」をプレイしたときの気持ちがよみがえってきた。それは、この作者の作品でなければ味わえない実感である。
 ある人は、それを「ノスタルジア」という。その人は、またこうも言うだろう。「今作は賛否両論の作品である」と。では、なにが「賛」でなにが「否」なのか?



 「MoonWhistle」シリーズは、現代日本を舞台にしている。しかし、子どもしか知らない秘密基地、排水溝の奥にひそむ冒険、というモチーフは、もう過去のものになってしまったかもしれない。かつて、町には、子どもたちだけの遊び場があったものだ。
 「MoonWhistle」シリーズは、町を歩くのが楽しいRPGである。川の小石をぴょんぴょん跳ねた先には、家出した少年が住んでいたりする。野原では幻の珍獣を発見して大金持ちになることを夢見ている子もいる。子どもの目線から見た町並みが見事に再現されているRPGなのだ。
(ただし、本作「ぼくのすむまち」はデータ量に制限がある携帯アプリ用RPGであるため、そうした遊びの要素は少ない)
 しかし、少年時代の美しさだけが「MoonWhislte」シリーズの特徴ではない。「いじめ」や「不登校」といった、RPGにはふさわしくない題材が含まれている。その視点は常に「いじめられる」側に立っており、その現状を打破できない無力感や、自殺以外に解決方法が見出せないという絶望感が、如実に描かれている。
 それは、ノスタルジアに浸りたい人には受け入れがたいものだろう。美しい記憶だけを取捨選択すればいいじゃないかと思うだろう。だって、作り物の世界なんだから。
 しかし、ノスタルジーあふれる町並みを再現できる感性の持ち主だからこそ、作者は少年時代の孤立の悲惨さを忘れることができなかったのだ。
 ここからは、僕の推論にすぎないが、作者はRPGで新たな町を作ることにより「奪われた少年時代を取り戻そう」としているのではないだろうか。「Another MoonWhitle」では「推論空間」というRPGにふさわしくないイベントがあったが、それは「ふみにじられた過去に公正なチャンスを与えたい」という作者の悲痛な願いがこめられていると考える。
 もちろん、TVをご覧になればわかるとおり、本当に大事なことなんて、場の雰囲気にそぐわなければ、相手にされないのが人間社会である。オチのある話は、事実よりも強い。RPGという架空世界で、作者が必死に積み上げた(と僕が推測する)「やり直したい過去」を冷笑的に見ることはそれほど難しいことではない。
 しかし、覚えておいてほしいのは、子ども時代に受けた傷は、決してぬぐうことができないということだ。大人の辛さに比べれば、子どもの苦しみなんて、相対的に見れば、たいしたことではないかもしれない。だが、子どもの小さな体と心では、それを受け流すことも修復することもできないのだ。そして、その傷を抱えたまま、少年は成長する。イビツな形のまま、傷を負った少年は大きくなる。
 「Another MoonWhistle」は、バランスやシステムで様々な工夫が凝らされている良作RPGでもある。そのため、作者のメッセージ性を余計なものだと思っているかもしれない。ただ、あなたが読み飛ばしているその会話に、確かな痛みがこめられていることを忘れないでほしいのだ。
 それにしても、RPGとは、作り手と受け手が「親密」な時間を過ごせる稀有なメディアであると思う。例えば、BGM。RPGの音楽に特別な思い入れを持っている人は多いだろう。RPGの魅力は、自分のペースで進めることができることである。町の人の話なんて、すべて聞く必要がないのに、ついつい話しかけてしまう。次の冒険を進めるほどの時間が取れないときは、かつてのダンジョンに入って、残された宝を探索することができる。このように自分に合わせたプレイをしていると、音楽やセリフが自然と頭に入っていくものだ。文章や漫画よりもずっと。
 RPGを演劇装置としてとらえ、強制イベントを多用する作品は多いが、その作者はRPG固有の「親密さ」を損なっていることは自覚するべきだろう。自由に歩き回ることができるだけで、プレイヤーは喜びを感じるものだから。


 さて、ようやく「ぼくのすむまち」第2話の紹介に入る。

 「第2話 友達を作ろう!」の主人公は人見知りする女子中学生。
 家を出たものの、友達のいない学校には行く気がしない。しかし、町は彼女にとって危険に満ちている。「学校は?」と問いかけるおせっかいな人、「いいことして遊ぼうよ」と話しかけてくる変質者。思わず、近くの教会に助けを求める主人公。だが、自分の話すことを誰も信じてくれない。まるで、彼女が幻を見ていたかのような扱いである。
 家にも帰りたくなければ、学校にも行きたくない。一人になりたくて、彼女は廃墟に足を伸ばす。
 当然、プレイヤはそんな彼女の心境を汲みとり、誰にも話しかけずに進めるべきである。

