これが小説の理想形だ! ― ガルシア・マルケス『百年の孤独』(評価・S+)

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

ノストラダムスも、吟遊詩人も、労働争議も、近親相姦も!
どのページから読んでも楽しめる、無人島に最適の一冊!
 

 今年4月17日に亡くなったガルシア・マルケスの代表作が本書である。
 1967年に発表されたこの『百年の孤独』は世界中にラテンアメリカ文学ブームをもたらした。日本でも同様である。
 スペイン語を知らない日本人作家たちがコロンビア人作家の小説に夢中になったのはなぜか。それは、本書に小説の理想形を見たからである。
 夏目漱石の『草枕』だったか、小説というものはエイヤッと適当に開いたページを読んでも楽しめるものではなければならぬ、というくだりがあった。この『百年の孤独』のもっとも優れている点は、どのページ、つまりどの世代の物語にも読みどころがあるところだ。長編小説となると、ついつい中だるみしてしまったり、作者にとっては大切だが読者にとってはどうでもいい場面があったりするのだが、本作はそうではない。
 本作は「20世紀文学の最高傑作のひとつ」といわれる。そこまで評価が高い作品は世界中で10冊もないであろう。ただ、その評価ゆえに「高尚なテーマを取り扱っている」と考える人もいるようだ。
 本作の題材はいたって通俗的である。序盤から「ノストラダムスの大予言」が出てくる。登場人物はそれを真面目に信じているのが笑えるが、読み終えるとその予言のカラクリに驚かされることになる。性についてもそうで、序盤の男性主人公というべき初代アウレリャノは、こともあろうに9歳の童女に恋してしまい、婚約まで交わしてしまう。それをさえぎる法もなければ、モラルもないのだ。一方で、近親婚は許されず、それがため一族のある者は不幸の中に生きることになる。
 本作の舞台になるのは「マコンド」という開拓村である。本作の奇妙なタイトルをわかりやすく説明すると「マコンドという町を開拓した一族のそれぞれの孤独を百年間描く」というものだ。この「マコンド」も、やがて鉄道が走るようになり、いわゆる「文明」を享受することになるが、住民は「活動写真」(映画のプロトタイプ)に激昂することになる。なぜなら、前作で不幸にも死を遂げた主人公が、次の映画では生き返っていたからだ。フィクションとノンフィクションの区別もつかないのが「マコンド」の住民たちなのである。
 20世紀文学の主要テーマの一つが「都市と孤独」であろうが、本書の舞台に都市の匂いはない。例えば、大河小説として有名なパール・バックの『大地』の三代目は都市型人間として文明国に留学するが、本書の登場人物はほとんど都市に染まらない。それでいて各人物の「孤独」を描いているのだ。
 百年にわたるのだから、登場人物を覚えられない、と感じる人もいるかもしれないが、本書は読者に記憶力を要請しない。本作に出てくる男性人物のほとんどは「ホセ・アルカディオ」か「アウレリャノ」という名前がついている。それぞれ区別がつくように二つ名もある。
 本書の最大の凄味は「人間の脳にあわせた面白い物語」が形成されていることだ。老人の話では登場人物が交じり合って、事実と反することがよくあるが、本書の感想を語ると、誰もがそのような錯覚に陥るだろう。
 

 本書が日本人作家に与えた影響力は計り知れない。例えば、村上春樹の『羊をめぐる冒険』で、アイヌ人に先導された開拓民の物語があるが、きわめてガルシア・マルケス的である。そのような物語が好きな人は『百年の孤独』は楽しめるにちがいない。
 ガルシア・マルケスの訃報に関するネットの反応を見ると、まだまだ本書を読んでいる人は少ないのではないかと感じる。趣味を読書とする者に、本作は避けては通れない一冊である。
 

 

 本作はどのページも読みごたえがあるが、一冊を通じてもっとも印象深いのは、一族の母である「ウルスラ」の生への執着心であろう。あまりにも偉大なために「ホセ・アルカディオ」や「アウレリャノ」という男性名はたらい回しにされるのに、「ウルスラ」の名のつく女性は一人しか出てこず、しかも通り名ではそう呼ばれないぐらいだ。
 本書には様々な読み方があるが、ウルスラ視点で読むのが一番手っ取り早いだろう。中盤以降のウルスラはだいたい誰かの喪に服しながら、次の世代に期待をかけて男女関係をとりもつものの、裏切られてばかりなのだが、それに同情するのがもっとも良識的な読み方だと思う。それでも、ウルスラは生き続ける。最後は失明し、子供たちのオモチャになってしまうのだが。
 

 ウルスラに代表されるように、本作では女性の影響力が強い。「マコンド」という町を舞台にしているからであろう。初代アウレリャノのように、幼妻を亡くしてから戦場に身を投じても、その内容はほとんど描かれない。「マコンド」視点であるからだ。
 終盤のヒロインである第5世代のアマランタについても、彼女はベルギーに留学して結婚して「マコンド」に帰省するのだが、じょじょに「マコンド」色に染まってしまうのだ。
 

