マイケル・ジャクソン傑作選(3) スクリーム/Scream(対訳つき)

 
Michael Jackson [Scream]
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】
 

マイケル・ジャクソン傑作選(3) スクリーム/Scream(1995/05/31)

 
 
 幼少からステージに立ち続けていたマイケル・ジャクソンは、常に人目にさらされる自由のない思春期を過ごした。こうして少年時代を喪失した彼は、しかし、その代償としてはありあまるほどの富と名声を手に入れることなった。
 
 遊園地がある彼の自宅「ネバーランド」には、木登り用の樹が植えられていた。彼は少年のようにその上に登り、多くの曲を書いたという。会心「Black or White」(1991年)はそんな樹の上で作られた。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=CkXzy1b7Rhc
 

BLACK OR WHITE
 
Written by Michael Jackson
(Except Rap lyrics by Bill Bottrell)
 
 
彼女を土曜の夜のパーティーに連れ出した
あの子のことかって
そう、僕たちは一心同体の関係なんだ
僕は奇跡を信じていた
そして今夜、まさにそれが起こったんだ
 
僕の彼女の肌の色が何だろうかって?
ならば教えてあげるよ
黒か白かなんて関係ないってことを
 
 
土曜日の「サン」に
僕のメッセージが載っている
僕は記者に 誰にも屈しないって訴えたんだ
そして、こう熱弁した
間違ったことをしても、正しいこともしても
誰もが平等な扱いを受ける権利があるって
それが真実だろ
 
僕の彼女の肌の色が何だろうかって?
ならば教えてあげるよ
黒か白かなんて関係ないってことを
 
 
悪い奴にはうんざりだ
こんな話はうんざりだ
事態が悪くなったらお茶をにごすような
そんな仕事にはうんざりなんだ
お前の兄貴なんか怖くない
シーツなんか怖くない
僕は誰も恐れない
どんなにみじめになっても
 
  

【rap】
  ギャングやクラブや国のための防衛が
  人と人とのつながりに悲劇をもたらす
  それは世界的にくりひろげられる縄張り争い
  双方の言い分を聞いてみろよ
  決して、それは人種の問題じゃない
  顔の違いや血筋によるものなんだ
  見通しは明るい
  細かい罵り合いはやめないか
  俺は肌の色がどうとか
  そんなくだらないことに人生を費やしたくはない
 
 
僕をさんざん中傷しておいて
今さら僕に賛成だなんて言わないでくれよ
 
僕の彼女の肌の色が何だろうかって?
ならば教えてあげるよ
黒か白かなんて関係ないってことを
 
 
黒人とか白人とか
肌の色だけで判断されて生きるのは
大変なことなんだ
 

 
 この「Black or White」の作詞作曲はマイケル自身(ラップ部分はビル・ボットレル)。1991年10月11日に発売。全米全英など、世界20カ国以上でチャート1位を獲得した
 
 30歳をすぎたマイケルは、この曲を90年代の自分のテーマソングにしようとしたようだ。
 歌詞は象徴的な描写が多く、ストーリーが把握しづらいが、テーマは一貫としている。特に、ブリッジ(大サビ)部分での次の二つの言葉に注目すべきだ。
 
 
Michael Jackson [Black or White]
 
 この「Your Brother」と「Sheets」は、それぞれギャングKKKを指していると受けとめるべきだろう。彼は人種差別だけを批判しているのではない。黒人と白人を引き裂くものに強い怒りを覚えたのだ
 そして、PVでは、黒人と白人だけの問題ではないことを、様々な舞踊文化を取り入れたパフォーマンスと、曲の最後のモーフィングによって教えてくれる。このメッセージは世界中のあらゆる人々に向けて発信されたのだ。
 
 これほど思いきった歌詞をうたうことが、マイケル・ジャクソンには許されていた。彼には誰の言いなりになる必要がないほどの富があった。彼はそれをもとに、自分の信じる道を突き進む決意を固めたのだ。
 
 
 この曲をふくめたアルバム「デンジャラス」の発売後、彼は世界各国をまわる「デンジャラス・ワールド・ツアー」を開始する。「ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]」に収録されたこのツアーをマイケル最高のツアーと評する人は多い。
 30代になったマイケルは、気力・体力ともに充実していた。社会現象となっていた80年代に比べて、彼の名前が人々の間にのぼる機会は減ったかもしれない。しかし、アーティストとしての彼はこのときに絶頂期をむかえていた
 

ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]
 
 そのツアーのハイライトが、「ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]」のジャケットに採用された、新曲「Black Or White」でのパフォーマンスである。向かい風の中「僕は何も恐れない!」と歌う彼は、最高にクールだったと思う。
 
 ところが、この「デンジャラス・ツアー」は彼の母国であるアメリカ合衆国で行われることはなかった。その理由が、1993年に起こった少年性的虐待疑惑である。メキシコでのツアーを最後に、マイケルは予定のツアーをキャンセル。米国で「デンジャラス・ツアー」は開催されないまま、幕を閉じた
(ただし、1993年1月31日スーパー・ボウルのハーフタイム・ショウにて、デンジャラス・ツアーの短縮版を披露している)
 
 その少年性的虐待疑惑でマイケルを訴えた被害者の親は、ビバリーヒルズの歯科医という、社会的立場のある人物だった。そのため、この訴えは、マイケルの富が目当てでもなく、売名行為でもなかったと、人々は信じた。
 だから、メディアはマイケルと少年との間には何かがあったはずだと推測し、そのように報じた。火のないところに煙は立たず、というではないか。30歳をすぎても結婚しようとしないマイケルに、歪んだ性癖を押しつけるのは容易なことだった
 
 それからのマイケルの足跡は、あまりにも混迷に満ちていた。多額の和解金による示談で解決したあと、彼は1994年5月にエルヴィス・プレスリーの娘と唐突な結婚を果たす。彼はTVに出て、プレスリーの娘と夫婦の性的営みをしていることをことさら強調した。しかし、悪意を持った目で見れば、それは追いつめられた犯罪者のアリバイ工作としか映らなかっただろう。
 
 なぜ、彼はそこまでパニックに陥ったのか。実は、それ以前に彼が同じように取り乱した出来事がある。1989年に姉のラトーヤがプレイボーイ誌でヌード写真を公開したとき、彼は前後不覚なほどショックを受けたのだ。当時のマイケルは30歳である。普通の30歳の男にとって、姉のヌードが雑誌に載ることは、言葉を失うほどの衝撃をもたらすだろうか。あきれて物が言えないか、激しく叱責するかのいずれかではないだろうか。
 
 少年性的虐待疑惑を否定するマイケルの言葉には、生理的嫌悪感を強く感じる。
 大人になりきれない未成熟で繊細な自分の感性を、彼は何よりも大切にしてきた。そのために、彼はマコーレ・カルキンのような子どもの友達が必要だった。
 そんな友達の一人に「性的虐待」を与えたと訴えられることは、彼にとって自分の生き方すべてを否定されたことに等しかったのだ。
 かつて、どんな悪評も笑い飛ばしていた彼は、このゴシップに感情的に反発し、それが通じないことを知ると、自我を崩壊させるほどの苦しみを受けた。やがて、薬物に依存しなければ精神を保てなくなった。世界中の女性を魅了したスーパースターは、哀れなほどもろかったのだ。
 
 その結果、従来から彼の抱えていた尋常性白斑という病魔は、急速に進行した。抵抗力をなくした肌の色素は奪われ、彼は白人のような外見になってしまった
 
 それとともに、「Black or White」を発表したときのパワフルさが、彼の中で喪失したと思う。以降も彼のポップ・ダンスは魅力的だったが、その歌声には力強さが失われ、コンサートの多くがリップシンクによるダンス披露会と化した
 
 このようにして、マイケル・ジャクソンの絶頂期は終わりを告げたのだ。
 
 
 そんな白いマイケルが出した新曲が、この「スクリーム」(1995年)である。当時、兄をこえたといわれるほどの人気だった妹のジャネット・ジャクソンとの共演である。
 この「スクリーム」のPVは、モノクロであるが、700万ドルという巨額の制作費がかけられている。その年のギネス・ブックには「史上最高制作費のPV」と認定されている。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=HIoCkk7JY58
 

 
Scream
Written by Michael Jackson, Janet Jackson, Jimmy Jam, Terry Lewis
 
 

Ahhhhhh!!
 
不公平はもうたくさんだ
陰謀はもうたくさんだ
胸クソ悪くなる嘘ばかりだ
だからどうしたのかだって?
 
僕を蹴りたおすのさ
立ちあがらなきゃいけない
ジャッキで持ちあげられるみたいに
社会全体に飲みこまれてしまう
 
Ahhhhhh!!
 
