小説『魔法少女まどか☆マギカ』下巻紹介 《終盤はアニメを先に見たほうが……》
上巻を読んだあと、僕は熱にうなされたように、大絶賛の紹介文を書いた。
⇒小説『魔法少女まどか☆マギカ』上巻紹介 《一人称小説の魅力を最大限に活用した快作!》
上巻を読了したとき、僕は本気で「ハリー・ポッターに匹敵する日本産のファンタジー小説が誕生した!」と喜んだものだった。
下巻を読み、一夜明けた今は冷静である。
小説『魔法少女まどか☆マギカ』で、もっとも残念だったところは、上巻ではアニメと同じセリフなのに能動的に感じられた言葉が、下巻ではただ脚本をなぞっているだけのような印象を受けたことだ。
例えば、第九章(アニメでは第9話)で、やや唐突に出てくる《エントロピー》という語句。僕は、アニメを視聴したときと同じ困惑を、小説を読んだときに味わうことになった。
そして、映像として完成度の高かった第10話と第12話に関しては、その魅力をノベライズするには限界があったと感じた。
上巻を読了したときは「アニメを見ずに小説から読んでも『まどマギ』の面白さを楽しむことができる」と断言したが、下巻まで読んだ今は、自信を持って勧めることはできない。
やはり、第10話以降はアニメで見たほうが、まどマギの世界を堪能できると思う。話のスケールが大きくなるにしたがって、それまでの利点であった一人称小説というスタイルは弱点となる。まどか視点の言葉では、感情を越えた世界の摂理を伝えることは難しい。
それでも、原作ファンを失望させる内容ではないことは確かだ。
(個人的には、第十章以降の展開に、もっと小説的技巧を加えてほしかったものだが……)
さて、前日に書いた上巻の紹介文を、少しばかり訂正しなければならない。
下巻の章題は次のようになっている。
第七章 「本当の気持ちと向き合えますか?」 第八章 「わたし、サイテーだよ」 第九章 「友達なんて、いないんだから」 第十章 「もう誰にも頼らない」 第十一章 「あなたも、わたし」 エピローグ 「最高の、友達」 |
上巻の章題は、すべて鹿目まどかのセリフから引用されたものだったが、下巻はそうではない。
第七章の「本当の気持ちと向き合えますか?」というタイトルは、志筑仁美の言葉であることを、アニメを見た者なら知っているはずだ。
ただし、だからといって、それまでのまどか視点の一人称から、仁美視点の一人称に変わるわけではない。あくまでも、基本はまどか視点で語られている。
挿絵はすべて2ページを使って掲載されている。
小説『魔法少女まどか☆マギカ』下巻挿絵より
少女漫画ふうの絵柄は、女子中学生の一人称小説というスタイルに似合っていると思う。
また、挿絵といっても、通常のライトノベルのようにイラストで物語を説明することはなく、あくまでも、文章は文章、挿絵は挿絵で独立した作品であるといえる。
コバルトなその文体は中学生でも親しめる読みやすいものだが、浮ついたものではない。饒舌ではないが、豊潤さがある。
小説を読む面白さをいかした、読者の想像力を必要とする文体といえるだろう。
下巻でも、まどか視点であるがゆえに、アニメと同一の展開ではない。
小説版ならではのオリジナルエピソードが織り込まれている。
例えば、美樹さやかの愛犬の名前とか。
小説『魔法少女まどか☆マギカ』第七章より
こうして考えると、小説で追加された要素は、ほとんど美樹さやか関連のものばかりだ。
それは鹿目まどかという女の子の性質をより深く読者に示すために書かれたものだろう。
ただ、そうやって、読者にさやかに対する思い入れを深めたのならば、第十一章以降のまどかの心境の変化を伝えるためには、もうひとひねり必要ではなかったか。
はたして、アニメを見ないまま小説を読んだ人は、美樹さやかというキャラクターについてどう思うだろうか。
アニメを見た人のように、「まどか&ほむら最高!」と素直に切り替えることできるだろうか。
アニメでは、内面描写を語りすぎず、物語の展開の面白さを前面に出していた。
小説では、内面描写を重視することで、より魅力的に鹿目まどかという少女を描きだしていた。
だからこそ、第十一章以降の展開が不満なのである。
正直いって、上下巻同時発売を急がずに、下巻はもう少し発表を待ったほうが良かったのではないか。
僕には下巻の中盤以降のまどか文体に、やや冗長さが感じられた。
上巻で感じたセリフの能動性が、あまり感じられなくなった。
あくまでも「書くべきことを書いた」にとどまっている。
あと少し時間をかければ、原作とは異なる、小説だからこその面白さを描くことができたのではないか。
この作者の力量ならば、もっと良いものが書けたのではないか、と僕は残念に思うのだ。
ただ、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』という作品は、すでに完成されたものであるし、小説で異なる方向性に示すことは、アニメの面白さをも損なうことになりかねない。
だから、この下巻のような書き方しかできなかったのかもしれない。
しかし、第八章の公園でのまどかの選択の背景にあった出来事など、キャラクタの動機づけは、アニメよりも小説のほうがよく描けている。
だから、アニメを見ている人には、さらに、その物語を楽しめる要素が、この小説にはある。
ただし、冒頭で書いたように、第十章以降に関しては、アニメを見た衝撃にはとてもかなわない。
アニメを見ずに小説を読み始める人は、まずは上巻だけを読み、そのあとでアニメ全十二話を見て、下巻を読んだほうが、より、まどマギを楽しめると思う。