TASの美学、世界最速記録、ミクランカー

 
 
 TAS、という言葉をご存じだろうか?
 ニコニコ動画では、TASという単語をめぐり、日々、見るに堪えないコメントの応酬がくりひろげられている。
 NGワードとして、表示させない方が適切な言葉、それが「TAS」である。
 では、TASとはいったいなんであるか? たとえば、下の動画がTASである。
 

 
 
 世界でもっとも売れたゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ1」のスピードクリア動画である。
 無駄のないジャンプ。敵に当たっていないのかと目を疑いたくなるようなアクションの数々。
 スーパーマリオ1をプレイしたことある人は「なるほど、これがワールドクラスか」と感心されるかもしれない。
 
 しかし、これは「TAS」動画である。TASとは「tool-assisted speedrun」の略。つまり、ツールを使って、スピードクリアを目指した動画なのである。
 
 エミュレーターを使うことにより、通常では不可能なことができる。
 

  1. どこでもセーブ
  2. ゲームスピードの調整

 
 上記の動画はこの機能を利用して、ゲームスピードを落としたり、何度もやり直しをして、作られた動画である。
 
 あなたは思うだろう。「なんだ、インチキなのか」と。「チートじゃないか」という人もいるだろう。「やり直しができるのだったら、自分にもできる。感動して損した」と。
 
 だが、TASはチートではない。チートとは本体の内容を変えることである。つまり、同じソフトを持っている人に再現不可能なことをしているのがチート。TASは何度もやり直しをしているとはいえ、やろうと思えば誰でもできるテクニックしか用いていない。
 
 このTASとチートの違いを人々に理解してもらうことは難しいものである。「どちらにしろ、インチキではないか」と彼らは言う。なぜ、wikipediaをウィキと略するのかいけないか。JavaScriptJavaと略してはダメなのか。クラッカーとハッカーの違いとは。そのような問題を指摘する人に対して彼らは言う。「似たようなもんじゃないか」
 
 では、TAS動画は誰でも作れるのか?
 
 「スーパーマリオ1」に関していうならば、ライブ映像のようなプレイもある。
 

 
 まるで、高橋名人VS毛利名人のような、マリオ対決を見ることができる。二人とも、6分以内でクリアしている。しかも、結果は引き分け。ほぼ同時に二人はクリアした。二人の実力が伯仲していたためか? いや、わざと同時にクリアしたのである。実は、互いに相手の進行を見ながらプレイしていたのである。たくさんの観客が見ているという、一度もミスも許されない状況で。
 
 そういうプレイヤーがごろごろしているのが「スーパーマリオ1」である。その世界最速記録ともなれば「時間さえあれば、俺でもできる」と思わせてはダメなのだ。ジャンプの飛距離や敵の動きを全て把握したうえで、最速ルートを見つけ、それを実践しなければならない。TAS動画は、クリアするのが当たり前の猛者が、コンマ一秒でも速い動画を追求するべく、数千回もやり直して、ようやく完成された芸術作品なのである。
 
 なお、最初に紹介した動画は、世界最速ではない。
 

 
 こちらの動画のほうが、もっと速い。しかし、壁抜けやツタワープなどで、バグ技を利用している。
 
スーパーマリオシリーズのバグの数々(英語)
 
 世界最速記録を指す場合、このバグ技を含めるかどうかが問題となるが、「本体の内容を改変していない」ということで、基本的には認められている。
 
 そのため、世に多く出回る「世界最速クリア動画」のほとんどは、バグを積極的に利用しているものばかりである。
 もし、あなたが昔クリアできなかったゲームの内容を知るために「世界最速クリア」のムービーを見たら愕然とするだろう。それは「そういや、ここでつまったんだよな〜」と追憶させる余裕すら与えてくれないからだ。
 
 では、あなたがまったくプレイしていないゲームの世界最速クリア動画を見たら、どう思うだろうか?
 
