ピンク・フロイドの日本語タイトルから「日本の洋楽」を批判する

 

 
【目次】
(1) 「原子心母」名付け親の功績?
(2) 日本でもっとも有名なピンク・フロイドの曲 
(3) ピンク・フロイドは最強の素材曲バンドだ!
(4) 「原子心母」という日本語題は名訳か?
(5) 「狂気」という訳は直接的すぎやしないか?
(6) 「炎〜あなたがここにいてほしい」という珍題の真相
(7) 「鬱」「対(TSUI)」そして「永遠(TOWA)」(呆れ)
 
 

(1) 「原子心母」名付け親の功績?

 

 
 2016年12月31日、石坂敬一が亡くなった。
 そのニュースで「ビートルズの担当」と紹介されていたから、「えっ?」と驚いた人がいるかもしれない。
 
石坂敬一さんが死去 ビートルズ、矢沢など手がけた音楽プロデューサー - Yahoo! ニュース
 
 なんてことはない、日本でビートルズを売る担当になっていただけの人である。
 
 洋楽はさておき、石坂敬一の日本音楽業界への功績は大きい。
 特に、氷室京介長渕剛は、石坂敬一を慕っていて、彼が会社を代えるたびに、自分のレコード会社を移籍したぐらいだ。
 そんな石坂敬一訃報のニュース記事で紹介されていたのは、次の功績。
 

 

ピンク・フロイドのアルバム「Atom Heart Mother」に「原子心母」と邦題を付ける斬新なアイデアで、「日本の洋楽」を定着させた。

 
 この記事を見て、多くの人は思うだろう。
 「Atom Heart Mother」を直訳しただけだろ?
 どこが斬新なアイディアなのだ?
 
 なお、このタイトルはメンバーが適当につけた名前である。
wikipedia:原子心母
 
 石坂敬一の努力のおかげで、売れ線ではないピンク・フロイドの認知度が日本で高まったのは事実であろう。
 しかし、その後、ピンク・フロイドは「Dark Side Of The Moon」という大ヒットアルバムを出す。
 このアルバムは売れに売れ、世界で五千万枚以上売れた。
 ビートルズのどのアルバムよりも売れているのである。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」の次か次の次ぐらいに売れたとされている。正確な統計は不明)
 
 だから、日本でも新たなピンク・フロイドのファンが出てきたのだが、「石坂チルドレン」とも言うべき「先人たち」が立ちはだかった。
 彼らは石坂敬一が作った言葉をバカの一つ覚えのように繰り返した。
 

ピンク・フロイドプログレッシヴ・ロックの道なり!」
http://www.musicman-net.com/sp/relay/82-5.html

 

↑アルバム「原子心母」の帯にも誇らしげに記されている。
 
 何度も言うが、ピンク・フロイドの世界的ヒットに、石坂敬一はまるで関係ない。
 世界中の人々に親しまれる音楽性がピンク・フロイドにはあっただけのこと。
 ところが、日本ではピンク・フロイドに「石坂敬一フィルター」という謎の色眼鏡がついてしまった。
 これがピンク・フロイドの日本語タイトルに、如実に示されているのだ。
 
 今回の記事は、ピンク・フロイドの日本語タイトルから「日本の洋楽」を批判する内容である。
 

(2) 日本でもっとも有名なピンク・フロイドの曲

 
 誰もが聴いたことのあるピンク・フロイドの曲といえば「One Of These Days」。
 

One Of These Days - YouTube
↑イントロはフェイドインなので20秒ぐらい飛ばしたほうがいいかも
 
 悪役レスラーの登場曲として知られる(ほぼ)インスト曲である。
 この曲の日本語タイトルは『吹けよ風、呼べよ嵐』。
 

 
wikipedia:吹けよ風、呼べよ嵐
 
 イメージが想起されて良い邦題だ、と思われる人が多いかもしれない。
 わかりやすい日本語タイトルのせいか、この曲は日本では盛んに流されている。
 しかし、これはピンク・フロイドが意図したタイトルではない。
 意訳である。
 勝手に日本のピンク・フロイド担当者が、余計なイメージをふくらませる題名をつけただけにすぎない。
 

