ロバート・キャパ「ちょっとピンぼけ」―身ひとつで戦場をわたりあるいた写真家 (評価:A)

ちょっとピンぼけ

ちょっとピンぼけ

おすすめ度:★★★★☆

フォトジャーナリストとして有名なロバート・キャパの代表作が、左の「斃れゆく民兵」である。1936年のスペイン内乱のときに撮影された。

この写真を見て「キャパってすごいな」と思う人は少数だろう。僕も少年時代は、フォトジャーナリストという職業自体が理解できなかった。兵士が殺されるのを、ただカメラに撮ることが仕事なんて許されるのか。どうして、カメラを捨てて、助けなかったのか。戦場に赴くカメラマンに、そんな正義感を抱く人は多いと思う。

キャパは異邦人だった。ハンガリー生まれのユダヤ人。英語もフランス語もうまくない。第二次世界大戦中、彼はその国籍と人種と言語により、冷たい仕打ちを受けることもあった。それでも、彼は戦場の現場写真を報道し続けた。

この「ちょっとピンぼけ」という女流作家のようなタイトルは、ノルマンディー上陸作戦の写真のただし書きに拠る。鮮明ではないその現場写真は「キャパの手の震えによるピンぼけ」と説明されたのだ。事実、彼は作戦中に気を失い、「失神、氏名不詳」という札をつけられて、イギリスに連れ戻された。そのおかげで、彼の写真はもっとも早く上陸作戦を伝えるスクープ写真になったのだが。

本書はキャパによる第二次世界大戦回想録である。生前のキャパと親友だった人が訳に加わっているおかげで、よどみのない優れた訳書である。「ピンキィ」という女性とのラブストーリーをまじえながら、第二次世界大戦をふりかえるというキャパの手法に、反感を抱く人も多いだろう。だが、この本はキャパなりの「戦争と平和」であると思う。ノンフィクションとはとらえたくない。キャパという男の生き様自体が一つの作品であると僕には思えるからだ。

なぜ、アメリカ人でもイギリス人でもないキャパが、戦場の最前線の写真を撮り続けることができたのか。その理由が本書にはある。兵士にとってキャパはありがたい存在ではなかった。「どんな気持ちで撮ってたんだよ!」と怒鳴られたことは何度もある。一方で、キャパの交遊範囲は広かった。ジョン・スタインベックや、アーネスト・ヘミングウェイ(ともにノーベル文学賞作家)との交流もあった。

ナポリ占領、ノルマンディ上陸作戦の描写は、異邦人のキャパならではの説得力がある。また、ヘミングウェイの戦場での様子を語ったシーンは、文学愛好者にはとても興味深い内容といえるだろう。



第二次世界大戦中、キャパは軍部にVIP待遇されながら、カメラを撮っていたのではない。ハンガリー国籍である彼は、連合軍からすれば「敵国民」であり、書類上は従軍できない立場であった。それでも、彼がスクープ写真を撮ることができたのは、次のような生き方にある。

「彼は家族を友人として扱い、友人を家族と決めこんでいた」

戦場において、彼の快活さは大きな助けになっただろう。給料は酒と賭博ですぐに消える。ポーカーでいつも負けるが、たまに勝っても、すぐさま女のプレゼントに費やす。雑誌社からの帰還命令から逃れるために、訓練したことのないパラシュートを背負い、降下作戦に参加したこともある。兵士たちが嘔吐する中でも、キャパは動じないそぶりを見せなかったが、それは二日酔いのせいである。

あるときは、軍事機密の「爆撃標準器」がたまたま映ってしまった理由で、軍事裁判にかけられる。やっとのことで解放された彼は、力強くこう叫ぶ。「絶対禁止! 酒、賭博、爆撃標準器、女!!」

もちろん、そんな武勇伝みたいな話ではない。彼が映した写真の多くは「物陰にうずくまっている兵士」「前進する戦車」「気の狂った波のような難民の群れ」などなど。「私はカリフォルニアの日光の中を、白い靴と白いズボンをはいて歩きたいのだ」と言い聞かせないと、神経を病んでしまうような戦場だった。

