フリーソフトRPGをふりかえる(前)

 
ムンホイXP、中断していた制作を再開するにあたって僕の思いを吐露 - 神無月サスケの波瀾万丈な日常・はてなブログ編
 
 上記エントリを読んでから、フリーゲームフリーソフトのゲーム作品)という文化について、思いを巡らせた。
 

ムーン・ホイッスル

Moon Whistle

子どもの視点から夢を喪失した社会を映しだす現代RPG

[RPGツクール95製、フリーウェア]

 「Moon Whistle」(ムーンホイッスル)は、RPGツクール95で作られたオリジナル長編作品である。
 正義の味方に憧れる子どもを主人公にした現代風RPGで、インターネット・コンテストパーク1999年10月金賞受賞作品(賞金5万円)かつ、第4回アスキー・エンタテイメントソフトウェア・コンテスト佳作受賞作品(賞金20万円)
 現在はフリーソフトとして公開されている
 
 「Moon Whistle」は、二つの町を舞台に24章からなるストーリーで構成されている。メインシナリオだけではなく、住民との会話や隠し通路など、RPGならではの寄り道する楽しさが盛りこまれている。
 絵日記から飛び出したかのようなモンスター、そして、噂に流されやすく孤独を恐れる子どもの弱さと強さを描いたイベントなど、独創性豊かな世界観を構築することに成功した作品である。プレイ時間は12時間程度だろうか。
 
 しかし、RPGツクール95製作品である「Moon Whistle」は、Windows XP以降の環境では、様々な不具合が生じ、快適にプレイすることができない。
 そのためか、より遊びやすくリメイクされた「Moon Whistle XP」の制作が作者ブログにて発表された。
 
 ところが、ファンの期待に反して、その制作は難航していた。
 そしてこのたび、シェアウェアとして、つまり、有料ソフト化を検討していることが、作者ブログにて示唆されたのだ。
 
 フリーウェアゲームの作家として、存在感を保ち続けているこの作者のこと、みずからの報酬だけを目当てに、シェアウェア化の検討を発言したのではないと考えている。
 それは、衰退しつつあるフリーゲームの将来性を危惧した警鐘ではないかと、個人的には受け止められた。
 
 今もなお、RPGツクール製のシェアウェア作品が少ないという現状。
 代価が得られない創作活動へのモチベーションと、続編を求め続ける支持者たちの鳴りやまない声。
 フリーゲーム作家が書いた小説「エレGY (講談社BOX)」の中で表現されていた、有名サークル「アンディー・メンテ」の理想と現実。
 
 ある者は、みずからの生活を犠牲にして、フリーゲームの制作に没頭した。
 それが「フリーウェアゲーム・スピリット」と呼ぶほど、高尚なものであったかどうかはわからない。
 
 かつて、フリーゲームを紹介する人気サイトが数多くあったが、そのほとんどが閉鎖ないし更新停止している。
 「超激辛ゲームレビュー」を見ると、今もなお、質の高いフリーゲームが続々と登場しているようだが、若者のコンテンツ創作の中心は、ゲームよりも動画作成に移っているのが現状ではないか。
 
 この記事では、RPGを中心にした代表作を紹介しながら、フリーゲームという文化について書き連ねてみようと思う。
 

フリーソフトRPGをふりかえる】目次

1.同人ゲームとフリーゲーム
2.RPGツクールでの創作コミュニティ
3.Aコンとコンパク
4.フリーゲームだからこそ見える「面白さ」
5.クリエイター紹介
 (1)アルファナッツ
 (2)Stadio Til
 (3)SmokingWolf
 (4)アンディー・メンテ
 (5)犬と猫
6.「Moon Whislte」という作品が持つ「磁力」
7.コンテンツの価格について ―アリスソフトの事例から
8.ニコニコ動画で人気のフリーRPG
9.VIP RPGと「もしもシリーズ」
 
 