闇から目をそらさないで
光から逃げないで
私が間違ってると言うのなら
あなたが正しいことを証明してみせて
 
あなたは魂を売りわたしたけど
私は自分を大切にしている
強くならなくては
この戦いに白旗は揚げられないから
 
そんな混沌の中で叫びだしたくならないのか
陰謀におぼれて罪なき者を打ちのめしたりして
彼らの念入りな嘘をすべて見破らなきゃね
誰か情けをかけてほしい もう耐えられそうにない
 
僕を押しつぶさないでくれ
プレッシャーをかけないでくれ
叫びたくなるんだよ
 
 
作り話は聞きあきた
それは君だけの解釈だろ
混乱を招くだけだ
君はそれで満足らしいな
 
ルールは書きかえられている
ゲームをして遊んでる間に
もう耐えられない
頭がおかしくなりそう
 
Ahhhhhh!!
 
そんな混沌の中で叫びだしたくならないのか
陰謀におぼれて罪なき者を打ちのめしたりして
でたらめな悪口を言いふらして喜んでるのね
父なる神よ、慈悲を与えたまえ もう耐えられそうにありません
 
僕を押しつぶさないでくれ
プレッシャーをかけないでくれ
叫びたくなるんだよ
 
 
おお神様、自分が見たことが信じられません
今夜テレビのニュースを聞いて
蔓延する不公平に胸が悪くなりました
 
「ある男性が非情な暴行を受けて死亡しました。
 警察の不当な捜査の末に、強盗犯の嫌疑をかけられて。
 被害者は18歳の黒人で……」
 
Ahhhhhh!!
 
 
こんな社会の中で叫びだしたくならないのか
陰謀におぼれて罪なき者を打ちのめしたりして
彼らの念入りな嘘をすべて見破らなきゃね
兄弟たちよ、情けをかけてくれ もう耐えられそうにない
 
僕を押しつぶさないでくれ
プレッシャーをかけないでくれ
叫ばずにはいられないんだ
 
Ahhhhhh!!
 

 
 
 メディアはこの歌詞を、自分たちに「あてつけた曲」と受け取った。
 「無実の僕はかわいそう」とマイケルが妹ともに主張しているだけの曲だと受け取った。
 
 しかし、メディア批判のためだけにこの曲は作られたのだろうか?
 
 この曲の叫びを聞いて、僕が真っ先に思い浮かべたのが、ジョン・レノンの「マザー」である。
 

http://www.youtube.com/watch?v=NkOoZDK7Rz8
 
 1970年ジョン・レノンは盟友ポール・マッカートニービートルズを解散させたことに動揺し、パニック状態に陥った。その感情を彼はアルバム「ジョンの魂」に託した。その一曲目の「マザー」の、終盤で見せる幼児退行したかのようなシャウトは、狂気じみているとしてBBCなどでは放送禁止になっている。
 
 それと同様に、マイケル・ジャクソンは、アーティストとして、自分の叫ばずにはいられない感情をクオリティの高い楽曲にしようと試みたのだ。妹ジャネット・ジャクソンの力を借りてまで。
 
 「スクリーム」は、マイケルが無実を主張しているだけの曲ではない
 そのメッセージは、根拠のない悪評に、理不尽な不公正に苦しめられているすべての人に向けられている。
 学校や職場でいじめを受けている人に、このマイケルの叫びは痛切に響くのではないかと思う。
 
 
 さて、700万ドルの制作費ということもあって、このPVは見所がたくさんだ。
 
 まず、日本人としては、アニメが使われていることに注目してしまうことだろう。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 これはそれぞれ赤い光弾ジリオン「新バビル二世」のものだという。
 
 このような演出は、洋楽ファンにとっては複雑なものだったに違いない。洗練されたカッコいいマイケルのPVと、日本のアニメーションとの融合を、好ましいと思わなかった人もいるだろう。しかし、これはマイケルいたっての要望で実現したコラボレーションなのだ。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 また、なんちゃって和室も登場する。
 
 これらのモチーフから、マイケルが日本びいきであると感じる人が多いかもしれない。
 
 確かに、マイケルは日本のアニメを愛し、SEGAのゲームをひいきにしていたSEGAのゲーム作品に彼が出演しているのは、本人の要望によるものなのだ。
 
マイケル・ジャクソンが企画・出演したTVゲーム「Moonwalker」 - esu-kei_text
マイケル・ジャクソンが出演したゲームPart2「スペースチャンネル5」 - esu-kei_text
 