本書のハイライトである「ノルマンディ上陸作戦」の描写は鬼気迫るものがある。写真を撮っている彼を、臆病風に吹かれた兵士と誤解した水夫長が、尻を蹴る。武器を持っていないキャパに、なぜか寄り添うように兵士がついてくる。そして、でたらめに発砲したあと前進する。キャパは新しいフィルムに代えようとするが、ふるえている手ではうまくいかない。そして、医療班を乗せた装甲艇が見えたとき、キャパは一心不乱で死体をかきわけ、船に乗りこむ。戦場に引き返せ、と言い聞かせるものの、体は動かず、ついには気を失う。残虐な表現が何ひとつないにも関わらず、その尋常ではない情景が伝わってくる。

作戦が成功し、パリへの進軍に再び加わったキャパに、ヘミングウェイから誘いがかかる。あくまでも従軍記者に過ぎないのに、多くの取り巻きを連れて、もはや「遊撃隊」を結成しているかのようなヘミングウェイ。自分は武器を持たないのに隊長のように振舞う彼だが、ドイツ軍の炸裂した砲丸に投げだされて、溝の中に落ちこんでしまう。命に別状はなかったが、脱出後、ヘミングウェイがカンカンになって「作家の戦死直後の写真でも撮るつもりだったのか」とキャパに怒鳴る。何だか、そのときのヘミングウェイの顔が目に浮かぶようで楽しい場面である。

ユダヤ人の彼であるが、強制収容所には目も向けなかった。彼の写真には、残酷さを強調したものはない。彼が求めていたのは、極限状態に追いつめられても失われない人間の尊厳なのかもしれない。彼は名もなき兵士たちを英雄のように映しつづけた。


斃れゆく民兵
(再掲)


彼の出世作の1937年の「斃れゆく民兵」を最初に見たとき、親友の一人は表情を曇らせたという。すると、キャパは言った。「君たちはこの民兵が、敵弾に倒れる時、どんな歌をどなっていたか想像できるかい?」。そして、キャパは歌声とともにその情景を語った。「おまえの死は、決して犬死ではない」。そんなキャパのメッセージが、この写真から伝わらないだろうか。

金づかいが荒いが、人間関係は大事にした。ハンガリー生まれのユダヤ人である彼にとって、信用すべきものは自分自身しかなかったのかもしれない。本書でも、かなり行き当たりばったりに、キャパが戦場に向かい、いつの間にやら従軍する様子が語られている。身ひとつで戦場をかけまわるキャパの姿は、ジャーナリストという職業に偏見を持っていた人でも興味をひかれるに違いない。

第二次世界大戦後、キャパはマグナム・フォトという写真家団体を設立した。その代表者であった彼は、第一次インドシナ戦争への取材を、自ら志願して向かったのではない。ちょうど日本に滞在していたため、ベトナムを近く感じたのかもしれなかった。キャパは「ライフ」誌の依頼を受け入れて、戦場におもむき、そこで死をむかえた。

本書の、勇んで従軍するヘミングウェイを描写する文面には「おれは戦争が好きで、ここに来てるんじゃない」というキャパの主張が感じられる。取り巻きを引き連れて息まくヘミングウェイと、たった一人で戦場をかけずりまわったキャパ。ノルマンディ上陸作戦で失神してイギリスに戻らされたエピソードを隠すことなく書いた彼の文面には、戦争を賛美する箇所はどこにもない。彼は世界の望む通りに、戦場におもむき、そして、戦争を物語る多くの写真を残して死んだ。

この本を読むとき、僕はカメラマンの真髄が知りたかった。優れた写真を撮るためには、どのような美意識を持たなければならないのか。この本を読んで答えがわかった。カメラは自分の見た光景を映すことしかできない。ならば、普段から写真を映すべく、世界を見続ければいい。キャパ自身の筆による本書は、写真とは「人生の視点にすぎない」ことを僕に教えてくれた。