チェ・ゲバラ「ゲリラ戦争」 ―正々堂々たるゲリラ戦争論 (評価:A)

ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 (中公文庫BIBLIO S)

ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 (中公文庫BIBLIO S)

おすすめ度:★★★★☆
イデオロギーとは、好きなプロ野球球団みたいなものだと思う。「阪神」好きな人と「巨人」好きな人が恋愛に落ちてもおかしくない。それぞれの人には、その球団を好きになった「背景」がある。「右翼」と「左翼」について僕が抱いているのは、その程度の認識でしかない。

もちろん、民主制は多数決をとるため、それぞれの政治家が思想的信条を掲げ、それに基づき行動しなければならない。ただ、善悪をはっきり主張したがる二大政党政治アングロサクソン人だからできることで、日本人には無理だと思う。選挙が故郷に新幹線を引くための意味をなさなくなり、民主党が迷走をつづけている今の日本にふさわしい政治形態はなにか? その答えを僕を含めた多くの人が見いだせないでいる。

さて、チェ・ゲバラというキューバの革命家は、今なお、その肖像画を目にすることができる人物である。ソヴィエト連邦が崩壊し、社会主義国家のほとんどが消滅したなかで、未だに彼の人気は高い。それは「カッコいい」というミーハーなものから「正義を貫いた革命戦士」というカリスマじみたものまで様々だ。はたして、人がゲバラという男に魅せられる理由はなにか? それが知りたくて本書を手にした。

本書はゲバラ自身による「ゲリラ実践論」である。奇襲攻撃を主とするゲリラ戦術は「卑怯である」と思われることが多い。農民に武器を持たせて、いたずらに秩序を混乱させているだけだ、と否定的に語られることもある。ゲバラはそんな世界世論に真っ向から対抗すべく「ゲリラ戦術にも法則性がある」と、正々堂々たる戦術・戦略論を記した。
もちろん、ゲリラ戦術は、ロマンティックでスポーツマン精神あふれる戦術ではない。秘密主義・陰謀的性格・不意打ち主義は、ゲリラ戦術では不可欠である。そして、ゲバラはこう書いている「勝利はつねに正規軍によってのみ達成できる」。ただし、こうつづける「たとえその正規軍がゲリラ軍から発展したものであろうとも」
ゲバラゲバラ戦士に求めるレベルは高い。時間厳守、飲酒・賭博の禁止。そして、革命思想への理解。もちろん、略奪はもってのほかで、協力する農民からの提供は、寄付であっても必ず「買う」。ただ、金銭がない場合は「期待債権」という約束手形になることもあるが。
ゲリラ軍にとって、もっとも大切なのは、住民の支持を得ていることである。装備・人数ともに少数であるゲリラ軍が勝利するためには、住民の協力なしにはありえない。ゲリラ軍がもっとも優先するべきは、農業改革である。第二次世界大戦終了後も、中南米では欧米の帝国主義は残っており、ほとんどの農地は一部の富裕層ににぎられていたのだ。そんな農民に自分たちの土地を耕すことができるようにすること。それが、キューバ革命軍の最優先事項であった。
このように、この「ゲリラ戦争」は、実に堂々たる戦術・戦争論である。しかし、これを実践するのは並大抵のことではないと思う。ゲバラが同時代人に批判された言葉は「理想主義者」であり「まるで教師のよう」というものだった。部下には愛されたが、同僚には好かれなかったのがゲバラという男である。
本書はキューバ革命という成果があるため世界中で読まれたが、ゲバラ自身も本書で体系化した戦争論を他の国で生かすことはできなかったようだ。
キューバ革命後、ゲバラ国立銀行総裁や工業大臣を歴任する。みずから政治の場に立つことで、革命政府を堅固なものにしようとしたのだが、ゲバラの「義を貫く」という強い意志は、政治の世界では不向きだった。ソヴィエト連邦を非難するようになったゲバラに対外圧力がかかり、元首カストロの意を汲んだゲバラは国外に脱出。アフリカのコンゴの革命軍を指導しようとしたが、言語・文化の違いにより半年で挫折。その後、南米ボリビアで革命軍を指導しようとしたが、捕らえられ射殺された。
ゲバラは教育のない者も差別せず、その真面目さを愛した。「農民たちに教わることは多い」とよく語り、ゲリラ兵士となった農民の若者たちにも絶大な支持を受けた。本書は、そんなゲバラの確固たる信念がひしひしと伝わる。そこには人種や民族の違いはまったく関係ない。ソヴィエト連邦が崩壊しても生き残ったゲバラ伝説は、そんな彼の強い眼差しが、時代をこえて人々を魅了させつづけたことにあるまいか。
以下、ゲバラのゲリラ戦術を列記する。

