マイケル・ジャクソン傑作選(1) モータウン・メドレー(日本語字幕つき)

 
 
 僕は生前のマイケルをほとんど知らなかった、にわかファンです。
 なぜ、僕は生前のマイケルに関心を抱かなかったのか。
 そして、死の知らせから、マイケルのどの部分に強くひかれ、彼の音楽を理解したのか。
 にわかファンだからこそ書けるマイケルの魅力をまとめてみました。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】
 

マイケル・ジャクソン傑作選(1) モータウン・メドレー(1983/5/17)

 
 
 1983年5月17日に行われたモータウン25周年記念コンサート(Motown 25)は、マイケル・ジャクソンを語る上で欠かせないイベントである。
 後半の「ビリー・ジーン」では、初めてムーン・ウォークを披露し、大喝采を浴びたのだが、今回は、前半のジャクソン5でのパフォーマンスをご覧いただこう。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=6Y_-Jw7hq5s
 
※日本語字幕はかなり意訳です。目安程度にどうぞ。
 
 
 かつて全米をにぎわせた、天才少年マイケルの愛らしい天使の歌声は、変声期をへて消えてしまった。
 しかし、大人になったマイケルは、かつてのヒット曲をポップ・スタンダードとしてよみがえらせることに成功したのだ。
 キラキラ輝くジャケット、片手袋・白いソックス・丈の短いスラックスといった、独特のマイケルのファッションを知らしめたのも、このイベントがきっかけである。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 さて、動画で最初に流れるのは、1968年モータウン(黒人音楽専門レコード会社)のオーディションの映像。5人兄弟からなるジャクソン5のリード・シンガーは、当時9歳だったマイケル・ジャクソンだった。曲は、ジェームス・ブラウンの「I Got the Feelin'」。ジェームス・ブラウンの葬式で、マイケルは愛のこもったメッセージを捧げたが、彼のルーツがJBのファンクあふれるシャウトとダンスであることを、この秘蔵映像は教えてくれる。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 続いて、1969年のデビュー曲である「I Want You Back/帰ってほしいの」の映像が流れる。日本では第二弾シングルABCのほうが有名だが、米国ではこの曲がジャクソン5の中でもっとも有名だ。
 モータウンの入念な戦略の成果が実り、ジャクソン5はデビューから四曲連続全米チャート一位を獲得する。デビュー当時、11歳だったマイケル・ジャクソンは、幼くして国民スターになったのだ。
 
 しかし、1975年、ジャクソン5はモータウンからCBSレコードに移籍する。その際、マイケルについで人気のメンバーであったジャーメイン・ジャクソンは、社長の娘と結婚したこともあり、ジャクソン5を脱退。末弟のランディが加入し、ジャクソン5はジャクソンズと名を改め、再出発する。
 
 1979年、マイケル・ジャクソンはソロアルバム「Off the Wall (Spec)」で成功したものの、ライブ活動はジャクソンズでの活動が中心だった。
 ジャクソン・ファミリーは6男3女と子沢山で、マイケルは7番目に生まれた五男である(下に末弟ランディと末妹ジャネットがいる)。
 
 そして、1983年、かつて所属していたモータウンの25周年記念コンサートに、ジャクソン兄弟は8年ぶりに「ジャクソン5」として出演を果たす。そこには三男ジャーメインの姿もあった。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 それでは、ジャクソン5のオリジナルメンバーを紹介しよう。
 左から、ティト(次男)、マーロン(四男)、ジャッキー(長男)、マイケル(五男)、ジャーメイン(三男)
 
 ギターを弾く次男ティトは、帽子で名前を主張しているように、愛すべきユーモアあふれる性格。マイケルとも仲がいい。彼の体型が示すように、ジャクソン家は太りやすい血統であり、マイケルとジャネットは減量に日々苦しんでいたといわれる。
 
 四男マーロンは年齢の近いマイケルと才能を比較され、何度もメンバーから外されそうになった。事実、ほとんどボーカルは任されていない。しかし、この映像のパフォーマンスでは、かなり頑張っている。マーロンだけに注目して見てみると、この動画の違った楽しみ方ができるだろう。
 
