中国はなぜキューバに投資するのか?
2009年9月16日、米国メディアは記事「中国が“旧友”キューバとの関係を強化」を掲載。
なぜ資源もない貧しい島国のキューバに世界第3位の経済体となった中国が巨額の投資を続けるのか、解説している。
18日、環球時報が伝えた。
中国・キューバ間で結ばれた数々の協議、それは中国の世界進出戦略と合致したものではあるが、
しかし両国関係は金銭的なものを超えた政治的なつながりとなっている。
台湾問題、チベット問題などが国際化した時、キューバなどの国々は中国の立場を支持することになる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000015-rcdc-cn
この分析は、ちょっと悪意に満ちすぎていないかと思う。
いかにも人権問題に関心を持つ、米国知識人層を満足させるように書かれた記事ではないか。
キューバに中国が投資をする理由は、地理上から明らかだ。
1962年、キューバはソ連と密約を結び、核ミサイルを配備し、対米戦争に備えようとした。いわゆる、キューバ危機である。
それは、ケネディ大統領の英断で回避することができた、ということになっている。実際は、少なくない数の核ミサイルが配備されたまま、国民には知らされなかっただけだ。
キューバ本島から米国フロリダ半島までは、150キロしか離れていない。
そんな国家を味方につけることは、対米交渉では、非常に効果的なカードとなるだろう。
そして、キューバは中国と同じく社会主義国家で、長年、共産党が支配しているのだ。
ここまでの条件がそろっている国を、したたかな中国が見逃すはずないではないか。
さて、今のキューバの支配者は、フィデル・カストロの実弟ラウルである。
兄と違って、もともと共産主義者だった彼は、80年代後半はソ連のペレストロイカに代表される開放経済を目指していたし、90年代以降は中国をモデルとした経済政策をとってきた。
しかし、そんなラウルのソ連型・中国型経済は、ことあるごとに、兄フィデルの鶴の一声で、さまたげられることが多かった。
キューバでは、今年3月にラヘ副議長とペレス外相が失脚するという政変が起きた。
日本外務省のサイトでは、弟ラウルが兄の側近を追い払った、という書き方がされているが、カルロス・ラヘはラウルとともに、ことあるごとに経済改革を進めてきた官僚タイプの政治家である。
ラヘの失脚は、兄フィデル・カストロの意志であることは間違いない。
それは行過ぎた開放経済に歯止めをかけるためのものであっただろう。
フィデル・カストロという政治家は、富の格差を是正するために革命を成功させたという自負がある。それこそが、彼の正義である。だからこそ、ソ連や中国の真似をする弟ラウルに対して、時々怒りの鉄槌を下すのだ。
さて、キューバといえば、ゲバラである。
そのゲバラの本を中途半端に読んだ人は、ゲバラが「毛沢東びいき」であったことに失望するかもしれない。
しかし、ゲバラはそれほど中国にはくわしくなかった。
彼が毛沢東びいきであったのは、ラテンアメリカのマルクス主義(共産主義)者のほとんどが、ソ連のスターリンを崇拝していたことへのあてつけであった。
ちなみに、ゲバラは革命政権で経済産業大臣となり、中国に何度も行くことになるが、そのおかげで、毛沢東崇拝をすることはなくなった。
周恩来は高く評価したみたいだが。
毛沢東といえば、想像を絶する死者を出すことになった文化大革命を連想する人が多いだろう。
⇒文化大革命 - Wikipedia
実は、キューバでも似たようなことをやっている。都市の若者たちに山間部で過ごさせるサマーキャンプを実施したのだ。
そこで、若者たちは山間部の人たちに文字を教え、山間部の人たちは若者たちに農耕を教える。いかにも、共産主義な政策である。
その結果が、大量の妊娠者である。サマーキャンプではセックスが流行し、女生徒はどんどん孕んでしまった。その結果に、カストロ兄は苦笑いし、ゲバラは悪態をついたという。
そんなキューバが栄光の孤立を貫いていたのは、1968年までだった。