1.同人ゲームとフリーゲーム

 
 
zoomeゲーム動画ウォッチャー(第4回)
zoomeゲーム動画ウォッチャー(第4回) Another Moon Whisltle
 
 zoomeゲーム動画ウォッチャーで紹介されている「Another Moon Whistle」は「Moon Whislte」と同作者による外伝的作品であり、フリーソフトとして公開されている。
 その「Another Moon Whistle」が、上記事では「同人RPG」と紹介されていることに違和感を抱いた。
 
 「同人ゲーム」という呼称には、コミックマーケットなどの同人誌即売会で発表されるパッケージ作品という印象が強い。
 「月姫」や「ひぐらしのなく頃に」などの作品を連想する人が多いのではないだろうか。
 
 それに比べ、「フリーゲーム」は、パソコン通信時代から発展してきたジャンルである。
 それらはVectorなどのソフトライブラリに登録されている。ゲームファイルはサイズが大きいため、無料ホームページスペースでは公開できないからだ。
 Vectorでは、性的要素などを含む年齢制限作品は登録できない。また、版権キャラを用いた二次創作も少ない。
 
 今では、年齢制限のともなう同人作品のダウンロード販売が活発になっているが、例えばその大手サイトのひとつDLsiteは、2003年に開始されたサービスである。
 それまでにも、通販ショップはネット上にも多くあったが、アダルトコンテンツの販売が実用化されたのは、ここ数年のことなのだ。
 
 このような事情が、フリーゲームという文化に大きく反映している。
 
 

クレスティーユ

Cresteaju

音楽・シナリオ・システムに優れた20時間超の長編RPG

[ファンタジーRPG、フリーウェア]

 また、同人ゲームの大半は、ヴィジュアルノベルというADV形式がほとんどである。
 同人誌即売会を背景に発達したこともあり、漫画と同じように、画風で個性を出さなければ、注目を浴びなかったためであろう。
 
 しかし、フリーゲームでは、グラフィックは必ずしも重視されない。
 たとえば、パソコン通信時代から人気を博した「AMEL BROAT」(アメル・ブロート)や、同作者による「Cresteaju」(クレスティーユ)は、見た目の派手さはないが、シナリオやシステムなどのゲーム性が高く評価され、フリーRPGの代表作の一つとされているのである。
 
 
 フリーゲームは無料で公開されている。
 このことから、売り物である同人ゲームに比べて気軽な気持ちで作成されていると思われるかもしれない。
 
 しかし、コミックマーケットでの売り上げを目標にした同人ゲームのように、現在、フリーゲームとして公開されている作品の少なくない数が、あるコンテストを目標に作られていたのだ。
 
 そのコンテストを中心としていたからこそ、既存のキャラに頼らない、独創性豊かな文化がフリーゲームから生まれたのだ。
 
 決して、無料だからといって、フリーゲームは無責任かつ模倣作が中心のメディアではない。
 
 

2.RPGツクールでの創作コミュニティ

 
 
 そのコンテストについて語る前に、フリーゲームに多大な影響を及ぼしている「RPGツクール」というゲーム作成ソフトについて説明しよう。
 
 現在、Vectorなどで公開されているフリーゲームのなかには、RPGツクール2000で作られた作品が少なくない。その多くは似たような外見で、システムとストーリーに独自色は見られない。
 
 同人ゲームで使われているNScripter吉里吉里2/KAG3(いずれもフリーソフト)は、商用作品でも利用されている高性能なスクリプトエンジンである。それらを用いた創作活動に比べると「RPGツクール2000」におけるゲーム作成は簡単であると考えている人がいる。
 
 確かに、RPGツクール2000は、ゲーム作成ツールとしての敷居が低いために、数多くのアマチュア作品を世にもたらしたのは事実である。
 しかし、その中で「傑作」となるだけの作品には、それ相応の手間がかけられている。
 
 例えば、「Stadio Til」というサークルがある。
 「ネフェシエル」というRPGツクール2000フリーゲームが有名だが、それ以外にも多くのADVゲームを作成している。もともとは、同人即売会で販売するパッケージ作品の制作を中心としていたサークルなのだ。
 それらは既存のゲーム作成ツールを利用せずに作られていた。そして、「HNS」(Hyper Novel System)という自作のADV作成ツールをフリーソフトという形で提供していたのだ(現在は公開終了)
 その「HNS」をもとにした作品の中では「遠来」というSFアドベンチャーフリーソフト)が有名だ。
 