 例えば、スペース・チャンネル5では、このPVそっくりの、スペース・マイケルなる人物が登場する。
 
Michael Jackson [Scream]
↑スクリームPVより
 

↑「スペースチャンネル5 Part2」よりマイケル局長
(もちろん、声優はマイケル自身)
 
 そのような経緯があるのにかかわらず、マイケル・ジャクソンの公式サイトには、日本語が用意されていない
 もし、マイケルが強く望んだのならば、日本語にも対応していたはずなのだ。
 
 日本の風潮はマイケルの味方ではなかった。尋常性白斑により、彼の肌の色素がなくなったことを「白人になりたくて美容整形したため」という誤解をふりまいてきた。これは、同じ病気をもつ患者に訴えられてもおかしくないほどの不適切な発言だが、その死後になっても訂正されることはなかった。
 つまり、日本の人権意識とはそのレベルにすぎないのだ。そんな日本をマイケルが愛せなかったのは当然のことだと思う。
 
 ヨーロッパでは、三文記事ではマイケルのゴシップを追いかけていたが、世論は「Heal the World」(1991年)や「Earth Song」(1995年)といった楽曲に高い評価を与えていた。二度にわたるノーベル平和賞ノミネートがその証拠である。
 日本では、ファン以外のほとんどの人が、彼が尋常性白斑という病気におかされていたことを知らなかった。それが日本でのマイケルの認知度の低さを物語っている。
 
 
 では、日本から話題を離れて。
 
 この「スクリーム」のPVでの最大の見どころは、やはり妹ジャネットとの共演にあるだろう。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 ジャネット・ジャクソンは日本人女性に多大な影響を及ぼした。安室奈美恵など、彼女の影響を公言する女性アーティストは多い。
 今では下火になったが、かつて日本人女性はカッコいい黒人女性に憧れて、みずからの肌を黒くすることをいとわなかったものだ。その憧れの一人が、ジャネット・ジャクソンであったのだ。
 
 そんな兄妹の「怒り」の表現の違いが、このPVの見どころのひとつである。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 兄マイケルはギターを壊したり、
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 こんな咆哮をあげたりしているが、正直いって、あまり似合っていない
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 一方のジャネットは、このように中指を立てたりと、傍若無人にふるまっている
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 印象的なのが、まるで立って小用をしているかのようなこのシーン。
 男勝りなジャネットが、破天荒に暴れまくっているのが、この「スクリーム」のPVなのだ。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 ジャネットが怒りを代弁してくれたためか、兄マイケルの内向性が、今作では色濃く出ている
 それは、まるで女性のようなしとやかさを感じさせる。
 
 特に、両者の性格が色こく出ているのが、リモコン操作のシーン。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 これがマイケルの素顔なのかもしれない。マイケルは自宅でこのような表情でTVを見ているのだろう。
 オタクな兄とオテンバな妹というイメージが浮かんでくる場面である。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 しかし、そんなオタク気質のあるマイケルだが、ポップ・ダンスの実力は一流で、誰にも真似できない境地に達している。
 彼よりも良い動きをする人はいるかもしれないが、彼のような細身でこの動きができる人はいないはずだ。
 その外見のために、彼は食を節制した生活を送った。それは、おそらく、彼の死期を早めた要因のひとつになった。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 さて、「黒人が不当に殺害された」ニュースに咆哮したあと、兄妹のデュエットダンスが見られる。用法としては間違っているが「ブレイクダンス」と言いたくなる名演である。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 どちらも世界一流ダンサーだが、それぞれの個性を前面に出しているのが面白い。
 同じ振り付けであるはずなのに、その動きはかなり違ったものになっている。これは、両者がそれぞれ築き上げたスタイルによるものだ。どちらが正しいというレベルの問題ではない。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 ジャネットのダンスは、躍動感にあふれていて、思わず一緒に踊りたくなってしまうエネルギッシュさがある。
 いっぽうで、マイケルのダンスは、軸のぶれないなめらかな動きにただ圧倒される。無形文化遺産に認定したくなるようなパフォーマンスである。
 