たしかに、1959年の農地改革以降、キューバはソ連に急接近したが、カストロ兄はソ連の手先となることを好まなかった。
特に、キューバ危機以降は、フルシチョフの弱腰な姿勢を批判し、むしろ、ケネディ大統領と接近していたことが、今では明らかになっている。
常々「米国批判なら三日間ぶっ続けで演説する自信がある」と豪語するカストロ兄だが、新婚旅行では米国に行っているし、米国映画を愛好していたし、キューバ国民の前に立たないときは、米国を嫌悪していたのではなかったのだ。
もちろん、ケネディ大統領は、自国のマフィアを認めない理由と同じように、キューバのカストロ政権を認めようとはしなかったのだが。
そのケネディの暗殺以降、米国政権はキューバに対して距離をとるようになった。
そんなキューバの貿易相手はソ連および東欧諸国しかいなかった。
しかし、カストロ兄は、1968年までは、決してソ連に追従せず、キューバ主義と呼んでもさしつかえのない、他とは異なる社会主義国家を目指していたのである。
1967年、盟友ゲバラがボリビアでのゲリラ戦線に敗れ、殺された。
それは、ゲバラやカストロ兄が予想していた、ラテンアメリカ諸国での社会主義革命が、米国の豊富な資金力と圧倒的な政治力の前に、敗れ去ったことを意味した。
結局、キューバの味方は、はるか遠くのソ連と東欧諸国にしかなかったのである。
その翌年、チェコスロバキアにて「プラハの春」と呼ばれる変革運動が起きた。
その、労働者や農業者主体による革命政府の樹立は、ソ連の軍事介入によって閉ざされることになる。
この事件に対しては、世界各国の右翼・左翼問わずして、ソ連を批判した。
そして、ジャーナリストはフィデル・カストロに意見を求めた。
カストロ兄は、それまでにも「小国の民主的革命」を提唱し、ソ連のような大国に追従することを批判していたはずだった。だからこそ「プラハの春」がソ連の軍事介入によって閉ざされたことに、正義の怒りを抱いていると思われていた。
ところが、カストロ兄は、ソ連のやり方を支持したのである。
それは世界各国の知識人を落胆させた。所詮、カストロはソ連の犬、とささやかれるようになったのは、このときからである。
そのときのキューバの経済状況は悲惨なものだった。
経済産業大臣ゲバラによる計画経済は破綻し、それがために、ゲバラは海外革命の道を目指すようになったのである。
キューバはソ連の多額の投資なしには、成り立つことができなくなった。
だから、カストロ兄は、チェコスロバキアの軍事介入を認めざるをえなかったのである。
今、キューバは中国からの多額の投資を受けている。
だから、チベット問題や台湾問題に対しては、中国を支持し続けるだろう。
しかし、はっきりいって、キューバ一国の影響力など、世界では微々たるものではないだろうか。
中国の国連での影響力を考えるならば、アフリカで何をしてきたかを調べてみたほうがいい。
キューバは貧しさゆえに、中国には逆らえないのである。かつてのソ連に対してと同様に。
だが、その貧しさの中でも、医療費・教育費無料を実施し続けているのは、カストロ政権の偉大な成果だと評価していいと思う。
国際世論は、このような利害関係が絡み合っている。
もし、米国がキューバでの中国の影響を恐れているのならば、さっさと対キューバ経済制裁を解けばいい。
どうせ、フィデル・カストロが死ぬまで、キューバ国民が逆らうことはありえないことなのだから。
反カストロ運動は、1994年に一度だけ起きた。
それを聞いたカストロ兄は、すぐさま、側近カルロス・ラヘとともに、革命広場の前に出た。
その姿を見て、国民は「フィデル・コール!」が巻き起こり、反カストロ運動は一瞬にして終わりをむかえたのだ。
何しろ、ゲリラ200人 VS 政府軍 1万2000人という戦いを勝利して、カストロ兄は革命をなしとげているのだ。
ブラヤ・ヒロン侵攻事件(ピッグス湾事件)でも勝利し、アンゴラ内戦(アフリカのベトナム戦争といわれる)でも勝利した。
その世界的名声は、その政権が50年近く続いた独裁的なものだったとしても、キューバ国民の誇りの一つなのだ。
ということで、あまりにも悪意に満ちたキューバに関する記事に思わず反論してみた次第である。