O.S.カード『エンダーのゲーム』(評価・A+)

 
正義も公正さもない理不尽なゲームに勝ち続けた少年エンダーの物語
 

 
 新訳版を買ったのだが、文章がひどい。ひどすぎる。ろくに推敲してないような悪文である。
 これは訳者の怠慢のせいか。映画上映に合わせて出版スケジュールを敢行したせいか。それとも、原文自体が下手なのか。SF作家は、おしなべて文章がヘタ、といったのは、カート・ヴォネガットだったか。
 しかし、そんなひどい悪文をもろともしない物語が『エンダーのゲーム』にはある。
 
 
 本作は、少年エンダーが人類を救う話である。
 
 この作品が長編作品として米国で刊行されたのは1985年である。空爆映像の美しさから「ニンテンドー・ウォー」と呼ばれた湾岸戦争は1991年のこと。そして、今では米国軍が無人機による爆撃を実現するに至っている。「『エンダーのゲーム』が現実になった!」、と語るSFファンは多いだろう。
 しかし、たいていのSF作品は、的中と同じぐらいの外れがある。今作では東西冷戦の遺物である「ワルシャワ条約機構」という死語が出てくる。また、SF定番の人口抑制政策も、現在世界ではほとんど行われていない。日本では出生率を高めるべく、政府が四苦八苦しているぐらいなのだ。
 今作は「予言は的中」したから価値があるのではない。
 
 それに、タイトルを見るだけで、話の筋書きがわかると豪語する人は多いだろう。
「エンダーという少年がプレイしていたゲームが、実は人類の存亡をかけた戦いだったんだろ?」
 そんなアイディアで書かれたSF小説は無数にある。
 米国による無人爆撃機の実現は、ゲームの達人が優秀な兵士とはなれないことを証明した。たとえ、反射神経が良く、撃墜数が少なくとも、実際の戦争をゲーム感覚でプレイすることはできない。兵士に必要な精神力は、ゲームでは鍛えることができないのだ。
 その問題を今作は鋭く指摘する。ゲーム感覚で世界を救うことはできない。
 
 エンダーは天才少年である。ゆえに、宇宙戦争の指揮官候補として、家族や故郷から隔離され、士官候補養成学校に入れられる。
 その学校に向かう宇宙船の途中で、新入生を前に、校長はエンダーを特別扱いすることを宣言する。「おまえらは、こいつの下で戦うことになるだろう」と。
 この大人のえこひいきに子供たちは敏感に反応する。他の同級生は、エンダーを敵視し、大人たちに見えないようにイジメを始める。
 その凄惨な描写は「日本のイジメは、米国よりはマシなんじゃないか」と錯覚してしまうほどだ。
 それでも、エンダーは持ち前の観察力で、危機を切り抜け、なんとか味方を作ることに成功する。
 
 そして、クラスに馴染みだした途端、飛び級である。
 友達ができたと思ったら、年上だらけのクラスに放り込まれる。平等を建前とする日本の教育を受けた僕には、その合理主義の徹底ぶりには恐ろしさを感じる。
 このあたりで、エンダーの天才ぶりに共感できなかった読者も、同情するようになるはずだ。
 
 やがて、エンダーは、とあるゲームに参加することになる。コンピューター・ゲームではなく、スポーツの「試合(ゲーム)」だ。ハリー・ポッターでいうところの「クィディッチ」だが、校長の温情査定が入るような甘っちょろいものではない。
 エンダーがそのゲームを理解し、さらなるアイディアを出し、チームメンバーを鍛えたとたん、そのメンバーをトレードに出されたりする。エンダーのチームだけは、直前になるまで相手が知らされていない。ギリギリに伝えられて、準備もできないまま、試合をさせられたりする。
 
 ゲームとは、ルールがあり、双方公正でなければならない。
 しかし、エンダーのゲームは、大人たちが、どんどんルールを改正し、エンダーを不利にするように仕向けている。理不尽きわまりない。
 こうして、心が折れそうになったエンダーに、ある者が語りかけるのだ。
 
「もしかして、人類存亡の戦争自体がウソじゃないのか?
 映像では見たけれど、僕はそれを実際に見たことがない」
 
 それでも、エンダーはゲームを続ける。
 そんなエンダーについていく者もいる。
 しかし、彼らの多くは、エンダーに信用されればされるほど、頼りにされればされるほど、そのゲームではついていけなくなるだろう。
 そして、大人たちがエンダーに課すゲームはいつだって「圧倒的不利な状況」からなのだ。
 
 と、ここまでが上巻である。下巻の展開の面白さは読んでいただくほかない。
 
 僕はエンダーがゲームのルールを日々改正する大人たちに激怒する場面を読みながら、冬季スポーツのことを思った。
 ノルディック複合ジャンプ競技は、日本人が活躍すると、ルールが改正された(ように感じる)。そんな欧米人の「俺様ルール」に、日本人は忍従することをしいられてきた。
 だから、僕はエンダーが「大人ってやつは、卑怯だ!」という叫びに共感したのだ。
 
 しかし、すべてが終わったとき、エンダーは「大人」の本当の意図を知るだろう。
 
 
 少年が主人公であるが、ただの子供向けの作品ではない。いじめは容赦なく、丸く収まることもない。復讐のためには自殺するしかないと思いつめている人は、本作を読んでみるといい。「復讐は生きてこそ」である。どんな理不尽もしのいでみせたエンダーの過酷な生き様を見習うべきだ。
 本作の最大の魅力は、そんな「強烈さ」にある。これに比べれば、日本の娯楽作品は生ぬるいと感じる。特に、小説は言葉だけだから、漫画よりも、強烈な描写が許される。
 
 少年が世界を救う。
 それは、日本のアニメやゲームで描かれていた展開だが、彼らがエンダーほどの孤独さと知性を持ち合わせていたかは疑問だ。
 なぜ、少年に人類の未来をゆだねなければならなかったという設定を含め、「日本のアニメ最高!」とか言ってる人は、読まなければならない作品だ。とんでもなくひどい文章だけど。