 長男であるジャッキーは、優等生であり、父親に対して従順的な性格だった。後にジャクソン家の虐待が噂されるようになると、長男ジャッキーが父に反抗しなかったことに批難が集まったが、辛抱強い彼がまとめ役だったからこそ、ジャクソン兄弟のユニットが成功したのではないかと思う。
 
 ベースを弾く三男ジャーメインは、マイケルについでボーカルを担当することが多く、人気が高い。1975年以降は、ソロとして全米チャート10位に入るなど、兄弟とは袂を分かちながらも成功をおさめた。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 「I Want You Back/帰ってほしいの」に続いてメドレー形式で歌われるのが、第三弾シングルだった「The Love You Save/小さな経験」。この演出は、マイケルのソロでも使われているのでおなじみのもの。
 
 「ABC」やこの二曲は曲調が似ているが、これらは「ザ・コーポレーション」というユニットで書かれた曲である。そのメンバーはいずれも名のあるコンポーサーばかり。1968年にオーディションに合格してから、ジャクソン5はデビューに一年間を費やしているが、その間にモータウンは着々とヒットへの下地を作り上げたのだ。
 
 それらのイメージ戦略のなかには、ダイアナ・ロスがジャクソン5の育ての親であるとか、デビュー当時のマイケルを8歳と詐称したというも含まれている。このような印象操作から、マイケルのファンの多くは、モータウンという会社に良いイメージを持っていないかもしれない。
 
 1975年にジャクソン5がモータウンから移籍した理由は、自分たちのプロデュースが認められず、イメージを押しつけられたことにあるという。しかし、モータウンは決して頑迷な会社ではなく、70年代初頭にマーヴィン・ゲイスティーヴィー・ワンダーといったアーティストには、プロデュース権を与え、ポップ史上に残る傑作アルバムを出している。
 
 なぜ、モータウンが、ジャクソン5のアーティスト性を認めなかったのか。その理由は、看板のマイケルが思春期だったからだと思われる。1970年代半ば、マイケルは変声期に入り、新たなボーカル・スタイルを模索中だった。マイケルが大人のミュージシャンとして、少年期に匹敵する成功をおさめられるまで、家族のプロデュースではなく、会社主導のプロジェクトとして熟成させたかったのが、モータウンの意向ではなかったか。
 
 しかし、モータウンの契約を打ち切り、自立しなければならなくなったことで、マイケルのポップ・センスは開花した。ジャクソンズとして曲作りに関わるようになり、1979年にソロアルバム「Off the Wall (Spec)」で成功をおさめる。その1曲目の「Don't Stop 'Til You Get Enough/今夜はドント・ストップ」はマイケル自身の作詞作曲である。アルバム「Off the Wall (Spec)」はマイケルの天性の才能がディスコ全盛の時代をとらえながら、それを昇華した傑作となった(売上は全米700万枚以上を記録)
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 さて、「The Love You Save/小さな経験」の終盤に、末弟ランディが加わり、ジャクソン六人兄弟が集結する。マイク・スタンドは五つしかないのに、いつの間にか六人がボーカルをとるという、変幻自在のステージ・パフォーマンスは何度見ても素晴らしい。
 
 これは「兄弟だからこそのコンビネーション」ではなく、入念に重ねられたリハーサルの成果であることは明らかだ。そして、それは練習魔として知られるマイケルが主導して行われたものに違いない。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 このパフォーマンスで、六人がステージに立っているのに関わらず、マイケルは豊かなアクションを見せている。それは、各人の領域が確立できていることからなしえたものだ。
 ダンスの才能には空間把握能力が含まれる。彼の多彩なダンスの数々は、常にそのスペースを確保した上で、繰りひろげられている。マイケルは完璧主義者だといわれているが、それがために変幻自在と観客には見えるパフォーマンスを熱演することができたのだ。
 
