三沢光晴の死の衝撃

 
http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20090613-OYT1T01053.htm
 
 三沢光晴の死の衝撃は、アイルトン・セナの事故死に匹敵すると思う。
 
 セナが安易な運転ミスで事故を起こしたはずがないのと同様に、何度もバックドロップを受け続けた三沢光晴が、試合中に死ぬことなどありえないはずだった。
 
 「レスラーとしてリングの上で死ぬことは本望でないか」という人がいる。セナが事故死したときに、彼らはそのような台詞を口にしたのだろうか。
 
 やがて、関係者のコメントがブログでアップされていく。
 高田延彦のように、三沢とは距離が離れていた人物は、今後の方向性を訴えるまっとうな記事を書いていた。(→該当記事
 一方では、三沢と親しい関係の人たちは、紋切り型の記事を公開した。そう書くことしかできなかったのだろう。
 
 夜が明けるまで、プロレス関係者、プロレスファンの誰もが失語症に陥っているかのようだった。その中で「三沢光晴って誰さ?」と無邪気な書きこみをする者たちがいた。「プロレスは死と隣り合わせなんだよ」ともっともらしいことを書く者たちもいた。
 
 プロレス界トップである三沢光晴の一般認知度が決して高くなかったこと。
 その事実が、僕に三沢光晴の死因を教えてくれた。
 
 ファンの多くは、次のような段階をへて、三沢の死を受け入れていったと思う。
 
(1)なぜ、三沢が?
(2)なぜ、ノアで?
(3)しかし、社長として
 
 それでは、僕なりに整理してみる前に、三沢光晴の名勝負動画をひとつ。
 
 

 
 ジャンボ鶴田と若き三沢光晴による30分近くの熱戦。
 この試合をきちんと見れば、プロレスだからこその醍醐味が味わえるはずだ。
 
 序盤の三沢の変幻自在のエルボーと、鶴田の破壊力抜群のジャンピング・ニー。
 そして、終盤の三沢のジャーマンスープレックスと、鶴田のバックドロップ。
 この頃のプロレスは未見だったが、時代を感じさせない、色あせない興奮をもたらしてくれる動画である。
 
 三沢光晴は、こんな名勝負を何度も闘い抜いてきたのだ。
 
 
(1)なぜ、三沢が?
 
 三沢光晴は現役日本人プロレスラーの中では、実績でトップに君臨する偉大なレスラーである。
 そんな三沢の得意技は「エルボー」。そう、ただの肘打ちである。誰でもできる技である。
 
 なぜ、エルボーごときが得意技である三沢がトップレスラーなのか。
 それは、彼の試合を見てもらうしかないが、試合の流れを変えることができる変幻自在のエルボーを生み出すのだ。
 
 プロレスはバトル漫画や特撮ものに似ている。ヒーローの変身中に悪役は攻撃してはならないなど、真剣勝負とは言いがたい決まりごとが多い。
 しかし、だからこそ、ボクシングの試合ではわかりにくい、勝負の「妙」をプロレスでは伝えることができたのである。
 
 三沢は「受けの天才」だと言われてきた。ジャンボ鶴田をはじめ、川田利明などのライバルの必殺技をまともに浴びても立ち上がり、一瞬の隙をついたエルボーで試合の流れを変える。それは、誰にでもわかるプロレスの面白さだった。
 
 プロレスでは、よく「説得力」という言葉が使われる。この技はすごい、と見ている人に思わせる華やかさが必要だ。そのためには、大技を避けていてはならない。相手の決め技に浴びても立ち上がってこそ、ファンは喝采し、よりヒートアップするのである。
 
 ジャンボ鶴田は、三沢に対しては容赦ない角度でバックドロップを浴びせていた。そんな三沢だからこそ、相手は大技を出すことができたし、名場面を演出することができたのだ。
 
 それを知るファンからすれば、試合中に三沢が死ぬなんてことはありえないはずだった。
 
 
(2)なぜ、ノアで?
 
 三沢光晴は、プレスリング・ノアというプロレス団体を立ち上げ、その社長となった。
 もともと、三沢はジャイアント馬場全日本プロレスに属していた。しかし、馬場夫人などのオーナー側と対立し、みずから新団体を立ち上げるにいたったのである。
 そんなノアは、選手の待遇改善をアピールポイントとした。全日本プロレスよりも、選手の健康管理を徹底し、安心してリングに立てる組織づくりを行った。
 だからこそ、「ノアだけはガチ」という真剣勝負を演出することができたのだ。
 