 
 さて、この曲が収録されたアルバムを「Meddle」という。
 耳たぶと波紋のデザインが「グロい」失敗ジャケットである(意図はわかるが)
 この「Meddle」、たんに「メダル」と呼べばいいのに、日本では何をトチ狂ったか、意訳されて「おせっかい」というタイトルになった。
 
wikipedia:おせっかい_(アルバム)
 
 Wikipediaでは題名について、こう解説されている。
 

アルバム・タイトル「Meddle」は、「medal」([medl]メダル:何かを達成したときに得られるもの)と同音語「meddle」([medl]:干渉・邪魔するもの)の「語呂合わせ」を意図したもの。

 
 だから、『おせっかい』というクソ邦題は捨てて、「メダル」でいいのに、それを許さないのが「石坂敬一チルドレン」
 こうして、日本では「おせっかい」という意味不明なタイトルで、このアルバムは売られているのだ。
 この記事を書いている今も!
 

おせっかい

おせっかい

 

(3) ピンク・フロイドは最強の素材曲バンドだ!

 
 (ほぼ)インスト曲である「One of these days」(邦題:吹けよ風、呼べよ嵐)が日本でもっとも知られているように、ピンク・フロイドは作業用BGMに適した素材曲バンドである。
 「プログレうんぬん」というくくりにとらわれて、聴くようなバンドではない。
 
 例えば、未発表だが足音をモチーフにしたこの「The Hard Way」
 
https://m.youtube.com/watch?v=bMPRfqQJJ_0
YouTube
 
 実に優れた素材曲ではないだろうか。
 
 また、初期ライブの定番だった「Careful With That Axe, Eugene/ユージン、斧に気をつけろ」(これは良い邦題)
 
https://m.youtube.com/watch?v=O8OE4gedQuc
Careful With That Axe, Eugene [Live] - YouTube
 
 この9分近くのライブ・バージョン。
 ボーカルは、ロジャー・ウォーターズ(ベース)の叫び声のみである。
 タイトルが示すように、ホラー映画のBGMとして楽しむべき作品。
 「来るぞ来るぞ……キャー!」という、それだけの曲だ。
 こんな曲をライブで演奏して喝采を受けていたのが、ピンク・フロイドというバンドなのである。
 
 「プログレ」というラベルを貼って、姿勢を正して聴くよりも、作業用BGMとして聴いたほうが、ずっとピンク・フロイドの良さがわかるだろう。
 

(4) 「原子心母」という日本語題は名訳か?

 
 さて、石坂敬一の最大の功績といわれる『原子心母』という邦題は、はたして名訳かどうか。
 実際に曲を聴いて確かめてみよう。
 

Atom Heart Mother Suite - YouTube
 
 20分を超えるこの曲にも歌詞はない。
 途中でコーラスが何かを言っているが、特に意味はない。
 
 クラシック要素を加えているために、なんだか「重厚な」印象を持つかもしれないが、中身はいたってポップな内容。
 もともと、デヴィッド・ギルモア(ギター)が作ったモチーフを重ねてるうちに、大作となってしまった曲だ。

 しかし、聴いていて飽きない。
 15:27までの流れは絶品である。
 15:27〜19:11の不協和音から始まるサウンドコラージュが耳になじまない人がいるだろうが、そのうち慣れる。
 これぞ「最強の作業用BGM」といえるだろう。
 
 ところが「原子心母」という和訳は、この良質なインスト曲にはちょっと重い。
 なんだか、この曲の流れに意味があるのかと考えてしまう。
 「原子心母」という物語を頭で組み立てそうになる。
 しかし、それっぽいイメージを思い描いたところで、楽曲の良さにはかなわないだろう。
 もともと、タイトルがないまま完成した曲であることは、Wikipediaで書かれているとおり。
 
wikipedia:原子心母
 

タイトル「Atom Heart Mother」が決まったのは1970年9月「BBCインコンサート」出演のときである。このときまで正式なタイトルは決まっていなかったのだった。そこで、番組のディレクターがロジャー・ウォーターズにイヴニング・スタンダード紙(1970年7月16日)を渡して「この中にタイトルがありそうだ」と言ったという。

 
 つまり、「原子心母」はタイトルをつける状況に追いこまれて、仕方なく新聞記事から拾った程度の曲名である。
 
 そもそも、意味があるのならば、ジャケットの牛が意味不明ではないか。
 曲にメッセージがあるのならば、牛である必要がないではないか。
 僕には牛がこう思ってるようにしか見えない。
 