 ともに育った兄弟たちは、そんなマイケルの性格の良き理解者であったのだろう。だからこそ、この前年である1982年スリラーというモンスター・アルバムを発表しながらも、1984年までマイケルは兄弟とコンサート活動を続けた。その洗練された動きで世界中の女性を魅了したのに関わらず、彼はジャクソン家の五男であり続けようとしたのだ。ゆえに「スリラー」のコンサートツアーは行われていないのである。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 あまりにセンスのいいマイケルの合図から流れる次の曲は、1971年の「Never Can Say Goodbye/さよならは言わないで」(全米2位)。少年マイケルの歌声は愛らしかったが、24歳の彼が唄った方がラブソングに説得力がある。昔を懐かしむはずのコンサートなのに、大人マイケルのポップ・シンガーとしての実力に心を奪われた人の方が多かったはずだ。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 そして、最後の曲は、マイケルのソロでも歌われる名バラード「I'll be there
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 途中で、ジャーメインにマイクを差し向ける演出は、8年間の確執を知るファンにとっては感涙ものだっただろう。このようなファンを喜ばせる粋なはからいを、マイケルは常に心がけていた。
 
 そして、マイケル自身にとっても、このコンサートは、兄弟間の仲直りができる重要な機会だった。女性関係や家庭問題などのスキャンダルにはこと欠かなかったジャクソン兄弟だが、同じステージ上に立てば、それらを払拭することができたのだ。
 これは終生マイケル・ジャクソンというエンターテイナーが信じていることだった。いかなる悪評も、ステージで完璧なパフォーマンスを披露すれば、ファンにそれを忘れさせることができると。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(1)
 
 彼はこの光景を、誰よりも母親に見せたかったと思う。「ほら、僕のおかげで、みんな仲良くなれたんだよ!」
 
 あまりにも中身が充実した熱演だが、細かく説明せずとも、ジャクソン兄弟の仲違いが氷解したこと、そして、かつて少年だったマイケル・ジャクソンがポップ・スターとして偉大なる道を歩み始めたことを、視聴者は知ることができたはずだ。
 
 
 日本の国民歌手といえば、美空ひばりが思い浮かぶ。彼女もデビューは11歳なので、マイケルと比較する人は多いかもしれないが、そのたどった道はあまりにも異なる。
 美空ひばり暴力団と関係していたことを否定する人はいない。マイケルは「Black or White」(1991年)で「おまえの兄弟は怖くない/I ain't scared of your brother」という一節に、米国にはこびるマフィアへの批判をこめた。
 米国ではゴシップによるイメージ低下がひどかったが、欧州でのマイケルはノーベル平和賞にノミネートされたほど、その楽曲と活動は評価されている。だからこそ、マイケルは最後の公演「This Is It」を母国ではなく、英国ロンドンで行うことにしたのだ。
 
 ただ、11歳からトップ・スターであり続けたマイケル・ジャクソンは、尋常ならざる少年時代をすごしたせいか、多くの人から「変人」呼ばわりされる奇行をくりひろげることがあった。彼自身、そんな自分の性格は理解しており、それでもかつ、繊細な自分の感性を終生大事にしようとしていた。
 
 次回に紹介する「ビリー・ジーン」の歌詞で、そんな彼の内心を分析してみよう。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(2) ビリー・ジーン
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】
 
【関連動画】
 

http://www.youtube.com/watch?v=MYx3BR2aJA4
 
 ジャクソン5を知らない人でも知っている、第二弾シングル「ABC」
 この曲のように、兄弟ならではのボーカルのかけ合いも、ジャクソン5の魅力とされていた。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=iSCsxfK6piM
 
 こちらは1970年当時の「I want you back」。帽子をかぶったマイケルがかわいい。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=BrUcWLmrk10
 
 「ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]」(1992)から「I want you back〜The Love You Save」。レオタードを意識したコスチュームのセンスはさておき、全盛期のライブにふさわしいパワフルなシャウトを聴かせてくれる。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=JIRLGtK7OQg
 
 すっかり病気で肌が白くなったソロ30周年コンサート(2001)より「I want you back」。演奏前の兄弟間の会話など、同窓会のような楽しさで歌われている。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=fRmRNCcsa-g
 
 最後に、少年マイケルの代表曲である「ベンのテーマ」(1972)。大人マイケルの偉大さを知ってもなお、この歌声が失われたことに時の流れの残酷さを感じざるをえない。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】