マイケル・ジャクソン傑作選(2) ビリー・ジーン(日本語字幕つき)

 
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】
 

マイケル・ジャクソン傑作選(2) ビリー・ジーン(1983/5/17)

 
 
 「Billie Jean/ビリー・ジーン」は、マイケル・ジャクソンのダンス・パフォーマンスの到達点の一つである。
 その「型」を初めて披露したのが、1983年5月17日に行われたモータウン25周年記念コンサート(Motown 25)だった。
 

http://www.youtube.com/watch?v=ogq8AAY0RKY
 
※日本語字幕はかなり意訳です。目安程度に見てください。
 
 
 前回、ジャクソン5での熱演を紹介したが、そのあとに一人残った彼は「新しい曲を」と力強く宣言する。
 主催者側は、マイケルが新曲を歌うことを好まなかった。モータウンという会社から移籍したマイケルの新曲が話題になっても、モータウンのレコード売上にはつながらないからである。
 しかし、マイケルは「ビリー・ジーン」を歌うことに固執した。そうでなければ出演を辞退するとまで言い切ったという。
 
 そして、そのパフォーマンスは、すでに発表されていたPVとは大きく異なっていた。それは、マイケルの代名詞となった「ムーン・ウォーク」の初披露を含む、彼のダンスの一つの完成形であった。
 以降のライブでも、このときの「型」は踏襲され、多くのファンを魅了させることになった。
 
 
 「ビリー・ジーン」は、1982年12月1日に発売されたアルバム「スリラー」に収録。作詞作曲はマイケル自身。シングル発売は1983年1月2日ビルボードにて7週連続一位を記録した。
 
 さて、ベストセラーになった村上春樹1Q84 BOOK 1で、1984年という時代を彩るエピソードとして、ラジオから「ビリー・ジーン」が流れるという描写がある。
 この曲のシングル発売は1983年1月だから、1984年を物語る曲としては不適切だと感じる人がいるだろう。村上春樹は記憶間違いをしているのだろうか。いや、1984年になっても「ビリー・ジーン」はラジオで流れ続けていたみたいなのだ。
 
 そう推測する理由は、世界でもっとも売れたアルバムスリラー」のビルボードチャートにある。
 通算37週で一位を獲得した「スリラー」だが、その内訳は、1983年2月〜6月、7月、9月、10月〜1984年4月となっている。
 発売から1年あまりたった1984年4月にも、ビルボード1位に君臨していたのが、「スリラー」がモンスター・アルバムと呼ばれる所以である。
 
 今では考えられないが、発売済のアルバム収録曲を、PVを作ったうえでシングルカットすることで、再度話題を呼び、シングルもアルバムも売上を増したのが当時の音楽業界だったのだ。
 それは、今よりも人々の情報伝達速度が遅かったことからもたらされた現象である。90年代以降、マイケルのこのやり方がセールス的に成功しなかったのは、その人気の低下だけではなく、メディアの発達が原因にあると思われる。
 
 もちろん、今回、紹介する「モータウン25周年コンサート」でのパフォーマンスも、アルバム「スリラー」の売上に大きな貢献を果たすことになったはずだ。
 
 
 さて、ここからしばらく、個人的な話をする。
 
 僕は生前のマイケルに強い関心を抱かなかったのだが、それは、この「ビリー・ジーン」に原因がある
 これこそ、マイケルのスタイルの典型とばかり、「ビリー・ジーン」の真似をする人たちは多かった。そのモノマネを見て、僕はゲンナリして、マイケルの音楽から距離をとっていたのである。
 
 では、どこが気に入らなかったのかを解説してみよう。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(2)
 
 おなじみの帽子をかぶった待機のポーズ。これ見よがしに演じられると、かなりうざったいものなので、真似する人は場をわきまえてほしい。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(2)
 
 そして、わずか20秒あまりで投げられる帽子。いったい、何のためにかぶったのか。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(2)
 
 それから、髪を整えるマイケル。決まったような表情をされても、こちらはどう反応していいのか困る。
 
 この冒頭の動きが、好きになれなかった人は、僕以外にもいるはずだ。
 
 マイケルのスタイルは、あまりにも独創的なために、軽はずみに真似たところで格好良くはなれない。
 それなのに、真似する人は「マイケルを知るのは人間の義務」「世界でもっとも売れたマイケルの音楽が嫌われるはずがない」とばかり、おせっかいな態度を隠さないものだから、僕のような人間には反感されるのだ。
 
