「日本を降りる若者たち」−増加する「外こもり」の日本人 (評価:B)

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

 
 「若者たち」とタイトルにあるが、二十代から三十代と、本書で取り上げられている人たちの年齢層は幅広い。
 
 本書で語られているのは「外こもり」と呼ばれている人たちのことである。外こもりとは、外国で引きこもり生活を送るという意味。物価の安い外国で、働かずに暮らす日本人が増えているらしい。
 
 例えば、本書で話題にしているタイの場合、月額一万円以下の家賃でアパートを借りることができる。食費も安い。健康な男性ならば、月5万円で住むことができるそうだ。節約すれば月2万円でも暮らすことができるという。
 
 外こもり生活者の多くは、学生時代にバックパッカーとしてタイに旅した者たちである。タイの有名な言葉に「マイペンライ(だいじょうぶ)」「サバーイ(快適)」がある。日本のように勤勉を美とせず、昼間からビールを飲んでいる男たちが目立つ。夫が何の仕事をしているのかも知らない妻がいる。家族に一銭のお金も渡さない夫もいる。それでも生きていけるのがタイという国なのである。
 
 日本で、特に東京で、仕事にリタイヤした人たちは、かつて旅したタイに自分の居場所を見出すのだ。最初は複数人で同居するゲストハウスで。そして、それから安アパートで。
 
 タイの首都バンコクのハネサン通りには外国人向けのゲストハウスがある。そこの日本人の数が確実に増えているようなのだ。旅であったはずが、そのままアパートを借りてタイに住みつく人たちもいる(これを「沈没」というらしい)。彼らは新たにタイに来た日本人の若者の先輩としてアドバイスをしたり、それを仕事とすることもある。路地裏のタイの子供たちと仲良くなり、ヌンチャクを教えたりする人もいる。まるで、弟妹のように子供たちと接する彼らの顔は明るい。彼らは言う。「こんな光景、もう日本では見ることはできませんよ」
 
 しかし、そんな誇らしげな顔では隠し切れないものがある。日本人はタイでは外国人である。外国の滞在にはビザが必要だが、日本人はビザ無しでも三十日の滞在が許されている。三十日後は別に日本に帰らなくても良い。隣のカンボジアでもかまわないのだ。バンコクから日帰りでもできるらしい。そのため、三十日に一度、出入国すれば、タイに長期滞在できたのだが、2006年からビザがない外国人は、6ヶ月のうち90日を超えての滞在が許されなくなった。その結果、彼らはどうなったか。ある者は日本に帰り、ある者はビザを取得し、そして、ある者は不法滞在者となった。
 
 マイペンライなタイ人は、そんな日本人の不法滞在を見て見ぬふりをする。しかし、商売敵となった場合は別である。ゲストハウスや旅行会社と協力し、日本人客の世話をしていたりすると、訴えられたりする。もちろん、出入国管理局に連行され、罰金のち強制退去。パスポートの「強制退去」の文字は消しようがない。再びタイに入国しようとしても断られるケースもありうる。だから、不法滞在者は目立った行動ができなくなるのだ。タイ人を刺激せぬよう、ひっそりと彼らは暮らす。
 
 計画的にタイで外こもりをする人もいる。一年のうち数ヶ月、日本に出稼ぎに行き、自動車の部品工場で汗水たらして働く。外国人と一緒だから、話さずとも働けるから気楽なのだそうだ。そして、予定金額をためて、タイに戻り、引きこもり生活を送るのである。彼らは安アパートを借りて住むため、実態がつかめない。多くは部屋の中でネットやゲームをして過ごす。株の売買に励む人もいる。
 
 自宅にパラサイトしているニートよりも、自立した生活を送っているじゃないか、と思う人は多いだろう。「仕事すれば?」という家族の冷たい視線もない。タイでは働かない男性が少なくないので、自責の念にかられることもない。ネット環境があるのならば、日本でもタイでも変わらないと考える人がいるだろう。「外こもりの何が悪い? 俺もできればタイに行きたい」とここまでの文章を読んで思い立つ人もいるかもしれない。
 