  1. 戦争が一連の科学的法則にしたがって進行することは明白である。これを無視するものはだれでも敗北する。
  2. 戦争の一形態であるゲリラ戦もこれらの法則のすべてによって支配される。しかしゲリラ戦は特殊な性格をもっているので、固有の一連の法則をも認識していなくてはならない。そしてゲリラ戦にもすべてに適用できる一般的法則というものは存在する。
  3. まだ遊撃戦的段階にあるあいだは、ゲリラ戦士の年齢は、最大限40歳をこえるべきではない。もっとも、農民のなかには、40歳をこえても堅強な身体を持つ者もいる。
  4. 年齢の最低限も決めておく必要がある。16歳以下の少年は、きわめて特殊な場合をのぞいて、戦闘に参加させるわけにはいかない。少年たちのなかにも、戦闘員として最高のレベルに達したいく人かの非凡な例があるが、これらは普通あることではない。偉大な戦闘能力を発揮したひとりの少年の背後には、家庭へ送りかえされたり、ゲリラ隊にとってしばしば危険な重荷となった少年が何十人といる。
  5. ゲリラ戦士の最高齢は25歳から35歳のあいだ。この年代に自分の家庭、子ども、自分の全世界を捨てて立ち上がった人は、だれでも自分の責任を十分に考えた上で、一歩も退かないという固い決意に到達したはずである。
  6. ゲリラ軍の一分隊は10人から15人がのぞましい。
  7. 一つの戦闘部隊の人数は150人をこえてはならない。100人ぐらいで一部隊を編成するのが理想的である。キューバの革命軍組織の場合は、以下のように編成した。
    1. 部隊 100〜150人
      (少佐が率いる。キューバ革命戦争で、ゲバラは少佐だった)
    2. 小隊 30〜40人
    3. 分隊 8〜12人(これが行動単位となる)
  8. ゲリラ戦士はあたかも宗教的儀式を守るように弾薬の節約をはかり、最後の一発までこれをよく利用しなければならぬ。また、敵の弾薬を利用するために、同一型の武器を使わなければならない。遊撃的段階においては、弾薬の生産ができぬため、敵軍への奇襲は弾薬の補給の意味もなさなければならない。
  9. ゲリラ戦士の装備は次のとおり。ハンモック、防水ナイロン布、毛布一枚、靴とその予備、ラードまたは食用油、缶詰食品、貯蔵加工した魚、コンデンス・ミルク、砂糖・塩、そのた甘味料、平鍋、ナイフ・フォーク、水筒、薬は用途の広いものを持つようにする、石けん、マッチとライター、歯ぶらし、歯みがき、方位磁針。そして武器と弾薬と専用油。
  10. 本を持っていくのもよい。交換して読むことができる。昔の英雄の電気、歴史、経済地理の本、およびその他の一般的性格の本など、兵士たちの文化水準を高め、賭博などの好ましくない娯楽への関心を低めるのがよい。
  11. 着がえを持ってもよいが、そうするのはたいてい新米の兵士である。普通はかえズボン一本を持つのがせいぜいで、下着やタオルなど余分なものをはぶく。背嚢をかついで歩くエネルギーをセーブするためには、不可欠なもの以外は装備すべきではない。
  12. ゲリラ生活では、規則的に体を洗うことは難しい。エル・ウベロの村にはいったとき、われわれの体からはなんともいえない悪臭が発散し、そばに寄ってきた人はみな逃げ出した。われわれの鼻はすっかり慣れてしまっていたのだが。
  13. もちろん、ゲリラ軍において、女性の果たす役割は非常に重要である。力は劣るけれど、耐久力は男性に負けない。女性には多くの特殊任務を課すことができる。連絡、運搬など。女性はあらゆる詐術をつかって手紙や金品を運ぶことができる。そして、地域の農民および兵士たちへの教育に、女性は欠かせない。また、医療でも、看護婦として、医師として女性は重要な役割を果たす。
  14. しかし、女性を使ったスパイも多い。若い男たちによるゲリラ軍にとって、女性は弱点となることが多い。彼女らは性的混乱を軍隊内に持ち込む。この女スパイたちの敵の上官との関係は明白で、有名であることもある。しかし、彼女たちから敵と関係している証拠を見つけ出すことは非常にむずかしい。だから、女性との関係を禁止することも必要である。
  15. 規律を従うことを条件とするならば、男女の戦士が結婚し夫婦として生活することも許すべきである。
  16. 都市へのゲリラ作戦において、サボタージュ(機能停止を目的とした破壊活動)が有効である。この部隊の人数は4ないし5をこえてはならない。ただし、生産設備を破壊して一部の人びとを麻痺状態におとしいれる(そして失業させる)ようなことはしてはならない。清涼飲料の工場にたいしてサボタージュをするのはバカげている。けれども、発電所にたいしてのサボタージュをやるのは正しい賢明なことである。
  17. サボタージュ(機能停止を目的とした破壊活動)を巧みにやれば、商工業活動はほとんど完全に麻痺し、全住民は不安と苦悩に追い込まれ、不安定な時期を終わらせるような激烈な事件の発展をほとんど待ちのぞむようになる。
  18. 労働者階級はゲリラ戦の最終段階に入るまで動きださない。
  19. テロリズムは無価値である。それはめざす効果を生まないし、人民を革命から離反させる。また、テロの効果にひきあわないほどの人的損害を味方におよぼすものだ。

本書を最初に手にしたときは、ゲバラ自身が書いた本とは思わなかった。しかし、読むとわかる。この文章はゲバラにしか書けない。1959年に彼は国立銀行総裁に就任し、この本の発行は1960年。その多忙な生活の中でも、世界に発表しなければならないという使命感がゲバラを動かしたのだろう。その強靭な精神力こそが、ゲバラの真の魅力である。
それにしても、日本人である我々は、ゲバラをどう受け止めたらいいのだろうか。農地改革は、GHQによってなされた。アメリカは日本を占領国としては扱わなかった。「日本はアメリカの植民地」と語る人は、南米でアメリカがとった政策を調べてみるといい。もちろん、それはアメリカと日本の距離の遠さにもある。アメリカの帝国主義を批判するゲバラの言葉は魅力的だが、たとえ60年代に学生時代をすごしていても、僕はそれに心から同意できなかったのではないか。もちろん、戦後行われたGHQの政策について、僕は教科書程度のことしか知らない。ゲバラの歯切れのいい戦争論を読みながら、戦後日本のことを知らなければならないと考えた僕であった。

【参考リンク】
チェ・ゲバラ―Wikipedia
フィデル・カストロ―Wikipedia
キューバ革命―Wikipedia

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