全共闘運動の何が革命か? ―新左翼とは何だったのか

新左翼とは何だったのか (幻冬舎新書)

新左翼とは何だったのか (幻冬舎新書)

 読みながら、著者の社会性の欠如に、腹立たしさすら抱いた。
 1985年11月29日、首都圏および関西の国鉄(現JR)の通信ケーブルが遮断され、交通網が麻痺した。実行犯は「新左翼」と呼ばれるグループ。この事件を著者はこう記す。

 その日、数百万人のサラリーマンが思いがけない有給休日を謳歌したり、もしくは中止になった仕事にやきもきしたものでしょう


全共闘運動

 まるで、暴風警報で休校になったことを喜ぶ生徒の心境である。しかし、交通の麻痺は、人々を憎悪させる。予定通りにいかないことで腹立たしくなるのが、日本人の心理である。そんな神経を逆なでして「革命」を主張するのだ。人々の支持が得られなかったのは当然だろう。
 60年代後期に、大学をバリケード封鎖したり、警備隊と一進一退の攻防を繰り広げるなど、政治的には何ら成果を出さなかった全共闘運動家は、70年代には労働組合で活躍する。当時、JRは国鉄であり、社員は公務員であった。彼らはよくストライキをした。今では信じがたいが、自分の賃金を上げるべく、国鉄の運行をストップさせたのである。人々は私鉄の利用を余儀なくされた。その人々のうらみが、ストを決行した国鉄労働組合に向かうのは当然だった。
 その全共闘運動の実態はどのようなものだったか? 著者は、1967年10月のデモに参加した体験を次のように述べている。

 筆者はランプのかなり上のほうで、倒れた機動隊員を高速道路の下に落とそうと持ち上げました。彼は激しく抵抗、そのとき、後ろから駆けてきた女子学生が「やめてください! そんなことをしたらアメリカ帝国主義と同じじゃないですか」と機動隊員にしがみつきました。ガーンとなった筆者は「わかったよ」と彼から手を離しました。

 これは佐藤栄作首相の米軍支援を目的とした東南アジア訪問を阻止するデモの一幕である。目先の機動隊員に憎悪をふくらませるだけの学生に、反米・反戦などという大それたことができるはずない。

 60年代後期に起こった全共闘運動が叫ぶ「革命」とは「自己否定」にほかならなかった。彼らは敗戦後、米国のいいなりになる日本を恥じ「反米、反日、親アジア」を唱えた。世界を変革するためには、日本人であることを捨てなければならないと主張した。なんという詭弁であろう。
 彼らの好きな毛沢東は「反米愛国」と訴えたが、それを「反米愛中」と置きかえる神経が信じられない。「愛国心」を持てとは言わないが、みずからが「日本人」であることは冷静に分析すべきであった。
 彼らが実行できたのは、自分の大学をバリケード封鎖した程度のことである。スケールの大きい「引きこもり」である。方向性は反政府運動という外に向けられたものではなく、自己革命という内なるものにすぎなかった。
 人々は彼らが理想主義者ですらないことを知った。社会に見捨てられた彼らは派閥抗争に熱中する。学生寮に乗りこんで、他の学生が泣き叫ぶのをふりきり、敵対勢力のメンバーを撲殺したりした。もはや、カルト教団である。
 全共闘運動の中身は「弱いものいじめ」「仲間はずれ」の域を出ない。彼らは日本人であることを否定しようとしたが、どうしようもなく日本人であった。彼らが機動隊員との争いに熱中する光景は、「ネット右翼」と変わらない。右翼と左翼の違いなんて、その時代に応じて変わるものだ。「自己否定」をスローガンにする連中のことだ。時代に翻弄されたのは当然だろう。

 人々は、思想に従うのではなく、人格に従う。革命家は人格者でなければならない。「この人だから信じられる」と思わせる魅力こそが、人々を戦いに向かわせる。当時の運動家は人格を備えていただろうか。本気で政府打倒をもくろむのならば、明治維新の勉強ぐらいはしておいてほしかった。全共闘運動では西郷隆盛となるべき人物はいなかった。


東大全共闘と三島


自衛隊に演説する三島
(直後に割腹自殺を遂げた)

