マイケル・ジャクソンの抜け殻、死の二日前のリハーサル映像
検視官によるマイケル・ジャクソンの死に顔を描いた克明なスケッチが話題になっている。
好奇心でそれを見た僕は、激しい後悔に襲われた。
*日刊スポーツに掲載されたマイケル・ジャクソンの素顔←閲覧注意!!
これは、我々が見るべきものではない。近親者や関係者のみ見ることが許されるものだ。
化粧をほどこした安らかな死に顔しか知らなかった僕にとって、あまりにもショッキングな画像だった。
このようなスケッチを公開することは、死者を冒涜する行為であり、許せないことであると思った。
しばらくして、気を静めたあとで、もう一度、そのスケッチを見る。
鼻や顎の手術跡、頭の火傷、そして178cmでありながら50kgしかなかった体重。
やせこけた50歳の男の死に顔は、僕の知るマイケル・ジャクソンの特徴と合致していた。
しかし、これがマイケル・ジャクソンの素顔ではないと思った。
これは、マイケル・ジャクソンの抜け殻なのだ。
その死の二日前のリハーサル映像が、Youtubeで公開されている。
予定していたロンドン公演の興行主が「まるで20代のようだ」と表現した、死の寸前のマイケル・ジャクソンだ。
そう、これこそ我々が知るマイケルである。
スマートなアクションと素敵な笑顔。
ゴシップを信じていた者たちも沈黙せざるをえない、マイケル・ジャクソンの圧倒的な存在感がそこにはあった。
繰り返すが、これが死の二日前の映像なのだ。
マイケルはこのパフォーマンスを見せるために、どれだけのものを犠牲にしたのだろう。
彼は全身性エリテマトーデスという病気におかされていた。
軋む肉体を酷使しても、彼の魂は「あのマイケル・ジャクソン」をファンにもう一度見せることができると信じていた。
それは想像を絶するほどの痛みと苦しみに満ちたものだったのだろう。
このステージはリハーサル映像という形でしか残されなくなってしまったが、その魂が肉体を切りつめても伝えようとしたものはわかるはずだ。
1990年代から、マイケル・ジャクソンの人気は凋落した。
その理由の一つとして、若者たちがニルヴァーナやパール・ジャムといったオルタナティブ・ロックに「本物」を見出したそうとした風潮があるだろう。彼らによって、マイケル・ジャクソンは「商業主義」の代名詞として罵られるようになったのだ。
だが、マイケル・ジャクソンは50歳になっても、病気におかされながらも、マイケル・ジャクソンであり続けようとした。
それは「本物」ではなくて「商業主義」なのだろうか。
検視官の描いた、やせこけた50歳の男の死に顔。
その死体には、かつて、偉大なる魂が宿っていた。
僕はその抜け殻を見ながら、彼の魂のことを考える。
彼がたどった道は、一人の黒人にとっては、あまりにも数奇で、ありったけの成功と苦難にあふれたものだった。
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