 だが、それで困る人がいるのだ。その代表例がタイ政府である。タイ政府はどうやら気づいているそうなのだ。「日本人がそれほどお金持ちではなくなった」ということに。あまり消費活動を行わない外国人の存在は、決してありがたいものではない。お金持ちだから、いっぱいお金を使ってくれると思って日本人を呼びこんだのに、引きこもってつつましい生活を送る。これではわりにあわない。自国民の福祉で精一杯なのに、なぜ外国人の面倒を見る必要があるのか、とタイ政府は考えている。
 
 例えば、年金生活者。夫婦二人が老後をタイで過ごすのに必要な経費は、月15万円というのが、本書の筆者の意見である。月10万円とうたっている業者は多いが、それではとても安心した生活は送れず、出費はかさんでしまうのだという。店をたたんで全財産を持ってタイに来た人もいる。しかし、残念ながら、お金を使い果たして、ホームレスとなる人もいる。
 
 驚くなかれ、タイのバンコクに日本人のホームレスがいるのだ。バンコク伊勢丹で見ることができるらしい。結局、彼はお金を失っても日本を捨てることができなかったのだろう。彼は伊勢丹の看板に何を見たのだろうか。
ご存じのように、日本でのタイ人の滞在の条件は厳しい。相互主義が通例であるのに関わらず、タイが日本人の滞在を甘く許しているのは、日本人がお金を持っているからである。ところが、それが崩れつつある。いまや、タイには日本人の不法滞在者があふれているのだ。だから、タイが日本人の滞在を厳しくする可能性は大いにありえるのである。
 
 タイでの日本人の居心地の良さの一つは、タイ人が日本人に劣等感を抱いていることだろう。タイでは日本人は優遇される。理由は日本人がお金持ちと思い込んでいるからである。その敬意が崩れたとき、タイ人はどんな対応をするか。タイで「外こもり」生活を続けている人は、タイ政府の方針次第で苦境に立たされる。自国民ならば、まだ救済の余地があるだろうが、外国人の面倒を進んで見るような甘い政治などはありはしない。いくら、彼らがタイに愛着を寄せても、彼らは異邦人にすぎない。
 
 本書では、いろんな「外こもり」生活者のことを具体的に紹介している。一年の短期留学をしたものの、そんな海外経験は日本ではまったく評価されず、さりとて物価の高い欧米には行けず、タイで仕事を探すために来た者。ワーキングホリデーで外国に来たものの、英語も仕事もものにすることができず、旅行目的でタイに来た者。過去のレイプの傷をぬぐうことができず、転々としてタイにたどり着いた者もいる。自殺目的でタイに来た者もいる。彼らは、タイの「マイペンライ」な雰囲気に安らぎを得て「ここで生活をしてもいいのだ。無理に働かなくてもいいのだ」と考えてしまう。
 
 「外こもり」生活者の傾向として、携帯電話で連絡できない人が多いと筆者は語る。家族への連絡もしていないようだ。同じバンコクの日本人仲間との連絡もたっている。彼らが自殺しても、日本人仲間にその知らせが届かないこともある。
もちろん、タイに勤勉な日本人がいないわけではない。彼らは言う「タイでも日本でも、仕事は仕事」。だが、タイで必死で働いても貯蓄できる額は少ない。それならば、日本で働き続けたほうが賢明である気がする。働く者にとって、給料の額は問題だ。なお、日本でもっとも給料が低い沖縄県も、最近は移住者が多いと聞く。
 
 ネットカフェ難民ニートにとって、外国で引きこもり生活を送っている人たちは、憧れの存在なのかもしれない。がんばれば月2万円で過ごせるのなら……と期待する人もいるだろう。しかし、ビザ取得など、タイでの外こもり生活へのハードルは、彼らには高いと思う。それでも、不法滞在を覚悟で、タイに行く若者の数は年々増えているようだ。やがて、それらは「強制退去」の数字として、はっきりと現れることだろう。タイでの日本人に対するイメージも、それによって変化するのかもしれない。
 
 ここでは、概論を述べてみたが、本書では具体的な体験談がメインとなっている。彼らがどのような経験を得て、タイに長期滞在するようになったのか。万人にお勧めできる内容である。ぜひ、こういう生き方を求めている人たちが増えていることを知ってほしい。
 
 ただ、個人的に「若者」という言葉は、本書にはふさわしくないと考える。二十代前半の若者たちを取り巻く問題は、タイに渡る行動力がある外こもり生活者よりも、ずっと深刻である気がする。