なぜ、マイケル・ジャクソンの怒りの叫びは届かなかったのか?

 

 
 1995年、マイケル・ジャクソンは「ヒストリー」という二枚組アルバムを発表した。
 一枚目がベスト盤、二枚目が新作という奇妙な形態で発売されたそのアルバムは、2000万枚近くの好セールスを記録した。
 1993年に起こった少年性的虐待疑惑によりマイケル・ジャクソン人気は失墜していたと見られていた。しかし、そのCDの売り上げは、彼の人気が健在であることを知らしめたのだ。
 
 その二枚目の新作盤で、一曲目に収録されたのが、妹のジャネット・ジャクソンが参加した「スクリーム」。執拗なバッシングに悲鳴をあげる自身の感情を曲にしたものだ。
 そして、その次に収録されたのが、死の二日前のリハーサル映像で有名になった「They Don't Care About Us(誰も俺たちを気にしちゃいない)」である。打ち込みによるサウンドと攻撃的なメッセージを含んだ、マイケルの野心作だった。
 このPVは二種類あり、プリズン・バージョンといわれる初期バージョンは「暴力的表現」を理由にMTVでは放映されなかった。
 この歌詞では、暗殺された黒人運動家キング牧師の名前が出てくるなど、不当な人種差別を厳しく批判した内容であったが、多くのファンはその攻撃性に眉をひそめた。なかには、少年性的虐待疑惑によるバッシングからきた「被害妄想」が反映されただけであると一蹴する者もいた。
 
 結果として「They Don't Care About Us」の社会性の高いメッセージは人々に受け入れられなかった。
 もし、「ヒストリー」が新曲だけのアルバムならば、それは失敗作とみなされたことだろう。
 
 死後、マイケル・ジャクソン尋常性白斑という病気におかされていたことが、日本においても広く知られるようになった。検証動画を見ればわかるように、その患者の外見は正視しがたいものである。
 まだら模様を隠すためにマイケルが、濃いファンデーションをしたり、レーザー治療などを受けたのは、ステージに立つ者として当然のことだった。
 
 「They Don't Care About Us」の歌詞を見れば、彼が黒人であることのルーツを否定した内容ではないことがわかるはずだ。彼自身による打ち込みアレンジは、ヒップ・ホップのMJ流解釈だと言えるだろう。
 「Off the wall」でポール・マッカートニーとデュエットしたりと、みずからの音楽性を黒人文化に限定しなかったマイケルも、やはり、黒人ミュージシャンの系譜の一人であったのだ。
 そんな黒人テイストあふれるこの楽曲を、多くのファンが見ないふりをしたのはなぜか?
 
 それは、マイケル・ジャクソンが愚直に怒ることしかできなかったからではないだろうか。
 
 正義を主張する激しい怒りは、常に人々の誤解を招いてきた。
 だから、アーティストはそれに代わる表現手段を見つけなければならなかったのだ。
 
 
 まず、20世紀の大衆音楽にもっとも影響を与えた人物のひとり、ボブ・ディランを紹介しよう。
 
 ボブ・ディランの代表曲「Blowin' in the wind(風に吹かれて)」は、今でも多くのミュージシャンに歌われている。
 

 
 一番の歌詞の大意は次の通り。
 

どれだけの道を歩けば、大人になれるのだろう
どれだけの海をこえたら、鳩は休めるのだろう
どれだけの弾丸が飛んだら、争いは終わるのだろう
 
友よ、その答えは風に聞いてくれ
答えは風に吹かれている

 
 冒頭のわずか三行の歌詞で、ボブ・ディランは若者の喪失感を描きだしている。
 
 いくら努力しても、上の世代には認められない。
 いくら身を粉にして働いても、休むことが許されない。
 いくら血が流れても、戦いが終わることはない。
 
 それは、努力がむくわれないことを、夢がかなわないことを、正義が通用しないことを嘆いているだけの歌なのか。
 
 いや、この歌はみずからに正しくないと歌うことができない曲なのだ。
 みずからをあきらめたとき、その人はこの曲を歌う権利をなくしてしまうだろう。
 
 スティービー・ワンダーは、よくこの曲を黒人差別根絶の思いを託して歌っている。
 これらのような慰めこそが、音楽が持つ最大の力ではないだろうか。
 
 
 ボブ・ディランは母国を批判する曲も多く作っている。
 そのひとつが「With God On Our Side(神が味方)
 