↑左下のおばさんたちに声をかけるなんて言語道断


↑SHOPも自販機で一安心 


↑看板に向かってひとりごと

 こうして「ひとりきり」になれるはずの廃墟に入った彼女だが、残念ながら先客がいた。不登校の少年が居場所にしていたからである。そこから先の展開は実際にプレイしてのお楽しみ。


 第2話までプレイしたかぎりでは、「ぼくのすむまち」の魅力はエイドスというキャラクターである。「Another Moon Whistle」では理論派であり、僕は迷うことなくマックスの味方についたのだが、今作のエイドスは非常に愛すべきキャラだ。
 彼は孤独な人たちの願いをかなえるべく、魔族としての力を発揮する。それはほとんどの場合、不幸な結果を招いてしまう。主人公たちは、そんなエイドスの「悪気がなかった」事件の解決をするわけだが、結果的に、自分と同じような悩みを持つ人たちが出会うことになる。
 第2話の結末は、あまりにも楽天的すぎると考えられる人もいるかもしれないが、僕は「戦うべき相手」をきちんと選んだ良いシナリオであると思った。
 受けた痛みは復讐によってしか癒すことはできないのかもしれない。しかし、仲間を作ることで、慰めることはできるはずだ。


 第2話終了時に、ナビゲート役のマックスの言葉がある。これこそ、作者の本心であっただろう。

 第2話までプレイして、「ぼくのすむまち」は現代日本のおとぎ話として、魅力的な作品だと感じた。


 残念ながら「ツクールモバイル」という企画は一年足らずで終了したため(後述)、それにともない公開が終了していた本作は、協力者を得て、もう一度よみがえった。この作者は本気で「少年A」や「ネオ麦茶」に向かってゲームを作っている。ついつい、伝える言葉が重すぎて、読んでいて頭が痛くなることもある。まるで、自分ひとりで世界に挑むかのようなその論調は、滑稽であるし、悲劇的ですらある。
 だが、本当の苦しみを知っている人、自分の「正しさ」が世界によってふみにじられた記憶を忘れていない人からすれば、作者がなぜこのようなRPGを作り続けている理由がわかるはずだ。
 ほとんどの人が耳を傾けてくれないであろう物語を、RPGという形式を通じて、とても親密に語ってくれることが、この作者の最大の魅力であると僕は思う。


 さて、続く「ぼくのすむまち」第3話は、問題作として知られる。「ツクールモバイル」掲載時に、内容を変更せざるをえなかった部分があるという。果たして、パソコン移植版は、未発表のオリジナルバージョンとなるのか興味は尽きない。
 しかし、第3話を期待するのならば、パソコン移植版を制作しているブラックウルフ氏への感謝を忘れてはならないだろう。僕はまだブラックウルフ氏の作品を未プレイである。「続編期待!」という言葉は、ブラックウルフ氏の作品の感想に変えさせていただきたい。

【作者サイト】


【関連記事】


【「ツクールモバイル」について】
(以下、冒頭部分に掲載する予定だったテキスト)
 2006年4月「RPGツクール for mobile」というフリーソフトが公開された。これは、携帯アプリのRPGを、Windowsで作成できるソフトである。
 PC版と違い、機能は最小限に抑えられ、データ容量にも制限があった。しかし、だからこそ、対等な立場で、みずからの独自性を表現できると考えたクリエイターは多かった。
 ファーレン・シリーズで有名なアルファナッツなど、著名なRPGツクール作家の作品が『ツクールモバイル@RPG』にて公開された。コンテストでは、活動停止中の「SELECTION」の作者が金賞を取るというサプライズもあった。まるで競作のように、クリエイターたちは「RPGツクール for mobile」の可能性を追求し、それを形にした。
 しかし、2007年5月、「ツクールモバイル」はサービスを終了。それにともない「RPGツクール for mobile」の配布も終了した。
 この理由については、アルファナッツと同じく、連載作品「ぼくのすむまち」を「ツクールモバイル」で公開していた神無月サスケ氏(「MoonWhistle」シリーズ作者)の以下の記事がくわしい。

 僕なりにまとめると「RPGツクール for mobile」には以下の欠点があったと思われる。

  1. 対応機種が限られている
  2. ユーザ間の配布ができない
  3. 携帯ユーザとPCユーザの層の違い
  4. 携帯アプリとRPGの相性

 僕自身も、ツクールモバイル」の作品をプレイしていない。知人の携帯を使おうとしたが、諸般の事情により、断念した。
 こうして、数多くの魅力ある作者が競い合った「RPGツクール for mobile」の作品の多くは、現在、プレイできない状態である。まことにもったいないと思う。
 ところが(以下、冒頭部分に戻る)