 数年前、長州力が立ち上げたWJプロレスで、練習中にジャイアント落合という総合格闘家が死亡するという事件が起きた。
 当時のWJプロレスは、奔放きわまりない経営でファンを裏切り続けた。選手管理すらもまともにできない団体だと批判された。そんななかで起きた死亡事件に、プロレスファンは「管理責任はどうなんだ?」と執拗に問いつめた。
 
 ノアは新日本プロレスとならび、プロレス団体の中で、数少ないメジャー団体であった。
 選手の健康管理については、徹底して行われていると常に宣伝され、ファンはだからこそノアを応援し続けた。
 インディー団体では、過激さばかりを売りにしたレスリングがあったが、ノアは正統プロレスを歩んでいたはずだった。
 そんなノアのマットで死亡事故がおきるなんて、ありえないはずだった。
 
 
(3)しかし、社長として
 
 全日本を裏切った形になった三沢光晴だが、その新団体ノアを支持したファンは多かった。
 TVの地上波放映も確保し、観客動員数も新日本プロレスに並ぶほどになった。
 総合格闘技におされて低迷するプロレス界の中で、ノアだけは順風満帆であるように思われた。
 
 しかし、三沢光晴と並ぶトップレスラーである小橋建太の故障や、プロレス自体の人気の低下などの要因からか、観客動員数は減少の一途をたどった。そして、今年の3月、TVの地上波放映も打ち切られることになった。
 
 ここから復活するためには、何よりも人気レスラーが立たなければならない。
 ノアでもっとも人気があるレスラーといえば、社長である三沢光晴だった。
 そして、三沢にとって、約一年ぶりとなるタイトル戦が組まれた。
 「GHCタッグ」。そのベルトの価値を高めるためには、メイン戦に恥じない試合をしなければならなかった。
 その日に観戦したファンは、三沢の入場シーンでの声援が、ひときわ大きかったことを語っている。
 
 たとえ、自身の体調が悪くても、社長として、ノア人気を低下させないために、ベストバウトを見せなければならなかったのだ。
 選手の体調管理は社長の責任である。しかし、社長の体調管理は誰が責任を負うのか。三沢自身の最悪の事態を予想できなかったのだろうか。
 
 最悪のコンディションでもリングに立たなければならない三沢光晴の苦悩をファンに教えてくれたのは、ほかならぬ、三沢を知らない者たちのネットの書きこみだったと思う。
 死者を鞭打つような悪質な書きこみの数々は、三沢光晴の実績をまったく知らない者たちからもたらされたものだった。
 
 普段は、ノア派や新日本派と分かれて言い争いをしているプロレスファンも、三沢光晴のことを知らない人たちが、自身の無知を誇らしげに書きこんだコメントに茫然としたのではないか。
 
 三沢光晴を知らないことはプロレスを知らないことと同じ。つまり、プロレスの一般認知度は、ファンが思っている以上に低かったのである。
 
 だからこそ、三沢は社長として、リングに立ち続けなければならなかったのか。
 
 だが、この結末は、あまりにもひどすぎる。
 
 プロレスにあそこまで貢献した三沢が、なぜ、試合中の死、という、プロレスの罪をかぶせるような最期になってしまったのか……。
 
 
 4月から地上波放映枠を失ったノアは、新たな方向性を模索していた。
 その一つが、三沢光晴の天狗ネタ。
 

 
 「エロ社長」と揶揄させる三沢の本気の表情は、いま見ても笑いがこみあげてくる。
 しかし、そんな三沢の新たなファイトを見ることはできなくなった。
 
 
 アイルトン・セナの事故死以降、F1界は急変した。安全対策のために、多くのコースは改修されることになる。その結果、F1を見なくなったという人は少なくない。
 いっぽうで、事故時のセナのマシンであったウィリアムズに法的責任が問われることにもなった。
 
 プロレス界も、ファンだけではなく、世間にも納得できるものを用意しなければならないだろう。
 社長がいなくなっても巡業を続けているノアの姿勢には拍手を送りたいが、その一方で、この事故の原因については、法的措置も含め、論議していかなければならない。
 
 そうでないと、プロレスは終わる。
 
 
 ただ、この事件を機に、一人でも多くの人が、三沢光晴の試合を見たのならば、せめてもの幸いであると思う。
 
 
【追記】
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090615-00000016-ykf-spo
 
 三沢の死因は、頸髄離断、とのこと。
 事故が起きた映像を知らないので推測するしかないが、やはり、受身を取れなかったのだろう。どうして三沢が、と嘆息するしかないのだが。
 
【さらに追記】
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090617-00000092-san-soci
 
 こちらの記事では、プロ同士では責任を問われないとあるが、果たしてそうだろうか?
 ファンだけではなく、一般の人々に納得できる回答を、ノアという団体だけではなく、プロレス界全体で出さないといけないと思う。