 
「おれはしがない若者。そんなおれが教えられたことは、この国は神が味方していることだ」というフレーズから始まるこの曲は、米国が関わった戦争史をふりかえっている。
 米西戦争や、二度にわたる世界大戦や、ソ連との冷戦などを通じ、母国である米国は神が味方しているから勝利してきたと教わったと語る。
 
 しかし、歌の主人公はそれに疑問を抱く。そして、最後にこう歌う。
「もし、本当に神が味方をしているのならば、次の戦争を止めるだろう」
 
 2001年にニューヨークで起きた9.11同時多発テロにより、当時の米国ブッシュ政権は「対テロリスト戦争」を掲げ、それは米国民の圧倒的支持を得た。その空前の支持率は、数年後には失墜する。名目なきイラク戦争グアンタナモ基地で行われていた容疑者への拷問。それらの事実が明るみになって、ブッシュ大統領の権威は地に堕ちた。
 
 ディランの「神が味方」は1963年に作られた曲だが、数十年を経た現在でも、説得力のあるメッセージがこめられている。
 
 ボブ・ディランが「怒り」を直接的に表現したのは「Master of War(戦争の親玉)」ぐらいで、それは戦争を商売としている武器商人を声高に批判したものだ。ディランは今でもよく歌うが、あまり人気がない。
 それよりも、ディランが偉大なミュージシャンと認められるのは、人間の「嘆き」や「慰め」の歌を多く残しているからだ。
 
 なぜならば、高ぶる感情は、より事態を複雑化させるからだ。その声が大きければ大きいほど、人々はそれに反発する。
 「They Don't Care About Us」の真のメッセージが届かなかったのも、マイケル・ジャクソンの態度が直接的すぎたせいではないだろうか。
 
 
 この「They Don't Care About Us」には、ユダヤ人を侮蔑した用語が使われていると批判された。
 だがそれは、ジョン・レノンが「Woman is the Nigger of the World(女は世界の奴隷か!)」と歌ったのに似ている。ニガーという黒人蔑視の差別用語は許されるものではないが、黒人たちはこの曲で「ウーマン・リブ」の意味を身近に知ることができたはずだ。自分と同じような差別を、女性が受けていること。
 
 だが、これらの過激な表現は、敵に隙を与えるようなものだ。
 かつて、詩人は語彙が豊富であることが絶対条件だった。政府の検閲から逃れるべく、真の意味は比喩的表現に隠さなければならなかった。そして、仲間内で秘められたメッセージがひそやかに語り継がれたものだ。
 
 
 一方で、黒人ミュージシャンのなかには、その怒りをかなりストレートに歌う者たちもいる。
 
 もともと、ロックンロールは黒人音楽から生まれたものだ。エルヴィス・プレスリーがスターになるのを見て、黒人たちは「俺たちの音楽を売り物にした」と憤っていた。
 
 そんな黒人に認められたのがバディ・ホリーである。1958年、黒人の聖地であり、白人禁制だったアポロ・シアターにバディは出演し、喝采を浴びた。それは、白人のロックンロールが黒人に認められた偉大な瞬間であった。
【参考記事】バディ・ホリー - 22歳で夭折したロックンロールのフロンティア - esu-kei_text

 
 ミュージシャンの間では、白人と黒人との交流はさかんだった。
 1965年、ローリング・ストーンズは、ロック史上に残る名曲「サティスファクション」を発表した。そのとき十代だったスティービー・ワンダーは、それに触発されて「アップタイト」という会心作を書いた。
 ビートルズだって、「Get Back」セッションでは、黒人ピアニスト、ビリー・プレストンをゲストに迎えていた。
 
 しかし、それでも、偉大な黒人ミュージシャンが怒りの音楽に残し続けたという事実に、僕はその差別の深い根を知る。
 ただ、人種をこえて歌い続けられている曲は、声高に叫ばれる怒りの曲ではないのだ。
 
 
 例えば、マーヴィン・ゲイの「What's Going On
 

 
 70年代初頭の混沌とした米国社会に「どうなっているんだい?」と問いかける哀しげなソウルは、今でも多くの人の心を震わせている。
 この曲をタイトルとしたアルバムでは、ベトナム戦争アポロ計画などの社会事象を取り上げており、それに苦悩する男の姿を描きだされていた。
 それは現代社会にもつながるメッセージ性を持つ。
 
