マイケル・ジャクソン傑作選(4) HIStory Disc2(対訳つき)

 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】 - esu-kei_text 
 
 

 

Childhood/少年期(1995)
Written by Michael Jackson
 
 
僕の子供時代を見なかったかい?
僕はかつて自分がいたはずの世界を探している
なぜって 今までずっと求めていたんだ
自分の心の忘れ物が置いている場所を
 
誰も僕のことをわかってくれない
みんな奇異なものを見るような目をする
僕が幼稚なものに囲まれて子供みたいだからって
でも放っておいてほしい
 
人々は僕がまともじゃないと言う
僕がこんな子供じみたものが好きなのは
それを背負って生きていかなければならないから
自分が知らない子供時代の埋め合わせをするために
 
 
僕の子供時代を見なかったかい?
僕はその中にこんなときめきを探している
海賊を退治して王様になる英雄たちの
胸おどるような冒険物語を
 
僕のことを裁く前に
受け入れようとしてほしい
自分の心と向き合って
それからたずねてみてほしいんだ
僕の子供時代のことを
 
人々は僕がまともじゃないと言う
僕がこんな子供じみたものが好きなのは
それを背負って生きていかなければならないから
自分が知らない子供時代の埋め合わせをするために
 
 
僕の子供時代を見なかったかい?
僕はその中にこんなときめきを探している
みんなでわかちあえるようなおとぎ話を
僕も思いきって、空を飛んでみるような夢を!
 
僕のことを裁くまえに
まず受け入れようとしてほしい
僕が過ごしてきた あのつらい子供時代のことを
 
 
僕の子供時代を見なかったかい?
 

 
 
 この「Childhood/少年期」のPVを見たファンは驚いただろう。まるで死に化粧のように、白く塗りたくったメイクのマイケル・ジャクソンが、目を輝かせて「空を飛んでみるような夢を見ているんだ!」と歌う。このときの彼は35歳である。
 そこには、かつてファンが抱いていた、カッコいいマイケル・ジャクソンの面影はない。
 
 家族向け映画フリー・ウィリー2の主題歌として作られた曲だが、この歌詞をマイケルの自叙伝と読み取る人は多い。特に、最後にためらいながら語りかける「僕が過ごしてきた、あのつらい子供時代のことを」という一節は痛切だ。
 11歳でデビューしたマイケル・ジャクソンは、誰もが過ごした少年時代を経験できないまま、思春期を終えた。その埋め合わせをするために、僕には子供の友達が必要だったんだ、と彼は語る。
 
 そんな彼の友情を打ち砕いたのが、1993年の少年性的虐待疑惑だった。
 今ではこの疑惑が卑劣なでっちあげであることが明らかになっている
(くわしくはWikipediaの項目を参考に)
 しかし、当時は、映画やドラマで流行していた犯罪心理学者の憶測に基づく根拠を多くの人は信じたものだ。
 
 例えば、マイケルの母が熱心なエホバの証人の信者であり、マイケルもまた、その信者であったという事実。
 エホバの証人は輸血を受けつけないなど、厳格な教条主義で知られる。その閉鎖性は米国でも問題となっていて、児童虐待の疑いがあると見られていた。そんな宗教にマイケルが属していると人々が知ったとき、彼の性的虐待疑惑はまぎれもない事実だと思いこんだのだ。物的証拠が一つもないにも関わらず。
 
 マイケルの音楽は、世界中の人々に愛されている。日本でも、イスラム圏でも、マイケルの音楽は流れている。なぜならば、そこには特定の宗教色がなかったからだ。エホバの証人は、人間よりも聖書の字句を尊重するが、マイケルはそうではなかった。彼は何よりも人間を愛していたはずだ。
 では、なぜ、彼の兄である三男ジャーメインのように、イスラム教徒に転宗するなどをしなかったのか。それは、母キャサリンの思慕ゆえだろう。彼は母を悲しませたくなかった。だから、母が信じる教えから離れられなかったのである。それが、マイケル・ジャクソンの優しさであり、弱さであったと思う。
 