 1970年、市ヶ谷の自衛隊基地で小説家の三島由紀夫が、自衛隊の反乱を画策したが失敗し、割腹自殺を遂げた。愚挙としか言いようがないが、全共闘運動よりはマシである。
 自衛隊は日本の憲法に反する。日米安全保障条約があるかぎり日本は国策を主張できない。だから、人々は右翼や左翼に関係なく、反ベトナム戦争反日米安保条約運動に集った。1970年は日本の政治を転換させる契機であったのだ。このまま、経済大国の道を進むか、それとも米国支配に反旗をひるがえし、貧しくても誇りある国家を作るべきか。その流れが反政府運動を生んだ。
 しかし、その中心であった全共闘運動は「世界革命」という名の「自己否定」しか生み出さなかった。そして、全共闘運動は、労働組合運動に引き継がれる。
 それは社会に負の遺産しか残さなかった。我々の世代は労働運動に生理的嫌悪感すら抱いている。正しい権利だと主張することを恥ずかしいとすら思っている。その事実を全共闘世代は反省するべきだ。


 全共闘運動の幹部のある者たちは「赤軍」を名乗った。彼らは今なお「日本人」の悪しき象徴として語り継がれている。
 彼らのある者は、航空機をハイジャックして、北朝鮮に向かった。「我々は明日のジョーである」とボクシング漫画の主人公になぞらえた彼らは、金日成主体思想に染まり、北朝鮮のために身を捧げた。拉致問題で彼らの関与が取り沙汰されている。
 彼らのある者は、中東にわたり、テロリストとなった。テルアビブ空港事件で、全共闘世代の生き残りたちは、民間人を無差別銃撃した後に自爆した。唯一の生存者、岡本公三はアラブの英雄といわれる。世界でもっとも有名な日本人の一人だろう。
 彼らのある者は、キューバに向かったが追い返された。カストロがテロ行為を嫌悪していたからだろう。使い捨ての駒にしかならない彼らは、キューバには不要であったのだ。


 全共闘運動は、日本人の醜さを露呈させただけに終わった。いわば、本書は、日本人を理解するうえでの教訓物語である。
 自己否定の何が革命か。実態は「弱いものいじめ」と「仲間はずれ」にすぎなかった全共闘運動を、我々はもっと軽蔑して良いと思う。


【参考リンク】
新左翼 ―Wikipedia
新左翼は実に多くの派閥にわかれる。しかし「反政府運動」は、当事者以外にとって、「右翼」「左翼」の区別はない。外国の思想を借りて、自分のグループの正当性を主張し、派閥抗争のために重火器をためこんだ彼らの言い分を聞くほど、我々の世代は暇ではない。
五月革命 ―Wikipedia
フランスで1968年に成功した学生運動。教授の権限の縮小と、学生の主体性を政府に認めさせた。
全共闘運動-Wikipedia
日本で1960年代後期に起こった学生運動。成果は1968年東京大学の入試を中止させたことぐらいである。
学生運動に関する世論調査
1968年に政府が中央調査社に委託して行った調査。支持が0.9%、共感が6.2%。人々の醒めた目線を当事者はどれほど理解していただろうか。

テルアビブ空港乱射事件 ―Wikipedia
日本人が知らなければならない歴史的事件。イスラム過激派に自爆テロの有効性を知らしめたのは、日本人が原因なのである。
よど号ハイジャック事件 ―Wikipedia
当時は航空機を船のように名前で呼んでいた。北朝鮮亡命のために、飛行機をハイジャックした新左翼の事件。現在、犯人グループは無罪帰国を求めているが、日本政府は認めていない。


【関連記事】
50年間、支配者であり続けている男 ―知られざる元首フィデル・カストロ - esu-kei_text
米国資本主義に抵抗し、豊かさを引きかえに誇りを得たキューバの物語。カストロ赤軍派の連中を追い返したのは当然だろう。
(そのせいで、キューバに行けなくなった連中が、ハイジャック事件を起こしたのだが)
チェ・ゲバラ「ゲリラ戦争」 ―正々堂々たるゲリラ戦争論 (評価:A) - esu-kei_text
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、トロツキーのゲリラ戦法を発展させ、独自のゲリラ理論を築いた。残念ながら、日本の全共闘運動家はトロツキーの書物を崇拝するだけにとどまった。