 試しに「ゲーム史上最弱の主人公」と呼ばれている「スペランカー」の「世界最速クリア動画」をご覧いただきたい。
 

 
NES スペランカー/ Spelunker in 05:03
YouTube →ニコニコ動画
 
 僕はスペランカーをクリアした男なので、このTAS動画のすさまじさがわかる。最速記録を目指すための様々なテクニックの数々。バグの有効活用。復活位置の把握。すべての動きに無駄がない。「発想」だけでも感心できる動画なのである。
 
 ところが、スペランカーをプレイしたことがない人、すぐにゲームオーバーになるゲーム性にたえられなくなった人からすれば、このすごさはあまり伝わらないのではないかと思う。それどころか、史上最弱と称される理由もわからないのではないか。
 
 なぜなら、できることとできないことがわからない人にとって、時間をどのように切り詰めたかがわからないからだ。上のスペランカー最速動画に関していえば、おそらく全てを解説するのには一時間をこえることになるだろう。
 
 実はTAS動画とは「美しい」ものであって「面白い」ものではない。着眼点と発想とその軌跡を楽しむ、マニア向けのムービーなのだ。
 
 だが「世界最速」という言葉は魅力的である。何しろ、視聴に束縛される時間が短い。だから、美しくはあっても面白くない世界最速動画にアクセスが集中してしまうわけだ。時間の長さは誰でもわかる。一秒でも速く終わる動画を見たいのが人間の心理である。
 
 世界最速には娯楽性というものが存在しない。では、娯楽性の高い動画とはどういうものか? 時間というはっきりとした単位がない「面白さ」を計る基準とはなんなのか?
 
 ゲームのクリア動画に関していえば、ニコニコ動画の場合「自作マリオを友人にプレイさせた」シリーズが多くのアクセスを集めた。友人が作者の巧妙な罠に次々と引っかかる映像は、多くの人々の笑いを集めた。いっぽうの世界最速のTAS動画には「これはTAS。つまり、インチキ」というコメントがいつまでも書きこまれている。
 
 僕自身は、TAS動画のストイックな合理精神もなかなか好きなのだが、ニコニコ動画のようなコメントで一体感を得ることができるメディアの場合は「プレイヤーの迷いの部分」がないと、人々の共感を得ることはできないのだなあ、と思う。これは何もゲームプレイ映像だけの話ではない。これはそのまま、文章の書き方や話し方に通じる。
 
 さて、ゲームプレイ動画で、最近、話題となっているのが「ミクランカー」。これは先ほど紹介した「スペランカー」を、初音ミクを主人公に改造したムービーである。
 初音ミクとは、歌う音楽ソフトに人格を与えた名前のこと。この「ミクランカー」では、BGMだけでなく効果音もすべてミクの声となっている。
 

 
・【初音ミク】ミクがスペランカー略して「ミクランカー」
YouTube →ニコニコ動画
 
 
 この「ミクランカー」のすばらしい点は、作者が「スペランカー」の良い魅力も悪い魅力も知りつくした上で作られていることである。「スペランカー」を何たるか知らない人にも、初音ミクの歌う「ミクランカー」の楽しさはわかるに違いない。
 
 この「初音ミクによるファミコンゲーム再現」は、ひそかなニコニコ動画のブームになっている。そこには、理論値をTASにより再現したという、数学にも似た美しさを秘めた「世界最速動画」とは異なる方向性がある。こういう「ミクランカー」のような質の高いパロディというのは、日本人特有の職人芸みたいなものだと思う。エンターテイメントについて日々考える立場である僕にとって、この「ミクランカー」を作るのに捧げられた労力は大いに参考にしたいと思っている。
 
 
【追記】
スーパーマリオブラザーズの世界最速記録が、約3年ぶりに更新されたようです。
(ちなみに、追記回数は4459回)
http://tasvideos.org/1796S.html
【ニコニコ動画】スーパーマリオブラザーズ 4:58:53 TAS