 
 僕にとって、このPVはマイケルよりもジャネットのほうが魅力的に映った。
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 特に、このときのジャネットの仕草は猿のようにかわいい
 男勝りで野性的で官能的なジャネットのダイナミズムに、多くの人が魅せられたのもわかる気がする。
 確かに、彼女は偉大な兄にも負けない自分のスタイルを手に入れたのだ。
 
 
 そんな見どころ満載のPVだが、ベストシーンは兄妹でゲームに興じる場面だろう。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
Michael Jackson [Scream]
 
 ジャクソン家の五男であったマイケルにとって、末妹ジャネットがもっとも心を許せる相手であったのかもしれない。
 他人との距離を取りたがるマイケルが、我がままなところを見せる微笑ましい光景である。
 
 
Michael Jackson [Scream]
 
 ナーバスな彼が感情を吐露したこの「スクリーム」は、ジョン・レノンのアルバム「ジョンの魂」と同じく直接的で露骨すぎるところがある。拒否反応を抱く人は多いだろう。
 
 しかし、彼の死後に、多くのゴシップがもたらした印象が偽りであることに気づいた人は、この「スクリーム」を歌ったマイケルの心理に近づくことができるはずだ。
 
 そして、それはマイケル・ジャクソンという一人のアーティストに情けをかけるだけにとどまってはいけない。我々はどれだけ多くのデマを信じこみ、それが他者を知らずのうちに傷つけているか。この「スクリーム」を聴きながら考えてみるといい。
 決して、それはメディア批判という安直な結論にはならないはずだ
 
 
Michael Jackson [Scream]


 それでは、次回は、この「スクリーム」を収録した「History」のDisc2について紹介しよう。
 マイケルをただのエンターテイナーと思っている人には、とても受け入れがたい曲が、そこにはズラリと収録されている。
 
 
マイケル・ジャクソン傑作選【目次】
 
【関連動画】
 

http://www.youtube.com/watch?v=lk7i_EPxTlY
 
 「スクリーム」PVで大活躍した、ジャネット・ジャクソンの代表作「Rhythm Nation」(1989年)。ジャネットのダンスには、マイケルに比べて独創性はないかもしれないが、見る者にパワーを与えてくれる。正直、マイケルのダンスは観賞用だと思うが、ジャネットのダンスは真似をしたくなる。彼女に憧れて、ダンスの道を志した女性は多かっただろう。
 寡作だった兄マイケルに比べ、ジャネットは精力的に新作をリリースし、90年代初頭、その勢いは兄をもしのぐと言われた。もちろん、彼女もプロデューサーの指示に従って成功したわけではなく、ジャム&ルイスと共同で曲作りに努めた結果である。
 なお、「スクリーム」には、ジャネット側のジャム&ルイスが関わっている。そんなジャネット・チームの導きにより、マイケルは自分の感情を楽曲にすることができたのだ。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=BcDW7dpYZzE
 
 さて、マイケルの得意とするダンスのひとつ「ロボット・ダンス」を知らしめたのが、1974年の「ダンシング・マシーン」という曲。これは、1975年のジャクソンズでのパフォーマンスである。
 衣装が同じで兄弟の見分けがつかないが、動きでマイケルとわかる。0:59から短い間であるが、キレのいいロボットダンスを見せてくれる。
 このように、歌っても踊ってもリードをとるマイケルの活躍を見ると、どうしてもマーロンが見劣りしてしまう。なお、コンガを叩いているのが末弟ランディである。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=90Ar_UE5oak
 
 1997年のミュンヘンでのHIStory World Tourより「Scream」。OPで宇宙船から出てきたマイケルは、自分のことをロボットか宇宙人と思いこむようになったのかもしれない。ジャネットのパートを省略してもなお、ライブのトップナンバーとして、この曲は披露しなければならないとマイケルは思っていたのだろう。
 
 

http://www.youtube.com/watch?v=FLWt7kzaex0
 
 
 2001年のソロ30周年記念コンサートより「Black or White」。短縮バージョンだが、おなじみの向かい風の演出もされている。
 しかし、マイケル自身のパフォーマンスよりも、ラップ部分の最後で、観客の白人と黒人のカップルが互いを指さすシーンが素晴らしすぎる。ソロ30周年記念コンサートのハイライトの一つといっていいぐらいだ。
 マイケルの音楽に感動するためには、白人であったり黒人であったり日本人であることを気にする必要はないのだ。そして、マイケルは自分の目で、いろんな人種の人が同じ音楽に歓喜する光景を見続けていたからこそ、その差別のために闘ったのだ。