 しかし、一連の動作の流れが楽しめるようになれば、好悪をこえた独特の「間」が、このダンスにあることがわかる。それは、見る者に心地よさを感じさせることに成功している。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(2)
 
 そして、間奏部分で見せるバックスライド型ムーン・ウォーク。観客のざわめきは本心のものだろう。TVに放映されるやいなや、ムーン・ウォークは流行し、それはマイケル・ジャクソンの代名詞ともなった。
 
 しかし、マイケルはこのバックスライド型ムーン・ウォークを「ビリー・ジーン」の間奏以外では、ほとんど見せようとしなかった。
 それはスムース・クリミナル」の傾きゼロ・グラビティ)と同じく、特定の楽曲の一連の動作で見せるからこそ見る者の心をつかんだのだ。
 
 このように、モータウン25では、前半のジャクソン5では青年の歌声で、後半のソロではダンス・アクションで観客を魅了した。今後の彼のキャリアを考えるうえでも、伝説の一夜と称するにふさわしいパフォーマンスであったといえるだろう。
 
 
 さて、「ビリー・ジーン」といえば、意味深な歌詞にも注目するべきだろう。
 この動画の日本語訳は不十分である。とはいえ、マイケルの歌詞は言葉だけを追いかけても、その全容を把握することは難しいため、できれば英語詞を自分の頭で感じてほしい。意味を通した文章にしようとすれば、言葉を継ぎ足さなければならず、それぞれ解釈の違いが生まれてくるからだ。
 
 「スリラー」収録曲の一つに「The Girl Is Mine」というシングル曲がある。これは、ポール・マッカートニーとデュエットしている作品だ。
 ポールはこの曲のことで、メディアに次のような質問を受けている。「マイケルの書く歌詞は、言葉足らずではないか?」
 その質問の裏側にはこういう思いがあったに違いない。
「白人ポップ音楽を代表するビートルズで、優れた歌詞を書き続けたあなたが、どうして黒人青年の稚拙な歌詞を受け入れてデュエットしているのか?」
 そんな意地悪な質問に、ポールは笑顔で答えた。「そう思っても仕方ないかもしれないね。でも、これ以上のフレーズはないと思ったんだ。ピッタリだったんだよ」
 
 マイケルは詩人ではない。ただ、その天性のセンスからつむぎだされるフレーズは、メロディーと重なったときに、直感的に人の心をつかむ。だからこそ、辞書片手に考えるよりも、マイケルの歌詞は音楽の中で耳で聴いたほうがよくわかるのである。
 
 さて、歌詞の大意だが、ビリー・ジーンとは架空の女性の名前である。彼女はダンス・クイーンで、彼(歌の主人公)と一緒にステップを踏んだ。それだけの関係である。ところが、しばらくして、彼の子どもができたと、ビリー・ジーンは脅迫する。彼には身の覚えがない。
 ビリー・ジーンは赤ん坊の写真を見せて「ほら、目元があなたにそっくりでしょ?」と語る。法律でさえ彼女の味方だ。彼は法廷に立たされ、ビリーの産んだ子の父親であることの認知をせまられる
 
 だから、この曲では何度もこう歌われるのだ。「Billie Jean is not my lover/ビリー・ジーンは恋人じゃない!
 
 どうして、マイケル・ジャクソンはこんな曲を書いたのだろう?
 
 幼くしてデビューし、ソロとしても成功した彼には、数知れずの女性ファンがいた。優れた歌声には、官能的な美がただようものだ。蜜に誘われる蝶のように、彼女たちはマイケルに夢中になった。
 例えば、アルバム「Off the Wall (Spec)」(1979年)に収録された「Rock With You」
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=inH9DSFsWSY
 
 この彼の色気のあるボーカルは、同性の僕が聞いても魅惑的に感じるほどだ。
 
 「ビリー・ジーン」は、そんな彼の才能が招く女性スキャンダルから身を守るために作られたと考える。マイケルは自身の経験談がモチーフにあると語ったというが、僕は悪夢からインスピレーションを受けたのではないかと予想する。
 
