登戸ブルース(6) ―横浜中華街の国慶節

 

 昨日、横浜の中華街に先輩と行ったわけですが、ちょうど10月1日は中華人民共和国建国記念日&60周年記念ということで、鐘が鳴り響くわ、爆竹が炸裂するわ、獅子が踊り狂うわ、たいへん騒々しかったのであります。
(中国では獅子舞を、舞獅と言うみたいです。世界的には、日本よりも中国のほうが有名)
 
 いい写真が撮れませんでしたが、右のような赤シャツ連中が、中華街のいたるところに出没し、店先で爆竹を鳴らしまくっていました。老若男女関係なしに。
 
 僕は日本の祭りの中で、かなりパンクロックな阿波踊りの発祥の地である徳島県出身です。夏になると毎年、チャンチャン・ジャカジャカうるさい土地で育ってきたわけです。そんな僕でも、この国慶節の騒ぎ方には閉口しました。
 
 阿波踊りは、鐘と太鼓の打楽器が中心ですが、笛の音色だってあります。よさこい、と呼ばれる唄だってついています。踊りの形式が固まったのは、明治以降の近代なのですが、いちおう、様式美ってものがあるんです。
 それに比べると、中華街の国慶節の祝いなんて、メロディが皆無です。打楽器鳴らしまくって、爆竹炸裂させて、獅子が踊り狂うだけで、芸がないと日本人の僕には感じちゃうわけです。
 爆音が鳴り響き、白煙がたちのぼり、さも、銃撃戦のさなかの戦場である気配すら漂います。そのためか、日本人観光客の姿は、あまり見かけませんでした。国慶節を避けているのでしょう。
 横浜中華街には、5000人の中国人が住んでいるといわれています。そう、ここは中国文化圏なのであって、日本式はお断りなのです。いくら、爆竹を鳴らしても、中華街ならば許されるのです。
 
 この国慶節で、あらためて中国でも毛沢東が崇拝されているみたいですね。
 毛沢東といえば、大躍進政策といい、文化大革命といい、数千万の犠牲者を出したといわれる愚策を進めたことで、統治者としては最悪の政治家でしょう。
 しかし、遊撃戦略家としては、毛沢東に匹敵する軍人は思い浮かびません。トロツキーゲバラも、毛沢東の戦略には及ばないでしょう。
 そんな彼の遊撃戦略は、わずか16文字にまとめられています。
 
「敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追」
(敵が進めば退き、敵が駐(と)まれば攪乱(かくらん)し、敵が疲れれば攻撃し、敵が退けば追って、遊撃戦で勝利を得よう)
 
 毛沢東と、その盟友で軍事指揮をとった朱徳は、中国共産党の主力を担っていたわけではありませんでした。
 だから、彼らの軍の兵士のほとんどは、貧農や炭坑夫であり、文字を知らない者ばかりでした。
 そんな彼らに遊撃戦を叩きこませるために、このような基本原則が教えられたのです。
 
 共産党軍は、国民党軍よりも民主的でした。
 一兵卒でも意見を出すことが許され、生まれや育ちで差別されませんでした。
 毛沢東はそんな彼らに、様々な歴史を教えながら、自分たちが新しい歴史の中にいることを教え続けてきたわけです。
 だから、中国共産党の革命戦争は、「三国志」や「水滸伝」に並ぶ歴史物語となったのです。
 
 しかし、国家主席となった毛沢東は、その高すぎる名声ゆえに、しばしば自分の理想体制を、雑多な中国に押しつけようとしました。
 本質的には土地革命であった中華人民共和国の理念のために、彼は人間の生活を無視した政策を続けました。それが、大躍進政策であり、文化大革命でした。政治家としての、毛沢東の力量の限界が、その政策からはうかがえます。
 そんな甚大な被害にも関わらず、今でも毛沢東批判は、中国で好まれません。それは、詩人や思想家としてだけではなく、遊撃戦略家として諸葛孔明を上回るほどの成功を手にしたからです。
 
 横浜・中華街でも、なぜか商売の神様として、三国志に出てくる関羽が祀られているのですが、そのような伝説的人物に肩を並べるのは毛沢東であって、周恩来ではないわけです。
 
 さて、この国慶節の中華街で、中国人らしい観光客を見かけました。
 僕は先輩に言いました。
「せっかく日本に来たのに、中華街に来るなんて意味ないっすよね」
 先輩はこう答えました。
「いや、日本の国力が見えてくるんじゃないか? 自分の同胞が日本でどんな生活をしているか見ることは」
 
 貧富の格差をなくそうとした貧農出身の希代の戦略家、毛沢東は、戦争に勝利し、政治で失敗しました。
 それでも、横浜の中華街でも、彼による中華人民共和国の建国を祝い、爆竹が鳴らされ、僕のような日本人は顔をしかめるのです。
 
 こうして、目的地に向かって足を速めた僕たちの前に、チベット僧が通りかかりました。僕は思わず笑いそうになりました。国慶節で騒いでいる中華街とチベット僧。それは、バトルが起こってもおかしくないのではないでしょうか。
 浮かれている中国人は、チベット僧にこう言わせるかもしれません。
「ともに国慶節を祝おうじゃないか!」「中国は一つ!」
 
 爆竹・獅子舞グループは、横浜・中華街でも複数あるように、中国は地域ごとにまったく異なる文化となっています。
 そんな中国を一つだと思わせるためには、中国共産党による、表現規制と独裁は必要悪なのでしょうか。
 
 中華街を歩きながら、中国の革命と今後に思いをはせてみた僕でした。