これほどまでにPK戦敗退が悔しいことだとは知らなかった

 



試合終了後、PKを外した駒野選手に声をかける、パラグアイバルデス選手(2010南アフリカ)
 サッカーを題材にしたアニメや漫画で、主人公チームがPK戦までもつれこんだときは、ほぼ勝利を意味する。運任せのPK戦で主人公チームが敗れてしまっては、読者が納得できないからだ。
 しかし、現実のサッカーの大会では、世界最高峰のワールドカップでさえ、少なくない勝敗が、PK戦によって決定されてきた。

  僕が最初に記憶しているワールドカップは、1990年イタリア大会である。リアルタイムで見ていたのではない。大会後に発刊された総集編雑誌を目にしたのが、僕にとって「はじめのワールドカップ」であった。
 その雑誌でもっとも印象的だったのは、ストイコビッチがPKを外したあと、シャツで頭をおおった写真である。
 準々決勝第一試合、ストイコビッチ擁するユーゴスラビアは、マラドーナのアルゼンチン相手にスコアレスドローPK戦に勝敗はゆだねられた。ユーゴスラビアの第1キッカーをつとめたのは、若きエースのストイコビッチである。そのボールは無情にもバーに当たり、ゴールラインを割ることはなかった。


PKを外した直後のストイコビッチ
(1990イタリア)
 試合後、泣きじゃくるストイコビッチに、マラドーナは「泣くな。君は素晴らしい選手だ。未来がある」と声をかけたという(1)。しかし、その後の彼の選手生活は、ユーゴスラビア内乱という政治的な理由で大きく振り回されることになった。
 名古屋グランパスエイトが彼を獲得したと聞いたときは、驚いたものだ。そして、「ピクシー」は数多くの素晴らしいプレーを日本サッカー界にのこしてくれた。今も、名古屋の監督として、Jリーグを盛り上げてくれている。
 
 ワールドカップで、PK戦で勝敗を決することについては、様々な批判があった。1994年の米国ワールドカップ、2006年のドイツワールドカップでは、PK戦で優勝国が決まった。我々はそれを見て「物足りなさ」を感じたものだった。PKを外したロベルト・バッジョを「悲劇の主人公」として哀れんだものだった。
 しかし、これほどまでに悔しいものだとは知らなかった。それは、自国の代表が、大舞台でPK戦敗退するという経験がなかったからだ。
 僕は、もっと今の日本代表の試合が見たかった。遠藤選手が警告累積で出場できない次のベスト8では、勝つ可能性はきわめて少なかっただろう。それでも、本気のスペイン相手に日本のディフェンスが通用するかを知りたかった。優勝候補のスペイン戦ともなれば、世界中のファンが注目するだろう。そんな大舞台で活躍する本田選手が見たかった。
 試合では敗れたものの、パラグアイ戦での岡田監督の戦術が間違っていたと断言できる者はいないだろう。何度かピンチがあったが、何度もチャンスがあった。枠内に入ったゴール数は、それぞれ6。どちらが先に点を入れてもおかしくない試合だった。
 だが、延長後半10分あたりから、見ていた僕は「このままPK戦に」と願うようになった。冷静に見ることができなくなったのだ。とにかく、点を入れなくてもいい、点を取られるな、と僕は祈っていた。「PK戦にもつれこめば、何とかなる」と甘い期待をいだいていたのだ。
 僕はPK戦で敗れる悔しさを知らなかったのだ。天に運命をゆだねるような、PK戦で勝敗が決着することの非情さを。
 PKを外した駒野選手を「戦犯」とする風潮に、まだまだ日本サッカー界の未熟さを感じた。世界の強豪国は、このような非情なPK戦を何度も体験してきたのだ。日本代表はそうではない。だから、日本のファンの一部は、この敗戦を「誰かのせい」にせざるをえなかったのだろう。
(もちろん、サッカー強豪国のファンにも、PKを外した選手を「戦犯」と罵る人はいる。そういう人は、人種・民族・文化を問わず、世界中のどこにでもいる。特に、金がかかっている場合は)
 勝者パラグアイのインタビューでは、次のようなコメントがされている。マルティーノ監督は「PKでは、われわれはラッキーだったと思う」と語った(2)。五人目のキッカー、オスカル・カルドソ選手は「PKを決めた後、神に感謝したんだ」と語った(3)
 また、四人目のキッカー、アエドバルデス選手は、勝利が決まった瞬間、歓喜の輪から抜けだし、PKを外した駒野選手に声をかけたという(4)。声をかけずにはいられなかったのだろう。それぞれ史上初となるベスト8進出をかけたあのPK戦では、そのような感情がピッチを支配していたのだ。
 ひるがえって自身の生き方をふりかえると、僕は何度、甘い期待をしたことだろう。人生の選択肢で、リスク覚悟で点を取りに行くよりも、運任せのPK戦に持ち込むことを選ぶ人は、僕以外にも多いはずだ。
 「PK戦まで持ちこたえたらいい」「PK戦で負けても、誰も俺を責めはしないさ」。そんな言い訳ばかりの人生を過ごしてきた自分に、この敗戦はズシンと胸にこたえた。
 岡田監督の選手交代は、いずれも攻撃的選手ばかりであり、何としてでも点を取ろうとする姿勢を見せていた。ただ、彼に「わたしに執着心、執念が足りなかった」(5)と言わしめたのは、決勝トーナメント進出でお祭り騒ぎになるほど、日本のサッカーに歴史がなかったからだろう。この悔しさを日本サッカー界は絶対に忘れてはならないと思う。
 これまで、自国びいきとしか思えない「惜敗」の文字を何度も目にした我々は、今回の敗戦を「惜敗」という言葉では片付けたくない。素晴らしい内容でグループリーグを突破したからこそ、勝負の非情さを我々は知ることができた。日本代表選手の活躍のおかげで、世界トップレベルの試合がもたらす感動の本質を体験することができた。
 岡田監督のバッシングから始まったこのワールドカップ。それを通じて、僕は多くのことを学んだ。まだ、試合は続いていくが、ひとまず、あの敗戦で味わった感情を忘れないように、この記事を書いた。