 この「Childhood/少年期」のPVに話を戻そう。この映像で、マイケルは夢の船に乗る少年少女を優しく見守っている。しかし、彼はその夢の船に自分が乗ることができないのを知っている。空を飛ぶ夢を見ても、それが許されるのは、子供だけであることをわかっている。なぜなら、彼は大人だからだ
 彼は自分が夢を見る立場ではなく、夢を与える立場であることを自覚していた。決して、彼はただのアダルト・チルドレンではない。
 
 エンターテイナーには子供心が欠かせないと思う。マイケルの曲やPV、そしてコンサートが話題になったのは、彼のセクシーさよりも、子供にもわかるスゴさがあったからだ。世界中のファンに新鮮な驚きを与え続けられたのは、誰もが失うはずの童心を、彼が大事に守ってきたからなのだ。
 しかし、1993年の少年性的虐待疑惑は、そんな彼の聖域を踏みにじったのだ。
 
 僕はこの「Childhood/少年期」にイノセンスを取り戻そうとするマイケルの必死さを感じる。「僕が子供じゃないことはわかってる。誰にも迷惑をかけるつもりはない。ただ、僕の邪魔をしないでほしい」というマイケルの切実な思いが、この曲にはこめられている。
 
 
 さて、この「少年期/Childhood」は前回に紹介した「叫び/Scream」カップリングシングルとして発表された。そして、それはHIStoryという、彼の初のベスト・アルバムに新曲として収録された。
 
 「HIStory」は、もともとベスト+新曲の一枚組で発売される予定だった。それらの新曲は、どれもマイケル・ジャクソンの名声を傷つけない商売戦略がなされていた。
 
 その代表曲の一つが「You Are Not Alone/あなたは一人じゃない」
 
 

 
 R・ケリーの作詞作曲によるこの歌は、マイケルのハイトーン・ボイスを堪能できる素晴らしい楽曲である。どんなゴシップを信じる人も、マイケルが偉大なボーカリストであることを認めないわけにはいかないだろう。ヒットするべくしてヒットしたシングルだといえる。
 
 そして、マイケルが本心をさらけだした「Scream/叫び」と「Childhood/少年期」には、それぞれ、妹ジャネットとの共演映画の主題歌という話題作りがあった。それは従来のファンには受け入れがたいものであったとしても、しかるべき売上が期待できたのである。
 
 しかし、「Scream/叫び」と「Childhood/少年期」を作り上げたマイケルには新たな創作意欲がわいてきたのだ。今の感情を音楽にすることで、メディアのバッシングで傷ついた魂を癒すことができることに気づいたのだ。それらの楽曲は、多くの反発を招くかもしれないが、ファンの胸に響く音楽が作れるはずだ、と。
 
 こうして、「HIStory」は急遽、新曲をまるまる一枚おさめた二枚組ベストとして発売されることになったのである。彼のベストアルバムだけを聴きたい人にとっては、抱き合わせ商法といわれてもおかしくないパッケージだった。
 
 だが、マイケルはそこまでしても今の感情を伝えたかったのだ
 
 
 この「HIStory Disc2」の中で、もっとも攻撃的な曲が、二曲目の「They Don't Care About Us/奴らは僕たちを気にしちゃいない」である。
 この曲は、死の二日前のリハーサル映像で取り上げられて、多くの話題となった。開演することなく終わったThis Is It!」というコンサートにおいて、この曲はハイライトとなる予定だったはずだ。
 
 

 

They Don't Care About Us/奴らは僕たちを気にしちゃいない(1995)
Written by Michael Jackson
 
スキンヘッド デッドヘッド とんだ悪解釈
状況 深刻化 主張
スウィートルームで ニュースに群がる くそったれ
Bang! Bang! ショック死 狂ってやがる
 
僕が言いたいのは
奴らは僕たちを気にしちゃいないってこと
そうさ
奴らは僕たちに構いやしないんだ
 
 
殴ろうとも憎もうとも 僕をくじかせることはできない
命令しようが怖がらせようが 僕を殺すことはできない
噛みついて 訴えて 僕をもてあそぶ
蹴落とし 引き上げて 僕に白黒を求めるな
 
僕が言いたいのは
奴らは僕たちを気にしちゃいないってこと
そうさ
奴らは僕たちに構いやしないんだ
 
 
僕の生活はどうなっちまったんだ
僕には愛する妻と二人の子供がいる
僕は警察に暴行を受けた
憎しみの犠牲者になるのはたくさんだ
僕のプライドは剥ぎ取られていく
ああ、お願いだ
天を見上げ、預言の成就を願う
僕を自由にしてくれ!
 