 このように、ヴィジュアルノベル作成ソフトを自作したサークルが、RPGツクール製作品を発表している事例もあるのだ。
 
 フリーソフトの中には、前述した「Cresteaju」(クレスティーユ)などのように、ツクール製以外のRPGがあるが、その数はきわめて少ない。
 ADVゲームに比べると、RPGのシステムを確立するためには、莫大な労力を要するからである。
 

救星主伝説☆星の旅編

救星主伝説☆星の旅編

限られた数の敵しか出ないフリーシナリオRPG

[RPGツクール2000製、前篇はフリーウェア]

 そのため、RPGツクール2000が発売される前は、RPGシェアウェア、つまり有料ソフトであることが多数派だった。もともと、パソコン通信は、コンテンツに課金しやすい環境が用意されていたため、シェアウェアは珍しいものではなかった。
(例えば、救星主伝説作者のゲームのほとんどは、当初シェアウェアで公開されていた)
 
 それを一変させたのが、敷居が低く、独自色のあるゲームシステムを盛り込むこともできた「RPGツクール2000」である。
 そのサンプルゲームのひとつ「クイーン・クー」は商取引やオリジナル戦闘など、商業作品にも劣らないシステムが導入されていた。RPGツクール2000を使えば、これまで不可能だった自作戦闘など、自分の理想とするゲームデザインを生かした作品が作れることを、サンプルゲーム「クイーン・クー」は教えてくれたのだ。
 
 こうして、多くの若者が自分のゲームを創作するために、RPGツクールを手にすることをためらわなくなった。
 
 そして、彼らには目指すべき目標があった。それが、大賞賞金1000万円の「Aコン」であり、毎月行われていた「コンパク」であった。それは、自分の生活を犠牲にしても、RPGツクールによるゲーム制作をするだけの動機となりえたのである。
 
 

3.Aコンとコンパク

 
 
 大賞賞金1000万円の「Aコン」と、毎月開催の「コンパク」は、いずれも「RPGツクール」の販売元であるアスキー(現エンターブレイン)の主催で行われていた。
 そのため、応募作は「RPGツクール」などのツクール作品が中心であった。
 
 インターネット上では、RPGツクール作品ということだけでプレイを敬遠されることがある。
 前述したソフトライブラリVectorでは、オリジナリティの乏しいRPGツクール製ゲームが、ウンザリするほど数多く登録されているからだ。
 
 しかし、エンターブレイン主催のコンテストでは「いかにそのツールを利用して独創性が出せたか」が評価される。
 こうして、毎月行われる「コンパク」などのコンテストを通じて、ツクールの新たな可能性が次々と開拓された。
 
 これらの受賞作品は、結果的に「フリーソフト」という形で公開されることになった。
 受賞作作者は賞金を手にし、しかも、無料という形で自作を頒布できたのである。
 

盗人講座

盗人講座

多彩な登場人物のイベントが楽しい戦闘のないRPG

[RPGツクール2000製、フリーウェア]

 それらコンテスト受賞作品の中で、もっともオススメしたいのが「盗人講座」という作品だ。
 RPGツクール2000で作られているが、わずらわしい戦闘はなく、イベント中心のRPG型ADVである。
 この作者は、別作品で第一回Aコンにて大賞(賞金1000万円)を受賞しており、この「盗人講座」でも第5回にて入賞(賞金50万円)を受賞した。
 
 グラフィックや音楽は素材を利用しているため、外見上の個性はない。
 それにも関わらず、高く評価されてきた作品である。ゲームに必要な要素が何であるかを教えてくれる、個人製作ゲームの模範作である。
 
