なぜ、マリオにヒゲがあるのか? ー 宮本茂のゲーム哲学(1)

 
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 「パックマン」(Pac-Man)の生誕30周年を記念して、5月22日から二日間限定で、Googleトップページのロゴが「遊べるパックマンゲーム」に変身していた。
 30年前、「パックマン」はアーケードゲームとして公開され、たちまちブームを巻きおこした。
 そのキャラクターの独創性に衝撃を受けた一人が、後に「マリオ」の生みの親となる、宮本茂である。
 
 「マリオ」が初出演した「ドンキーコング」の公開は1981年のこと。
 今から29年前のことである。
 2008年4月に「Yahoo!」のトップページで公開された「スペースインベーダー体験版」、そして、今回の「Google特製パックマン」。いずれも生誕30周年を記念しての特別企画だった。
 もしかすると、来年は「マリオ」生誕30周年を記念した企画が行われるかもしれない。
 
 しかし、マリオは「とんでもない!」というだろう。
 マリオはまだまだ現役である。
 最新作「スーパーマリオギャラクシー2」(asin:B003GALBE0)は、5月27日に発売。
 そして、「マリオ」を生んだ宮本茂は、新作でもゼネラルプロデューサーとして、開発に大きく関わっている。
 
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画像引用元:http://www.nintendo.co.jp/wii/interview/sb4j/vol1/index.html
 
 
 宮本茂金沢美術工芸大学・工業デザイン科を五年かけて卒業した後、デザイナーとして任天堂に就職した。
 そんな彼が、なぜ「マリオ」というキャラクターを作り、ゲームコンセプトまでも担当するようになったのか。
 日本のビデオゲームを語るうえでは、欠かすことのできない「宮本茂」のゲーム哲学について、これから数回にわけて紹介していこう。
 
 


◆ 宮本茂のゲーム哲学(1) なぜ、マリオにヒゲがあるのか?



 
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引用元:http://lylat.com/blog/archives/2007/11/mario-cookie.html
 
 
 こちらは、「スーパーマリオブラザース」(1985年)の「マリオ」のデザインである。
 おなじみの、帽子とツナギとヒゲと団子鼻の「マリオ」は、12×18マスの方眼紙に、四つの色を塗っただけで構成されている。
 さらに、「マリオ」はゲームキャラクターだから、動かなければならない。その動作も四色で表現しなければならなかったのだ。
 
 当時の限られた描画数と色数で、個性的な人間キャラクターを生み出すことは難しかった。
 ゆえに「パックマン」のような非人間キャラクターこそ、独自色が打ち出せると考えられていたのだ。
 
 
 さて、宮本茂は、1977年に任天堂に入社後、アーケードゲーム筐体のデザインを担当し、やがて、ゲームキャラのグラフィックも任せられるようになった。
 それは彼のデザインが「良く見せるだけ」のものではなかったからである。宮本茂のデザインとは、どれもコンセプトが明確に定められていた。
 
 後に、彼はあるインタビューでこう語る。
 

「上手に見える絵とかがあるんですよ。だいたいは、『こういう描き方をしたら上手に見える』とかっていう、売り絵なんですけどね。最近、そういうクリエイティブワークが多いような気がしています。ゲームも、どんどんそっちのセンスが入ってきている」
 
 彼がゲームキャラクターに求めるのは、一定の角度で綺麗に見えるものではない。
 画面では二次元であっても、誰もが頭の中に三次元に置きかえられるような、そんなわかりやすいデザインだったのだ。
 
 そんな彼が開発に加わった「ドンキーコング」という作品は、いわば「急場しのぎ」のゲームとして制作された。
 当時、任天堂「光線銃ゲーム」のヒットに気をよくして(訂正)「レーダースコープ」という、ギャラクシアンの亜流ゲームを、「社運をかけて」その筐体を全米展開しようと考えた。しかし、数カ月かけて船が着く間に、すでにブームは終焉していた。
 このままでは、過剰在庫になってしまう。
 そのために、その筐体にふさわしい新たなゲームが求められたのである。
 
 当初、任天堂の開発チームは米国人気キャラ「ポパイ」のゲームを企画していた。
 ところが、その版権がおりるほどの時間猶予がないことが判明し、オリジナルキャラによるゲームを作ることを余儀なくされた。
 かつて、任天堂は「スペースインベーダー」の亜流ゲームを作った経歴がある。それは、セガなど他社もやっていたことだった。ゲーム関係の法整備がなされていない時代であったのだ。
 任天堂はそれを教訓に、みずからの作るゲームでは、法整備を固めようとしていた。だから、無許可でポパイのゲームを販売することは許されなかったのだ。
 

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シンドバッドとポパイ(右)
 ポパイには、当時の技術でもオリジナリティを出せるほどの個性があるキャラクターだ。
 パイプと力こぶ、そして、ほうれん草の缶詰。すでにアニメで活躍するポパイは、それに似せたキャラを描いただけでも、プレイヤに認知させることができた。
 しかし、オリジナルキャラでは、そうはいかなかった。
 
 誰もがこのような失敗するプロジェクトからは手を引きたがる。それが、若い宮本茂に大きなチャンスを与えた。
 「急場しのぎ」のゲームだったからこそ、彼はこのプロジェクトに大きく関わることができたのである。
 