 
スキンヘッド デッドヘッド とんだ悪解釈
恐怖 憶測 主張
スウィートルームで ニュースに群がる くそったれ
黒人 恐喝 兄弟たちを刑務所にぶち込む
 
僕が言いたいのは
奴らは僕たちを気にしちゃいないってこと
そうさ
奴らは僕たちに構いやしないんだ
 
僕の権利はどうなってしまったんだ
無視するなんて 僕の姿が見えないのか?
君は僕の自由を約束したんじゃなかったのか?
恥の被害者になるのはたくさんだ
僕は悪名リストに放り込まれた
まさか生まれた国でこんな仕打ちを受けるなんて
僕は思ってもみなかった
 
こんなこと言いたくないんだけど
僕は政府は認めたくないんだ
もしルーズベルト大統領が生きていたら
こんなこと許さなかったはずだ
 
 
スキンヘッド デッドヘッド とんだ悪解釈
恐怖 憶測 主張
殴ろうが叩かれようが 僕を棄てることはできない
打とうが蹴ろうが 僕を捕えることはできない
 
僕が言いたいのは
奴らは僕たちを気にしちゃいないってこと
そうさ
奴らは僕たちに構いやしないんだ
 
 
生きるうえで見たくないものがある
でも言わせてくれ
もしキング牧師が生きていたら
こんなことにはならなかったはずだ
 
スキンヘッド デッドヘッド とんだ悪解釈
状況 深刻化 主張
スウィートルームで ニュースに群がる くそったれ
蹴落とし 引き上げて 僕に白黒を求めるな
 
僕が言いたいのは
奴らは僕たちを気にしちゃいないってこと
そうさ
奴らは僕たちに構いやしないんだ
奴らは僕たちに構いやしないんだ
 

 
 この曲は、ただのマスコミ批判でも米国批判でもないと思う。
 
 僕にもっとも強く響くのは次の一節である。
 
「Somethings in life they just don't wanna see/生きるうえで見たくないものがある」
 
 「Childhood/少年期」を僕は「失ったイノセンスの再生を願う歌」と受け止めている。では、なぜ、マイケルのイノセンスは喪失したのか。それを、この一節の中に見ることができる。
 
 この曲の主人公は、マイケル自身ではない。それは「僕には愛する妻と二人の子供がいる」という一節から明らかだ。1994年にリサ・プレスリーと結婚していたが、彼には子供はいなかった。また、「僕は警察に暴行を受けた」というが、マイケル自身にその事実はない。
(ただし、警察に捕まったときに、トイレに45分閉じこめられた、とか、無実を主張するために全裸の写真を撮られた、という事実はある。全裸の写真は、彼が「尋常性白斑」によるまだら模様を記録するために使われた。そして、被害者少年の証言が異なっていたことから、マイケルの犯罪性はないとされたのである)
 
 しかし、マイケルはそこで社会の不正を見たのだ。彼がそれまで信じていた母国の理想を喪失するほどの。
 
 この歌詞では、日本人には唐突に思えるルーズベルト大統領の名が出てくる。第二次世界大戦で日本と戦ったルーズベルトを好意的に感じない人は多いだろう。ただし、マイケルにとっては、それは正義の象徴だったと思う。
 ABCD包囲網から真珠湾攻撃などの細部を語るとなると、どうしても日本人にはナショナリズムが出てくるところがあるが、決して、マイケルは日本を挑発するためにルーズベルトの名前を出したわけではない。
 それは、その後に、キング牧師の名を出していることからも明らかだ。キング牧師は黒人の公民権運動の非暴力主義者の象徴である。
 
 
 僕にとって、この曲はThe Whoババ・オライリィを想起させる。
 その曲では「Teenage Westland/不毛な十代」と何度も叫ばれる。僕はババ・オライリィを子供であることをやめ、自立を目指す歌だと僕は受け取っている。
 同じように、この「They Don't Care About Us」も、理想に甘えることをやめた男の自立の歌だと受け止めるべきだろう。
 
