3館休館の生田緑地を散策する

 

 
 生田緑地よ、私は戻ってきた!
 ブログで書くネタも尽きてきたし、そろそろ「岡本太郎美術館」に行って、生田緑地四天王を制覇しようと考えていた僕であったが――
 

 
 僕が行った1月30日(月)はなんと美術館休館日。月曜にしか休みしかとれなかった僕の事情を鼻で笑うがごとしである。
 仕方ないので、生田緑地を散策することにした。今回の記事は、そんな僕がスマホで撮った写真をまとめたものである。
 
 【目次】
(1) 15人の死と母の塔
(2) ホタルの里で静寂を楽しむ
(3) 特に歴史のないファンタジックな史跡
(4) 生田緑地のガッカリスポットと裏口
(5) 野鳥の森を歩く
(6) つつじ山で見た女の子と早咲き梅
(7) 写真を撮っただけの俺
  
 

(1) 15人の死と母の塔

 

 
 前回(12/17)のセーブ地点「奥の池」から、僕の生田緑地探索は再開する。
 そこから岡本太郎美術館まではすぐだが、途中で慰霊碑があった。
 なんの慰霊碑かのぞき見る。
 


 
 犠牲者15人という数に絶句する。
 1971年(昭和46年)に起きた川崎ローム斜面崩壊実験事故の慰霊碑とのこと。
川崎ローム斜面崩壊実験事故 - Wikipedia
 
 年配の方にとって、生田緑地とはこの事故のイメージが強いのかもしれない。
 黙祷する。
 
 その先にある岡本太郎美術館は閉館。
 

 
 美術館のシンボルである「母の塔」を見ることはできる。
 



 
 この「母の塔」が予想よりも大きくてビックリした。
 せっかくだから、もっと目立つように建てればいいのに。向ヶ丘遊園駅から見えるぐらいにさ。
 

(2) ホタルの里で静寂を楽しむ

 
 そこからまっすぐ行けば専修大学に行けるが、もちろんそこに用はない。
 僕が向かうのは「ホタルの里」である。生田緑地入口から遠く離れているため、物好きでなければ足を運ぶことはない。
 


 
 まさに映画『沈黙―サイレンス―』の世界だ。平日朝ということで、行き交う人の影がなければ、人工的な音も届かない。『沈黙』のレコーディングができるぐらいである。
 この僕ですら、人恋しいと感じるほどの静寂である。
 このような体験ができる楽園が徒歩圏内にあることを僕はもっと喜ぶべきかもしれない。
 


 
 散策にはもってこいな場所だと感じるだろうが、考えなしに歩いていると、生田緑地を出てしまうという罠がある。住宅地に出ると車が来るかもしれず、無心になって考えることはできない。ある程度の散策ルートは決めておくべきだろう。
 

(3) 特に歴史のないファンタジックな史跡

 

 
 山道を歩いていると、突然、こんなファンタジックな史跡が待ち受けている。
 何かを封印しているような趣きすら感じられる想像力を駆り立てられるスポットである。
 生田緑地に行ったことがある人でも、この史跡を見た人は少ないのではないか。
 

 
 というのは、この史跡「戸隠不動尊跡地」には特に歴史がないからである。
 昭和5年に建立、平成5年に焼失、という、わざわざ跡地にする必要のない建築物である。
 だから、わざわざ見に来る人がいない穴場なのだ。
 


 
 僕はこの史跡が気に入った。レコードデビューをしたら、そのPVで使いたいと思ったほどだ。
 

 
 なお、ここには水飲み場があるのだが、その勢いがとてつもなく強烈であり、誰も使っていないことを教えてくれる。
 僕はそれで下半身を濡らした。しかし、それが気にならないほど1月30日は晴天で、平日午前中の生田緑地に人通りはなかった。
 

(4) 生田緑地のガッカリスポットと裏口

 

 
 枡形山(標高84メートル)の山頂広場にたどり着く。生田緑地に行ったのならば行かなければならない場所である。
 園児たちが遊んでいるのを横目に、いつもの展望台に上る。
 