 
 結局のところ『原子心母』という日本語タイトルは、日本でピンク・フロイドが売れるきっかけになっただけのこと。
 本国イギリスでチャート一位となったぐらい売れたので、日本人が「おお、ここまで自分の音楽欲求をつきつめた曲でも一位をとれるのか!」と感心するのは勝手だが「私にとっての原子心母とは?」とかマジメくさって考えるのはお門違いなのである。
 
 せっかく歌詞がないのだから、好き勝手にイメージを膨らませればいいのだ。
 

原子心母

原子心母

 

(5) 「狂気」という訳は直接的すぎやしないか?

 

 
 1973年ピンク・フロイドは数十年にわたってチャートインする、とんでもない化物アルバムを発表する。
 「Dark Side Of The Moon」である。
 
 このアルバムはA面、B面で曲がすべてつながっている。
 時間にすると、20〜25分。
 曲単体ならばたいしたことないかもしれないが、20分以上の流れが、このアルバムを傑作にしたゆえんである。
 彼らはアルバム発表前に、この全曲をフルでコンサートで披露していた。
 ピンク・フロイドの20〜25分は、心地よい陶酔感を得られるものだが、それはライブ経験によって裏打ちされたものなのだ。
 
 さて、この「Dark Side Of The Moon」の日本語訳は「狂気」である。
 
wikipedia:狂気_(アルバム)
 
 これまた名訳だと「日本の洋楽愛好家」には絶賛されているが、果たしてそうだろうか?
 
 直訳すると「月の裏側」となる。
 月は一年中、地球上のどこから見ても、同じ模様をしている。
 日本でいう「ウサギがモチをついている」模様だ。
 月の裏側を地球上からは見ることはできない。
(地殻の厚さが違うせい)
  
 この月に、日本では「竹取物語」のような神秘性を抱いていた。
 絶世の美女かぐや姫の故郷とされたのである。
 
 いっぽう、欧米では狂気の源とされた。
 狼男が月を見て変身するように。
 
 アルバム「Dark Side Of The Moon」のB面4曲目(通算9曲目)に「Brain Damage」という曲がある。
 実質上のタイトルトラックで、このアルバムのテーマを歌っている。
 

Pink Floyd - Brain Damage / Eclipse - YouTube
 
 最初のフレーズは「The lunatic is on the grass」
 Lunaは月の別名だから「lunatic」は「月の影響を受けた者」となるだろうが、英訳辞書で調べてみると「狂人」という訳になっているはずだ。
 だから「狂人が芝生の上にいる」という意味になる。
 
 そして、この曲のコーラス(サビ)でこう歌われる。
 「I'll see you on the dark side of the moon/月の裏側で会おう」
 
 月の裏側はlunatic(狂人)の故郷とされた。
 
 だから「狂気」を歌っているというのは間違いない。
 ただし、作者のロジャー・ウォーターズは、この曲に「Brain Damage」とつけた。
 脳の損傷による妄想としたのだ。
 
 このアルバムの全作詞をつとめたロジャー・ウォーターズは、たしかに「狂気」をテーマにしただろうが、あえて「狂気」と直接名づけることは避けた。
 それが「月の裏側」というアルバムタイトルでもわかる。
 それを「狂気」とわりきってしまうのはどうかと僕には思える。
 単なる狂人の歌だったらここまでヒットするまい。
 むしろ、日本人が月にイメージした「神秘性」もこのアルバムが持つ魅力であろう。
 
 なお、Wikipediaによると、日本のライブで全曲演奏されたときには『月の裏側−もろもろの狂人達の為への作品−』と題した歌詞カードが配布されたらしい。
 それで反応がイマイチだったから、日本ピンク・フロイド担当者は「狂気」と題したのかもしれない。
 ただ、世界中でこのアルバムは大ヒットしたわけで、それに「狂気」という日本語題のセンスはまったく関係ないのだ。
 

狂気

狂気

 

(6) 「炎〜あなたがここにいてほしい」という珍題の真相

 

炎 ~あなたがここにいてほしい~

炎 ~あなたがここにいてほしい~

 
 「Dark Side Of The Moon」(邦題:狂気)の次にリリースされたアルバムが「Wish You Were Here」である。
 日本語題は「炎〜あなたがここにいてほしい」
 は? と、あなたは首をかしげるだろう。
 なんだこのヘンテコなタイトルは? と。
 