 ただし、この曲は普遍的なメッセージを獲得することはできなかった。理由は、この「Us」が何を指しているかである。マイケルの音楽は白人も黒人も聴いているが、この歌詞は「黒人にのみ向けられた歌」という印象が強すぎる。白人ファンはこの曲を聴いて、自分がどの立場に属すのか迷ったはずだ。
 そして、黒人ファンにとっても、マイケルに同胞意識を持つことは難しかったのではないかと思う。
 
 マイケル・ジャクソンが成功したのは、その特異性によってである。彼のスター性にひかれて、人々は彼の音楽を聴いているのだ。孤高の存在であるマイケル・ジャクソンが「僕たち」と叫んでも、その中に自分が含まれていると賛同するファンはいなかったのではないか。
 
 こうして、この曲は「ただのメディア批判」と片付けられる運命にあった。しかし、マイケルはみずからの被害妄想だけを形にしたのではなかった。この曲を作った感情をどう届けるか、彼はずっと考えていたのだろう。
 だからこそ、「This Is It!」という公演のハイライトとして、この曲に新たな響きをもたらせようと努めたのだ。
 
 さて、この「They Don't Care About Us」のPVには二種類ある。先に紹介したのは「プリズン・バージョン」と言い、きわめて暴力的な表現が多く、ほとんどのTV局には放映されなかった。そのために、続いて作られたのが、下の「ブラジル・バージョン」である。
 
 

 
 なんと、このバージョンは、ブラジルの町ひとつを借り切って撮影しているのである。作り直しとは思えないほどの予算がかかったPVなのである。
 
 なぜ、ここまでマイケルはPVに制作費を注ぎこむのか。そんなことにお金を使うつもりならば、どこかの保護団体に寄付したほうが良いではないか。これを無駄遣いだと感じる人は多いだろう。
 
 しかし、マイケルにとって、このような莫大な制作費にも理由があったのである。
 
(1)映像技術の発展のため
 マイケル以降、音楽のPVという映像手段に注目が集まった。それは、新たな手法を生み、さまざまな技術をもたらすきっかけとなった。そんな映像時代を牽引するために、マイケルは投資を惜しまなかったのである。それは、自身のレコード売り上げを伸ばすだけではなく、新たな文化の可能性を切り開くことができると信じていた。その映像美は多くの人に生きる活力を与えるとマイケルは思っていたのだ。
 
(2)ロケ地の発展のため
 この「They Don't Care About Us」は、撮影地に多くの富をもたらすことになった。マイケルはこのPV以降、海外でもロケを行うようになる。その代表作が「Earth Song」であり、これは世界四ヶ所にて撮影が行われた。それによって、その地方の経済を活性化させることができたのである。決して、マイケルのPVは自分だけを豊かにするのではない。自分に関わる人を豊かにするために、彼は制作費を惜しまなかったのである。
 
 
 その「Earth Song」では、大地の嘆きが乗り移ったかのようにマイケルは叫ぶ。
 
 

※最後の字幕までごらんになってください
 
 
 環境問題は、日本人にとっては、なじみがうすいと思う。日本は自然に草が生えるという豊かな環境にある。大地に耳をすませても、そこから大地の悲鳴を聞くことが難しい。そのために、日本には「人間の努力で環境を変えることができる」という文化が育たなかった。だから、このマイケルの叫びを真剣に受け止めることができないかもしれない。
 
 しかし、「Earth Song」はドイツとイギリスで大ヒットした。そして、この曲を聴いた人は気づいたのだ。
 マイケル・ジャクソンでなければ、このような曲は歌えないことを。
 童心を忘れない純粋なマイケルだからこそ、人々の心を震わせることができることを。
 
 こうして、ヨーロッパでは、心ある人は米国発のマイケルのゴシップを信じなくなったのだ。マイケルがノーベル平和賞にノミネートされるほど敬愛され始めるのは、この曲がきっかけの一つである。
 
 ところが、「Earth Song」は米国ではシングルカットされなかった。米国では、このようなマイケルのメッセージは受け入れられないと判断されたからだろう。
 しかし、米国でこの曲がヒットすれば、マイケル・ジャクソンというアーティストの特異性を知ることができたはずだ。子供とともに遊ぶような彼だからこそ、こんなストレートなメッセージを、ドラマティックな展開で歌い上げることができたのだ。
 