 
 残念ながら、この日はスカイツリーも富士山も見えなかった。
 

 
 そこからいつもと違うルートで下る。「生田長者穴横穴古墳群」がある道である。
 
 この場所には、登戸に移り住んで早々に行ったことがある。当時の僕は活力を持て余していた。今の僕はがんばらないとこういうところには行かない。
(ブログをチェックしてみると、2009年10月11日だった)
 

 

↑運命の分かれ道(というほどではない)
 
 肝心の「生田長者穴横穴古墳群」はというと――
 

 ただの横穴である。洞窟にすらなっていない。
 

 
 副葬品は中原区等々力にある川崎市民ミュージアムにて公開されているらしい。
 だから、古墳と感じさせるものがなにもない。
 まさに、生田緑地最大のガッカリポイントであろう。
 しかし、この近くには生田緑地裏口がある。
 

 
 2009年の僕もこの存在を知っていたはずだが、すっぽり記憶に抜け落ちていた。
 それほど「生田長者穴古墳群」のガッカリ感は凄まじかったといえる。
 

(5) 野鳥の森を歩く

 

 
 ふたたび入口に戻る。季節外れの菖蒲園をひとまず撮影。
 今度は野鳥の森ルートに行く。
 ちなみに、僕は四国の山奥出身なので、鳥のさえずりを聞き分ける耳ぐらい持っていると感じられるかもしれないが、そんなことはない。山菜採りに行ったことはあるが、ほとんど名前を知らない。自然というよものはそこにあるもので、その区別をしようと考えなかったからだ。
 おかげで田舎者のくせにサバイバル能力はゼロに等しい。山に篭ったところで、毒キノコを食べて死亡するのがオチであろう。
 だから、僕はスマホでパシャパシャ写真を撮ることしかできないのだ。
 



 
 まあ、これも初めてだからしているだけで、二度目となればブログのネタにもならないので、散策に専念できるだろう。
 そうすれば、僕にも鳥のさえずりを聞き分ける耳を持つことができるかもしれない。
 つまり、四季を通じて「生田緑地」に行け、ということだ。最低月一回は生田緑地に行き、樹の名前や鳥のさえずりを覚えようと考える僕であった。
 

(6) つつじ山で見た女の子と早咲き梅

 


 
 野鳥の森で写真を撮ったあと、生田緑地の奥地にある「梅園・つつじ山」方面に向かう。
 以前、2009年に行ったとき、藤子Aらしき人物に遭遇したことがある。たぶん、藤子Aっぽい人にすぎなかったと思うけど、当時の僕は「やはりこの近所に住んでいるのか」と確信なく信じたものだった。
 その場所がつつじ山である。
 

 もう7年以上になるものの、風景はきちんと覚えていた。記憶力というものはたいしたものだ、と感心していた僕だったが、この展望台にいたのは、ゴスロリ衣装に身を包んだ女の子だった。
 

↑この写真の左側にいた(さすがにトリミングした)
 
 つまり、生田緑地の奥でロリータ衣装の見せ合いをしている女子二人組がいたわけだ。ちょっとしたファンタジックな場面である。
 
 その後、梅園に行ったあとに戻ってみると、彼女らはゴスロリ衣装の試し着を終えて山を下っていた。普段の服も一人は白で一人は黒とハッキリ分けてある。
 いろんな意味ですごい子たちであった。
 
 さて、その梅園に行くと、1月30日の陽気に騙された梅が色づいていた。
 




 
 はたして満開は3月かそれとも2月か。ぜひとも、そのときには足を運びたいと思ったものだ。
 

(7) 写真を撮っただけの俺

 
 こうして、僕の生田緑地探索は終わった。スマホで写真を撮っただけじゃないかと言われればその通り。まだまだ僕は生田緑地マスターのスタートラインについただけなのだ。
 それにしても、ミネラルウォーターをチビチビ飲みながら歩くだけでも、なんだか健康的になった気持ちになれる。
 「戸隠不動尊跡地」という新たな発見もあった。
 今後も僕は生田緑地に足を運び続けるであろう。ときには無心で、ときには何かを発見しながら。