 この真相はWikipediaを見ればわかる。

『あなたがここにいてほしい』という日本語題は、メンバーが日本側に指定してきたもの。
wikipedia:炎〜あなたがここにいてほしい

 
 ついにメンバーから「勝手な日本語タイトルつけるな!」と釘を刺されたのである。
 それで、日本担当者がつけた帯がこちら。
 

 
 拡大したものがこちら。
 

 
 ヒドすぎるだろ、これ。
 
 ジャケットを見て、日本のピンク・フロイド担当は直感的に「炎」とつけた。
 「狂気」の次は「炎」だ、と勝手に盛り上がったに違いない。
 しかし、メンバーから直々に日本語タイトルを指定されたのだ。
 
 それで、日本担当者は「チッ、日本では長い題名だと売れねえんだよ、仕方ない、サブタイトルでつけてやるか」と偉そうに考えて、こんな珍題となったのである。
 お前は何様だ?
 
 この暴挙に、メンバーがクレームを出さなかったのは、日本のことを詳しく知らなかったせいだろう。
 もし、知っていれば「炎」の一文字を削除するべく圧力をかけたはずだ。
 
 ただ、これに懲りたのか、その後の「アニマルズ」「ザ・ウォール」「ファイナル・カット」では、アルバムタイトルだけでなく曲目もほとんど英語をカタカナにするだけになった。
 良き時代である。
 

(7) 「鬱」「対(TSUI)」そして「永遠(TOWA)」(呆れ)

 
 1985年にピンク・フロイドの中心メンバーだったロジャー・ウォーターズはバンドを脱退。
 以降のピンク・フロイドは、デヴィッド・ギルモアがリーダーとなった別バンドである。
 
 このギルモア期に出されたアルバムで、意訳日本語タイトルが復活する。
 

 

 
 1987年のアルバム『A Momentary Lapse of Reason』は「鬱」
 さすがにやりすぎだと思ったか、今では『モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン』に変更されているが、Wikipediaの項目は「鬱」のままである。
 
wikipedia:鬱_(アルバム)
 

 

 
 そして、1994年のアルバム『The Division Bell』では「対(TSUI)」
 このアルバムは世界中でヒットしたが、「対(TSUI)」という日本語タイトルは、それとは何の関係もない。
 
wikipedia:対_(アルバム)
 
 しかし、ピンク・フロイド日本販売担当者はかたくなに信じたのだ。
 「俺の名付けたシンプルな日本語タイトルのおかげで売れたのだ」と。
 
 だから、2014年のピンク・フロイドのラストアルバム『Endless River』では、こんな日本語タイトルをつけてしまったのだ。
 

 

 
 「永遠(TOWA)」と。
 
wikipedia:永遠_(ピンク・フロイドのアルバム)
 
 ダサい。
 最高級にダサい。
 なんだ永遠(TOWA)って?
 「エンドレス・リバー」でも通じるじゃないか?
 なんで意味不明な邦題にこだわって、原題の意味から遠ざかってしまうのだ?
 ピンク・フロイドのためじゃないだろ、これは。
 石坂敬一が自分でつけたか、石坂チルドレンが石坂に捧げたものだろ?
 せっかくわかりやすいタイトルをつけたのに、それを台無しにしてどうする?
 
 と、このように、ピンク・フロイドの日本語タイトルのダサさは「日本の洋楽」という意味不明なカテゴライズを象徴するものとなっている。
 
 「原子心母」という邦題を成功例だとかたくなに信じ、「ピンク・フロイドは漢字だけの題名が売れる!」と勝手にこじつけ、メンバー直々の要請があったのに関わらず「炎」という訳題を捨てず、挙げ句の果てには「鬱」「対(TSUI)」「永遠(TOWA)」の三連発だ(ライブ盤はのぞく)
 ピンク・フロイドの音楽はそんな日本担当者のエゴとは遠く離れたところにある。

 くれぐれも、皆さんはそんな日本語タイトルを誇らしげに口にしないでほしいものだ。
 石坂敬一の死が、そのきっかけになりますように。
 
※ジャケット画像は以下のサイトから引用しました
The Pink Floyd Japanese Discographies Page