 
 マイケルは、ずいぶんと人に騙された。きわめつけは、自身のドキュメント番組マイケル・ジャクソンの真実である。マーティン・バシールというジャーナリストにドキュメント番組を撮ってもらうことにより、人々の偏見をくつがえすことが信じていたマイケルだが、その番組は悪意に満ちた編集がされていた。逆に、この番組のせいで、新たな裁判を招く結果に終わってしまったのだ。
 
 彼は決して賢明な人間ではなかったかもしれない。ただ、それは彼のアーティスト性をおとしめるものではない。この「Earth Song」を聴けば、環境問題に偽善性を感じている人も、マイケルの必死さはわかってもらえるのではないかと思う。
 
 
 このように「HIStory」の新曲はメッセージ性がきわめて高い曲がずらりと並ぶ。それは往年のファンにとって、彼の音楽を聴いてダンスをしたい人たちにとって受け入れられるものではなかった。だから、これら新曲の評価はきわめて低い。
 
 そんな感情過多な「HIStory」新曲集の中で、不気味なほどの静けさを保っている曲がある。
 それが3曲目に収録された「モスクワの異邦人/Stranger in Moscow」である。
 
 

 

 
Stranger in Moscow/モスクワの異邦人(1995年)
Written by Michael Jackson
 
雨の中をさまよっている
(狂気じみた人生の仮面)
とつぜん天の恵みが振りそそいできた
(晴れわたった日々を遠くに感じる)
クレムリンの影が僕を見下げている
スターリンの墓が僕を縛る)
休むことなく続く
(この雨が自由にしてくれたなら)
 
どんな気がする?
どんな気がする?
君がたった一人で
さめた心を抱えているとき
 
 
おとしめられた僕の名前
(脳のハルマゲドン)
KGBが僕を避けていく
(名前を奪って自由にさせてくれ)
すると、物乞いの少年が僕の名を呼ぶ
(幸福な日々は痛みをやわらげるだろう)
休むことなく続く
そしてまた、そしてまた
(名前を奪って自由にさせてくれ)
 
どんな気がする?
どんな気がする?
君がたった一人で
さめた心を抱えているとき
 
 
それはモスクワの異邦人のように
僕はモスクワの異邦人のように
これは危ないことを話してるんだ
これはとても危ないことを話してるんだぜ
 
モスクワの異邦人のように
僕は孤独に生きている
モスクワの異邦人のように
僕は孤独に……

 
 ファンはこの曲に「美しさ」「優しさ」を感じるという。しかし、二番の歌詞を読んでいただきたい。そこに狂気を感じないだろうか。
 最後に、彼は「Danger」と叫ぶ。はたして、何が危険なのか?
 
 実は、この曲はデンジャラス・ツアーの最中に書かれたものだという。モスクワ公演が行われたのは、1993年9月。そのとき、米国では彼の少年虐待疑惑に世間が沸騰していた。
 その知らせは、彼に古傷である偏頭痛を再発させた。1984年のCM撮影中の火傷の後遺症によるものである。彼の精神のアンバランスさの警鐘だったのだろう。
 
 マイケルはダンスの極意をたずねられたとき「何も考えないことさ。そうすれば、体が勝手に動いてくれる」と語っている。そんな彼にとって、頭痛はパフォーマンスをいちじるしく妨害するものだった。そのために、彼は鎮痛剤を多量に服用するようになる。その結果が、薬物依存症であった。
 この「モスクワの異邦人/Stranger in Moscow」の歌詞の「脳のハルマゲドン」とは、その偏頭痛のことを指すのだろう。
 
 そして、二番に出てくるKGB旧ソ連の秘密警察は1991年に解体されており、通行人の中にそれを見出すことはできないはずである。だから、これは妄想である。
 そんなファンタジーの存在であるKGBに彼は懇願する。「Take my name/名前を取ってくれ」。彼は彼自身であることをやめようとしたのだ。
 しかし、その妄想は物乞いの少年の叫び声にさえぎられる。
 