 
 ボブ・マーリィの「Get Up, Stand Up」は、キリスト教を否定し、「権利のために立ち上がれ」という、きわめて社会性の強い歌詞だ。
 

 
 しかし、それは、レゲエのリズムに合わせて、語りかけるように歌われる。
 「今すぐ蜂起せよ」と他人をけしかけるのではなく「俺の言い分を聞いてくれないか」と心に訴えているのだ。
 
 この曲は白人アーティストにも多くカバーされている。
 その理由は、黒人の迷信深さを罵ることにとどまらず、この世で生きる命の素晴らしさに気づいてほしいという強い願いがこめられているからだろう。
 
 
 このように、マーヴィン・ゲイはソウル、ボブ・マーリィはレゲエというみずからの音楽背景を生かし、それぞれの想いを歌に託した。
 マイケル・ジャクソンはどうだったのだろうか。
 
 
 マイケル自身が最後のステージと公言していた「This is it」のパフォーマンスで、「They Don't Care About Us」は重要な位置を占めていたと思われる。
 マイケル・ジャクソンは、バックダンサーを従えた、彼自身が確立したミュージカル形式のステージで、そのメッセージを届けようと努めていたのだ。
 
 リハーサル映像では、キング牧師の演説を引用し、それに敬礼する動作がもりこまれている。
 これを見れば、この曲が被害妄想から生まれたのではなく、メディア批判でもなく、キング牧師の偉大な魂を引き継いで無知からくる偏見の嵐に立ち向かおうとする男の歌であることがわかるはずだ。
 
 決して、彼は怒ってばかりいるのではなかった。アーティストとして、パフォーマーとして、マイケル・ジャクソン流にメッセージを届けようとしていたのだ。
 
 
 マイケル・ジャクソンは幼少からステージに立ち、母は「エホバの証人」の熱心な支持者であった。ただ、彼はそのような特殊な個人的背景を、あまりステージで見せようとしなかった。
 彼の奇行の多くは、ステージ上でのマイケル・ジャクソンを生かすためのものだったといえば合点がいく。ステージでスーパースターでいられることが、彼の最優先事項であった。
 
 彼はみずからの肉体を偽り、二十歳のパフォーマンスをファンに見せようとつとめた。
 体重を極限に落とし、痛み止めを服用し続け、それは死期を早めることになった。
 
 
 もし、彼の急死がなければ、僕は今でも、マイケル・ジャクソンを「白人になりたくて整形をくりかえしたスター」ととらえていただろう。
 彼のメッセージは、その死まで、僕のような人間の心をゆさぶることはなかった。
 
 
 マイケル・ジャクソンの偉大さは、あらゆるゴシップにのまれても崩れることはなかった。
 しかし、彼が人種差別とみずからの音楽で立ち向かおうとしたことも、決して忘れてはならないだろう。
 
 「They Don't Care About Us」が名曲として語り継がれることはないだろうが、誤解されたマイケル・ジャクソンの遺志は、新たな人によって、音楽として語り継がれるのではないかと思っている。
 
 
 僕は思う。魂をゆさぶる曲とはなんだろう。

 必死で他人の体をゆさぶっても、その人の魂は動かされない。声高に自分の意見を主張すればするほど、相手は反発心を抱く。
 
 だから、我々は敵に静かに語りかけるしかないのだ。誰にも自分と同じ痛みと哀しみがそなわっていると信じて。
 
 
 僕は僕なりのやり方で、人々の魂をゆさぶるしかない。
 
 
【追記】
 
 多くの人にはなじみのないであろうボブ・ディランの歌詞の魅力を少しだけ。
 
 

 
 Byrdsのカバーによる「Chimes Of Freedom(自由の鐘)」
 イメージ豊かなディランの詩の世界が味わえる初期の傑作のひとつ。
 
 

 
 最近のアルバム「モダン・タイムズ」から「Workingman's Blues #2
 日本人からすれば「演歌」の域に達している今のディランだが、彼の歌は仕事に疲れた男たちを慰めるために今日も歌われ続けているのだ。