 このようなラテンアメリカの風俗を、僕が無抵抗で楽しめたのは『ゲバラ日記』を読んでいたせいかもしれない。共産主義者ゲバラは、キューバ革命後に経済改革をするが失敗する。そして、自分は軍人でしかないと意を決し、ボリビアでゲリラ活動に身を投じることになる。
 そんなゲバラたち共産ゲリラを、ボリビアの住民は「まるでサーカス団のように」歓迎したという。
 本書の序盤では、ジプシー一行がマコンドに来て、様々な魔術を伝授しようとする。今では「ジプシーたちは見世物をして住民の気をひいている間に、子どもたちに盗みを働かせる」といわれることもあるが、何度もそのやり方が通じるとは思えない。本書のように「怪しげな薬」を高価で売ったりして旅の資金を得ていたのだろう。
 

 そして、本書の最大の魅力は「章題も索引もない」ところであろう。
 例えば、この記事を書くにあたって「200歳近い吟遊詩人」が出てくる箇所を調べようとしたのだが、予想以上に時間がかかった。そのような印象的な旅人の出番はせいぜい数ページなのだが、彼らのような魅力ある人物が数多く「マコンド」を横切るせいで、僕はついついまったく別の部分を読み進めてしまったりもしたのだ。
 なお、この吟遊詩人は時事ニュースをメロディーをつけて各地を放浪している存在である。もし、お金を出せば、自分の言付けを曲に追加してもらうことができる。伝達手段がなかった当時、人々は歌によってニュースを知っていたのだ。これは、メロディーがあったほうが、より言葉が記憶にとどまるからであろう。
 僕がこの部分が気に入ったのは、初期のボブ・ディランが好きだからである。ディランには未発表曲が腐るほどあるが、その多くが時事ネタを題材にしていて、新聞批評にはない市井の視点でコメントを添えて歌っていたのだ。初期のディランには吟遊詩人の影がある。
 よく日本のRPGで出てくる吟遊詩人がおしなべて魅力的でないのは、日本語が歌うのに適さない言語であるからかもしれない。日本語文化は「書き言葉文化」であると思うし、それゆえに識字率が高かったのだ。僕はそんな自国の歴史を誇る一方で、吟遊詩人たちが放浪する文化にも憧れをいだく。
 

 本作には、実に多くのクライマックスがある。僕の好きなヒロインは、第二世代の誇り高き初代アマランタだが、「マコンド」でもスタイルを曲げなかった唯一の女性フェルナンダもいい。男性人物では双子のセグンドたちが中盤の主役なのだが、その母であるサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの地味さも終盤にかけてジワジワくる。この長ったらしい名前を持つ彼女は、おそらくほとんどの読者が「いつの間にかウルスラ一族に入った」と感じるだろう。何一つ印象的な行動を起こさないものの、やたらと長生きするので、読者は、彼女が自分の継母であるのに侍女のようにあつかうフェルナンダをひどいと思いながらも、共感してしまうのである。
 

 このように、本作は「無人島に持っていくのに最適な一冊」である(ただし、そのためにはひと通り最後まで読んでおいたほうがいい)。ガルシア・マルケスはそのためにすべてのページに魅力的な物語を織り込んだ。それでいて、編集過多なWikipediaの記事にありがちな、断絶感がない。一人の作家によって書かれているから連続性があり、どこから読んでも面白さが保証されているのだ。
 それゆえに、本書は完全な「作り話」である。一族の男性人物が「ホセ・アルカディオ」と「アウレリャノ」が二種類しかいないということは、三男が生まれることができないという制約があるのだ。ただし、読んでいるうちは、そんな不自然さには気づかない。それぞれ重層的に進む物語の結末が気になって、それどころではないからだ。
 この『百年の孤独』に代表されるラテンアメリカ文学を文学用語では「マジック・レアリズム」というが、ガルシア・マルケスはエイヤッと魔法をかけたわけではない。小説とは「人間の脳」を相手にしている。その前には、非合理性など二の次なのだ。そんな人間の脳の性質を熟知していたからこそ、ガルシア・マルケスはこの前人未到の傑作を書くことができたのだ。
 あとがきで書かれているように、作者は本書の出版後に42の矛盾点に気づいた。しかし、それを加筆訂正しようとはしなかった。なぜならそれらを直すことは、本書の連続性を失わせることである。矛盾しているのに連続性があるのはどうしてか、と疑問を出す人は、人間の頭脳と小説についての考察が足りないと思う。体系化されない、非論理的だからこそ、小説には面白さがあるいうのは、筒井康隆も言っていることだ。
 本書ほど、小説の面白さを実感できる作品はないだろう。なぜ、我々の頭脳は小説という作り話を求めるのか。そんな文明の根源を問う、人類史に燦然と輝く傑作である。評価はS+。
 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)