 この曲は、あまりにも象徴的であり、「HIStory Disc2」の他の作品に比べると、何一つメッセージ性がない。だが、この何もなさにこそ、この曲の狂気がある
 彼が何度も問いかける「How does it feel?/どんな気がする?」という恐ろしいまでに優しいささやき。
 この曲の美しさを、僕は「狂気に至る前の静けさ」と受け取っている。
 そのような自我崩壊の危機にある感情を、マイケルは「モスクワの異邦人」というイメージに託したのだ。
 
 
 1993年の少年性的虐待疑惑は、マイケル・ジャクソンの心にあった輝かしいものを奪い去ることになった。ファンの中には、マイケルを訴えて巨額の富を得ようとした少年の親、その疑惑が物的証拠がないにも関わらず確信に満ちた調子で報じたメディアを許せないと思っているかもしれない。
 
 しかし、マイケルはその疑惑を通じて「見たくもないものを知ってしまった」のに関わらず、それを歌おうとしたのである。
 人々の移り気の早さを嘆くよりも、この「HIStory Disc2」をじっくりと聴きこんでもらいたいと思う。
 
 この新作集は楽曲によってプロデューサーもバラバラであり、統一感はない。それまでのアルバムよりも完成度は低い。
 「リトル・スージー」なんて馬鹿げた歌もある。架空の少女の孤独死を感動的に歌いあげるマイケルのことを、ついていけない、と思えるかもしれない。
 
 しかし、だからこそ、この新作集は、マイケルの感情に直接ふれることができる作品であると僕は思う。
 
 「HIStory」の新曲集で、マイケルは喪失したもの、歌わなければならないことを音楽に託した。そのメッセージを受け止めるのは、決して今からでも遅くはないはずだ。
 
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History

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【関連動画】
 

 
 「少年期/Childhood」PVのメイキング映像である。ご覧の通り、マイケルの撮影は青色の壁をバックに行われた。PVでの夢の船を見守る彼の眼差しは演技にすぎないのである。もちろん、それは合成映像を計算された上での撮影になったわけだが。
 マイケルの行動の自由は限られていただろう。しかし、映像の中で、彼は世界中を気ままに旅することができたのだ。おそらく、この「少年期/Childhood」の映像を見て、一番喜んでいるのは彼本人であるのかもしれない。彼は、マイケル・ジャクソンがPVで様々な活躍をしているのを見るのを幸せに感じていただろう。だからこそ、PVに巨額な制作費をかけることを辞さなかったと思う。
 
 

 
 「モスクワの異邦人/Stranger in Moscow」のライブ映像。HIStory World Tourにて、彼の素晴らしいダンスをこの曲で披露している。やはり、マイケルのタップ・ダンスのハイライトはロボット・ダンスだ。なぜ、ここまで軸がぶれずに、なめらかな動きを見せることができるのだろう。
 このヒストリー・ツアーは、38ヶ国82公演という大規模な公演となったのだが、彼の母国であるアメリカ合衆国では、ハワイでしか行われていない。マイケルは自分に冷たい仕打ちをした米国を許さなかったのだろう。
(その後、2001年のソロ30周年記念コンサートは、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで行われたが、最後の公演だった「This Is It!」も英国ロンドンが舞台になった)
 
 

 
 HIStory World Tourでの「They Don't Care About Us/奴らは僕たちを気にしちゃいない」のライブ映像。囚人というより軍隊を思わせるコスチュームといい、途中の星条旗といい、与える印象は逆ではないかと思う気がする。「This Is It!」で公開されるはずだったバージョンと比べると、観客にその意図は誤解されたのではないかと思われる。
 なお、最後にプッツリと切れるのはメドレー形式だからである。音楽的には面白いかもしれないが、歌詞の内容を考えると、この編成はベストではなかったと思う。
 
 

 
 この死の二日前のリハーサル映像を見れば、マイケルが伝えたかった内容がよりわかるのではないか。
 間奏ではキング牧師の演説が引用されている。こうして見ると、社会の不正に最後まで戦おうとしたマイケルの意志を感じることができる。
 そして、画面が暗転したあとに見せる安堵の微笑みは何度見ても素敵だ。
 「This Is It!」のリハーサル映像は編集を加えて、公開されることになった。決して、それでマイケルの死の埋め合わせができるわけではないが、マイケルがボロボロの体になっても(命をかけてまでも)伝えようとしたステージ・パフォーマンスを見ることができると期待している。
 
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