【同人誌】蛸壷屋C79新刊『俺と妹の200日戦争』感想

 

 
 蛸壷屋(→公式サイト)C79新刊『俺と妹の200日戦争』は、僕の予想に反して面白かった。
 
 ネットで公開された画像の断片(→アキバblog)から、僕が連想したのは、蛸壷屋ハルヒ三部作のひとつ『涼宮ハルヒ服従』である。
 

 
 高慢なハルヒを殴るシーンが話題になった、その『涼宮ハルヒ服従』は、僕にとっては駄作であった。ハルヒ服従させてカタルシスが得られると感じるのは、あまりにも安易すぎると捉えていた。蛸壷屋ハルヒ三部作では、それ以降の「朝比奈みくる変態路線」のほうが、ずっと娯楽性に富んでいたと思う。
 
 だが、この新刊は、高慢な高坂桐乃という女子中学生が社会的に制裁される、というだけの物語ではない。
 
 
 蛸壷屋二次創作のポリシーとして、メインヒロインの「最低の表情」と「最良の表情」を描く、というものがある。
 
 蛸壷屋けいおん三部作では、やや楽観的にすぎた「最良の表情」だが、この新刊では、近親相姦の果てのどうしようもなさを見事に映し出している。
 

 
 ネットで断片的に掲載されたシーンから、この同人誌の全体を連想する者は、冊子を手にすることにより、それらが過激なだけではなく、ストーリーテーリングの枠内におさまっていることを知り、その生々しさに驚嘆するはずだ。
  
 
 原作『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は、「エロゲ」「近親愛」という、実に危うい主題を取り上げることで関心を集めたものの、その踏み込みは中途半端で消化不良であった。
 
 蛸壷屋新刊は、「エロゲ」「近親相姦」という後ろめたい題材を真っ向から描いている。
 
 タイトルからわかるように、この新刊では「200日間に及ぶ近親相姦とその顛末」が語られている。
 
 蛸壷屋けいおん三部作がネットで話題をさらったのは、わずかなコマ割で彼女たちの背後にある「現状」を描き出していたからだ。
 
 同人誌という限られたページ内で作品を発表し続けてきた、この作者ならではの経験が、今回の新刊でも効果的に生かされている。
 
 60ページという分量で、200日間の顛末を描ききったその力量には、感服するほかない。
 
 
 ただし、二次創作ならではの欠点もある。特に、登場人物の一人「沙織」と、兄の「京介」がどういう形で接していたのかについては、この作品だけでは十分に描かれていないと思う。
(「黒猫」については、その後の桐乃の反応など、わずかな描写ではあるものの、その存在感は書かれていると思う)
 
 また、この作者は異常なまでに「全裸」にこだわるので、性的嗜好が異なる人には、いわゆる実用性は乏しいかもしれない。
 
 
 それにしても、日本のサブカルチャーを活性化させた背後に「エロゲ」があることはまぎれもない事実で、ゼロ年代前半に関していえば、もっとも熱かったコンテンツだったといっていい。
 
 もし、アニメの作画や声優に関心を抱いたのならば、そのルーツを探っていくと、「エロゲ」などの「18禁コンテンツ」に到達せざるをえないだろう。
 
 蛸壷屋新刊は、それによって心が破壊された女子中学生の行き先をショッキングに描いているが、それは一つの可能性でしかない。
 
 ただし、不況が続くなか、日本の未来に不安を覚え、空想の世界に逃げ込む若者たちが待っている世界が、18禁コンテンツに侵食された文化であることは、まぎれもない事実だ。
 
 その危機感が照らされたこの作品は、「私の好きなキャラをひどい目にあわせただけではないか」と嘆くファンに、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』というコンテンツを生み出した背後にある文化土壌の本質を知らしめることができるのではないか、と思う。
 
 そして、それこそが、表現の規制につながっていると批判される各種条例の成立につながっているのだ。
 
 このまま表現の自由を野放しにしてよいものか、という問題提起こそが、今回の蛸壷屋新刊での、もっともインパクトある要素であると感じている。
 
 
 ただ、個人的には、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』というコンテンツには、「エロゲ」を媒体としてコミュニケーションする兄妹間の奇妙な関係にこそ面白さがあると考えている。
 
 蛸壷屋の新刊では「エロゲ」ではなく「性行為」そのものを媒体にしたコミュニケーションという仮定が描かれているが、それを『俺妹』の本質ではないと捉える者がいても当然である。
 
 そして、実際にエロゲをプレイしている女子中学生の、笑っちゃうぐらい潔癖的姿勢というものは、僕にとっては実に興味深いものなのだけどね。