 「マイケルに隠し子発覚!」。そんな予期せぬゴシップが、本人の知らぬ間に人々に伝わってもおかしくない立場に彼はいた。そのときに取り乱せば、ますます、メディアは彼を追いかけるだろう。その予防策として用意したのが、この「ビリー・ジーン」ではないか。
 
 この曲があるかぎり、どんな女性スキャンダルが起こっても、彼はこう答えればいいのであった。「ビリー・ジーンで歌ってるじゃないか。彼女は僕の恋人じゃないって」
 
 
 1993年の少年性的虐待疑惑以降、マイケル・ジャクソンのイメージは著しく低下した。ファンはそんな彼に同情し「マイケルはメディアの犠牲者である」と語る。
 しかし、もともと、マイケルはメディアにちやほやされるのが好きな性格だったと思う。
 
 僕が幼かったときのマイケルの印象は、ディズニーランドを貸し切ったとか、棚すべての商品を買い占めるという「大人買い」の最上級である「マイケル買い」とか、そんな愉快なものにあふれていた。そのような噂に上ることを、マイケルは楽しんでいたと思う。
 
 例えば、アルバムBad (Spec)(1987年)の最後に収録された「Leave Me Alone/ほっといてくれ」という曲がある。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=So-kNWU02QY
 
 このPVでは、マイケルをとりまく様々なゴシップ記事が出てくる。いずれも、マイケルを奇人変人呼ばわりするものだ。マイケルはそれに対して弁解しようともせず、チンパンジーのバブルス君(ペットというより友達)とともに、そこから抜け出して、わが道をひた走る。このPVには後に見せる痛々しさは感じられない。
 
 当時は、それらのゴシップを彼一流のユーモアで一蹴できる余裕があったのだ。そうでなければ「スリラー」のビッグ・ヒット以降も、その人気を持続できたはずがない。1993年までは、彼はナイーブではあったが、タフな男だと思われていたはずだ。
 
 「ビリー・ジーン」や「Leave Me Alone」という楽曲を歌うことで、彼はみずからの繊細な感性を守ることができた。だからこそ、その才能豊かなダンスと歌声で驚くべきほど多くの人々を魅了させ続けられたのだ。
 
 そんな彼が、なぜ、1983年の少年性的虐待疑惑で、あれほど取り乱してしまったのか。もし、彼の対応が冷静なものだったら、ここまで彼のイメージが汚されることはなかったはずだ。金の力で解決したり、プレスリーの娘と結婚したり、今思えば、それらは多くの人々に疑惑の目を深めただけの結果に終わった。
 
 
 「ビリー・ジーン」で数多くの女性スキャンダルを退けたマイケルにふりかかった少年性的虐待疑惑。それに対して、彼がどんな曲を作ったのかは、次回の「スクリーム」で説明しよう。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選(3) スクリーム
 
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【関連動画】
 

http://www.youtube.com/watch?v=7Hg-IRZk4D0
 
 「ビリー・ジーン」と同じく、女性スキャンダルを題材にした楽曲が、アルバム「Bad (Spec)」に収録された「ダーティー・ダイアナ」(1987年)。こちらはもっと直接的な内容で、バンドマンに抱かれようとするグルーピー(FUCK隊のようなものか?)を激しくののしった内容である。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=_fHoDWc22B0
 
 ヒット曲のわりに地味な印象のビリー・ジーンのPV。マイケルのPVの多くはライブで再現されているが、この曲に関しては、Motown25にて確立されたダンスが踏襲されることになった。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=otgMpaIyW4M
 
 全盛期のデンジャラス・ツアーのリハーサル映像(1992年)。僕が死後にマイケルの良さに気づいたのは、これらリハーサルでの気さくなマイケルの素顔だった。motown25と基本的なアクションは同じだが、投げ飛ばした帽子の再利用が織りこまれている。さすが地球に優しいマイケルである。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=l74Y_p6or00
 
 ソロ30周年記念コンサートにて(2001年)。帽子をかぶるだけで大騒ぎされるとは、やはりマイケルは偉大なのだ。マイケルでなければ、こんな演出はとても許されないだろう。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】