 
 しかし、この「Aコン」と「コンパク」は、いずれも現在では行われていない。
 
 もし、これからインターネット上で、個人制作ゲームを発表しようとすれば、これらのコンテストの過去の受賞作と同じ土俵で戦わなければならないのである。
 そして、それに匹敵する作品を世に送り出しても、賞金などの報酬を得られることはない。
 シェアウェアとして有料で販売しようにも、すでに無数の傑作がフリーソフトとして公開されているため、成功することは難しいだろう。
 
 今、RPGツクールによるゲーム作成をするだけの動機を持つことが難しいのが現状である。
 
 

4.フリーゲームだからこそ見える「面白さ」

 
 

Ruina 廃都の物語

Ruina 廃都の物語

独特の文体が世界観を紡ぎだすゲームブック形式のRPG

[RPGツクール2000製、フリーウェア]

 衰退気味だと思われていたフリーゲーム界で、昨年に一つのRPGツクール2000製作品が話題となった。
 
 その作品「Ruina 廃都の物語」はゲームブックを意識したゲームデザインがなされており、文章描写が主体で物語が進められていた。
 若い世代とって、ゲームブックは過去の遺物かもしれないが、世代を問わずして「Ruina 廃都の物語」が受け入れられたのは、何度もクリアしたくなるストーリーの奥深さと、文体による独自の世界観の構築に成功していたからだろう。
 
 今の商業ゲーム、特にRPGについては不満の声が少なくない。たとえば、海外のゲーマによる「JRPG批判」については、活発な論議がされている。ある者は「ドラゴンクエスト」の初期シリーズこそ理想のRPGであると言う。スーパーファミコンのスクエア作品が黄金期と主張する者もいる。
 
 かつて、ゲーム製作者は少ない容量で独自のゲーム性を打ち出すことに労苦を費やしていた。ドラゴンクエストの「王様に命令された勇者が魔王を倒す」という理不尽な冒険設定も、サイズの少なさからの苦肉の策であったのだ。
*参考記事 ⇒ドラゴンクエストは、夢幻の心臓IIのパクリか?
 
 しかし、今のゲームはどうであろう。ハードウェアの開発速度に似合うほどのソフトが発表されているだろうか?
 息をのむようなグラフィックを演出するために、ゲーム製作は大人数のプロジェクトとなり、その結果、「そのゲームだからこその面白さ」という個性が見えにくくなっている。ボリュームを多くするためとしか思えない、プレイ時間を引き延ばすだけのイベントの連続に飽き飽きしている人は少なくないだろう。
 
 フリーゲームではそのような心配はない。数時間で終わる作品があれば、10時間をこす作品もある。それは「一定レベルまで達しないと売れない」という商業作品とは違って、それぞれの作品なりの創作動機があるのである。
 
 誰しも「自分の物語」を抱えている。それをどのような形で表現するかは人それぞれである。それは、小説でもいいし、漫画でもいいし、ゲームであってもいい。そして、頭の構想を形に置き換えるきっかけの一つが、「自分の理想とするゲーム性を多くの人に知らせたい」という動機であってもおかしいものではない。
 
 少しジャンルは異なるが、村上春樹の小説「1973年のピンボール (講談社文庫)」なんて、双子の恋人を持ったらどうなるか、という幻想が製作動機になっているとしか思えない作品である。その他に、運動の後のビールはうまい、という描写が執拗なぐらい出てくる。もちろん、それだけの内容であれば、エッセイであって、小説ではないのだけれど、一つの作品を完成させるための動機づけとしては、双子の恋人との生活を描く、ということだって立派なものなのである。
 
 前述した「Ruina 廃都の物語」の場合、ゲームブックの面白さを伝えたいということが作者の製作動機のひとつになっているはずだ。そして、それに成功したとき、ゲームブックを知らない世代にも支持されることになる。この独自性が尊重されるところが、フリーゲームの文化の魅力であろう。
 
 「流行を追うこと」にはなく「いかに作りこんだか」に注目が集まるのがフリーゲームなのである。
 
 それでは、次回は、そのようなフリーゲームの個性ある作品を、クリエイター別に紹介していこう。
 
 
フリーソフトRPGをふりかえる(中)につづく