 宮本茂は考えた。パックマンに負けないほどの独自性をもたらす人間キャラクターとは何か。
 彼は思う。それは「顔」がなければならない。いくら、外見を目立たせても、顔のわからない人間キャラに、プレイヤが愛着を寄せるはずがない、と。
 かといって、当時の技術で、個性的な顔を描くとなれば、ゲーム画面に占めるキャラクターの割合が大きくなり、その行動範囲は限られてしまう。
 今回のプロジェクトの筐体の機能では、画面スクロールをすることはできない。固定画面型アクションゲームしか作ることができないのだ。
 だから、キャラクタはできるだけ小さくしなければならない。
 
 そこで、彼が思いついたのが「ヒゲ」である。
 もし、ヒゲを描いたのならば、鼻と口があることを、一本の線で表現できるからだ。
 そして、それまでに「ヒゲ」のあるゲームキャラクターは、皆無といっていい状況だった。
 
 また、彼は人間キャラが動くとき、髪がなびかないのは気に入らなかった。
 プレイヤに「走っている」という感触を共感させるためにも、髪はなびかなければならないと考えた。
 しかし、当時の技術では、細かい髪の動きを表現することは無理である。
 ゆえに、彼は「帽子」をかぶせることにしたのだ。
 
 このようなコンセプトをもとに、「マリオ」は生まれた。
 といっても、このときには、そのキャラクターに名前はなく、ただ「Mr.Videogame」と呼ばれていただけだったが。
 
 「ドンキーコング」で、宮本茂がデザインしたのは、ゲームのキャラクターだけではない。それぞれのステージのコンセプトも彼が考えたものだった。
 
 
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 一面では、ハシゴと坂道による単純なステージ
 
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 ファミコン版ではカットされたニ面では、移動床が登場する
 
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 三面では、エレベーターが登場し、下から上ではなく、左から右への移動展開が可能
 
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 そして、四面。それまでとは異なり、目的地にたどり着くだけではクリアできない
 
 
 画面スクロールができなかったからこそ、宮本茂は、それぞれの四面を、一目見ただけでわかる印象的なステージにしたのだ。
 「何度もプレイしてもらえるゲーム」とはなにか? それぞれのステージには、宮本茂のそんなコンセプトが強く反映されている。
 
 彼は言う。
 
「一目見ただけで、プレイしなくても、そのゲームに愛着が持てるようなゲーム画面でなければならない」
 
 こうして、宮本茂が、グラフィックだけではなく、コンセプトをもデザインした「ドンキーコング」は大ヒット。
 名前をつけられなかった「Mr.Videogame」は、その続編の「ドンキーコング Jr.」で、とある社員に似ていることから「マリオ」の名を与えられることになる。
 
 宮本茂からすれば、いくら緻密なキャラ設定をしても、ゲーム画面に反映されなければ意味がないものだった。
 独自性のあるデザインを生み出せば、おのずと、そのキャラクターの「物語」はできあがるものなのだ。
 そんなコンセプトを明確にしたデザインだったからこそ「マリオ」はもうすぐ生誕30周年をむかえるというのに、未だに現役で活躍し続けているのだ。
 
 このヒットで宮本茂は当時の任天堂社長・山内溥に信頼され、ビデオゲームの開発に大きく関わることになる。
 「ファミコン」こと「ファミリーコンピューター」の仕様にも、宮本茂は大きく関わっている。
 「3年は遊べる家庭用ゲームマシン」を合言葉に作られた「ファミコン」だが、その描画仕様をどのようにするかは大きな問題だった。
 デザイナーとして、宮本茂は「これだけの機能がなければ面白いゲームは作れない」という基準を設けた。
 そして、それをもとにファミコンは設計されたのだ。
 
 そんな「ファミコン」にて、1985年、世界でもっとも有名なゲームが誕生する。
 
 
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 宮本茂は、ディレクターとして、この「スーパーマリオブラザーズ」に大きく関わっている。このゲームもまた、彼のコンセプトが強く反映された作品だったのだ。
 
 なぜ、マリオにヒゲがあるのか?
 それは、生みの親、宮本茂のゲーム哲学が強く反映されている。
 発売当初は名前さえもなかった彼が、世界中で今もなお親しまれているのは、彼が「うまく見せる絵」ではなく、当時の技術でも独自性を打ち出すキャラクター作りに成功したからなのだ。
 
 
堀井雄二のゲームデザイン(1) ー 最初だからこそできた「最大の禁じ手」
 
 

【関連動画】
 

プレイ動画 - ドンキーコング(アーケード 1981年)
 
 ファミコン版では省略されたオープニングデモや移動床の2面を見ることができる。
 
 

プレイ動画 - ドンキーコング(ファミコン 1983年)
 
 こちらがファミコン移植版。デモがなかったり、全3面になるなどの改変措置がとられている。
 
 

プレイ動画 - ドンキーコング JR.(アーケード 1982年)
 
 「ドンキーコング」続編は、なんとマリオが悪役として登場。なお、「MARIO」の名がついたのもこの作品から。
 全4種類のステージだが、1面→4面, 1面→2面→4面, 1面→3面→4面と、特殊な進行設定となっている。
 このような「全ステージをプレイしなくてもクリア可能」という難易度設定は、「スーパーマリオ」の「ワープゾーン」に引き継がれた。
 
 
【関連リンク】
 
社長が訊くスーパーマリオギャラクシー 2』 宮本茂 編
http://www.nintendo.co.jp/wii/interview/sb4j/vol1/index.html
 
 任天堂公式サイトの名物コーナー「社長が訊く」にて、新作「スーパーマリオギャラクシー2」のコンセプトを、宮本茂が語っています。
 
 
【参考書籍】
 
It’s The NINTENDO

It’s The NINTENDO