どもり男子とアイドルロボット(4)

 
【これまでのあらすじ】
 
 昨日のエリサと今日のエリサの変容に驚き苦しむ大介はキャサリンに助けを求めようとする。
 前日、エリサは4ケタのパスワードを解けば、自分の日記を読んでもいいと言った。しかし、アップデート後のエリサはそんな約束をしたことすら覚えていないという。
 大介は自力で4ケタの暗証番号を解こうとするが失敗。だから、前日にエリサと一緒に買い物をしたキャサリンと会うことで、そのヒントを知ろうとしたのだ。
 いっぽう、大学では「どもり君」と珍物扱いされている大介は、女子大生の話題になっていた。
「ねー、どもり君。ミズキさんとつきあってるってマジ?」
 ミズキという聞きなれない女子の名前に、大介はとまどう。
 さらに、キャサリンは知り合いのロボットに興味がある女子と一緒に、大介の部屋に来たいと言ってきた。
 これを「モテ期到来!」と喜ぶ余裕は大介にはない。大介にとって気がかりなのは、エリサの変容と前日の彼女が残してくれたメッセージだけだったのだ。
 はたして、どもり男子はロボットの思考プログラムの核心に迫ることができるのか?
 
 
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     (4)
 
「あれ? あたしのエリサちゃんは?」
 駅の改札口を出たキャサリンは、出迎えたのが大介一人だったことで、あからさまに落胆してみせる。
「だ、だだだ、だって、エリサは掃除してるから……」
「ということは、あたしたち、ヘタレ君に家まで連行されるってわけか。そりゃヤバいね。通報されちゃうかも」
「つ、つつつつ、通報って……」
 相変わらずのキャサリンの物言いに大介はたじろきながら、あたりを見わたす。
「で、ででで、ほかの子は?」
 大介が声をかけると、キャサリンの背中から、ひょっこりと女の子が顔を出してきた。
「どうも」
 それはキャサリンとは正反対の地味な印象の女の子だった。
 髪は短めでメガネをかけている。そして、とにかく背が小さい。キャサリンと同じ制服を着ているが、とても高校生には見えなかった。
 その子の姿は大介には意外だったが安心もした。キャサリン級の女子高生を想定して、それに対面する恐怖と戦っていた大介にとって、その子は小動物のような愛らしさすら感じた。
「こ、ここここ、この子がキャサリンが言ってた――」
「うわっ! ハナちゃんって、ほんとにコイツにキャサリンって呼ばせてるんだ」
 大介の会話にわりこんで、いきなりチビッ子はしゃべりだす。
「は、ハハハハ、ハナちゃん?」
「そうそう、ハナって名前のくせに金髪にしてるんだよ、このヒトは…………って、いてっ!」
 チビッ子の頭にキャサリンの手刀が落ちる。
「なんだよー、ハナっていい名前じゃないか。かわいらしくて」
「そ、そそそそ、そうだよ」
 大介は意味なくチビッ子に同意してみせる。
「まあ、コをつけたらハナコで牛になっちゃうけど、ハナちゃんあんまり胸ないから牛にもなれないっていうか…………いてっ!」
 さらなるキャサリンチョップがチビッ子をおそう。
「と、コイツ、かわいくないヤツだから。ヘタレ君も注意してね。いちおう、あたしのイトコ」
「わ、わわわわ、わかった、ハナちゃん…………いてっ!」
 大介の頭にもキャサリンの手刀が落ちる。
「ヘタレ君、もし、あんたがもう一度あたしのことをそう呼んだら、絶交だからね」
「う、うん」
 そんなキャサリンの様子をニヤニヤ見ているチビッ子に、大介は思わず小声で話しかけてしまう。
「ねえ、この子って学校でもキャサリンって言わせてるの?」
「そんなことないって。キミがヘタレだからダマされてるんだよ。それより……」
 チビッ子は大介をじっと見る。
「キミ、ボク相手にはどもらないの?」
「だって、君は子供だから…………いてっ!」
 チビッ子はすぐさま大介のすねを蹴る。
「なんだよそれ、ボクは女の子あつかいしてないってことかよ」
「だって、背がちっこいし、その話し方だって…………いてっ!」
 大介は向こうずねにさらなる打撃を受けてうずくまる。
「どこに目がついてんだよ! ボクだってハナちゃんと同じ制服着てるじゃないか! 女子高生だよ! 15歳の高一だよ!」
「……ということは、ヘタレ君は、あたしを意識してるから、どもってるわけ? もしかして、あたし、ねらわれてるの?」
 キャサリンはそう言って、自分を抱くように肩を震わせる。
「そ、そそそそ、そうじゃないけど……」
「やっぱり、あたし相手にはどもるんだね。ヘタレのくせに自意識過剰!」
 そして、大介に下されるキャサリンチョップ。
「う、うう……」
 女子高生二人のあまりにも理不尽な対応に、大介は涙目でうなってしまう。
「そんなことより、エリサに会いに来たんだよ、ボクは」
「そうそう。あたしたちの目的はヘタレ君じゃなくてエリサちゃんなんだから。早く案内してよね」
 二人は謝るどころか開き直ってみせる。
「そ、そそそそ、それよりも……」
 のそりと立ち上がった大介はキャサリンに向かって、
「こここ、この子の名前は?」
「ヒトの名前を知りたいなら、自分が先に名のるべきだとボクは思うけど」
「そういや、ヘタレ君の名前、きいてなかったよね? なんていうの?」
 それにジョニーと答えるような冗談が言えないマジメな大介は素直に本名を打ち明けようとする。
「ぼぼぼ、僕の名前は、く、くくく、黒野……」
「クロノ? なにそれ!」
 とたんにチビッ子が目を輝かせる。
「見た目はダサいけど、名前カッコよすぎ! 親のセンス、マジパねえ!」
「いや、黒野っていうのは名字で……」
 大介は興奮するチビッ子にどもらずに答える。
「へ?」
「名前は大介」
「つまり、クロノ・ダイスケって名前なの?」
「うん…………いてっ!」
 なぜか大介はすねを蹴られる。
「なんだよそれ! ガッカリネームすぎんだろ! ボクの感動、どうしてくれるんだよ!」
「そんなこといわれても……」
「じゃあ、キミのこと、クロスケって呼ぶから」
「ひ、ひどい……子供のくせに」
「ふん、見た目はちっこいかもしれないけど、少なくともクロスケよりは頭いいよ、ボクは」
「ぼ、僕は大学生だぞ?」
 少しどもりながら、大介はチビッ子に言い返す。
「クロスケはこの街の大学に通ってるんだろ? ボクはそんなレベルじゃないから」
「で、でも、年上にはもっと敬意を払うべきっていうか」
「バカな年上に払う敬意なんて、ありましぇーん」
「う、うう……」
 口下手な大介はひとまわり小柄な女子に反論できずに黙りこむ。
「残念ながら、コイツ、頭だけはいいんだよね。性格は最悪だけど」
「……う、うん」
 キャサリンのなぐさめに大介はうなずく。
「そ、そそそそ、それで、この子の名前は?」
「ボクのことは、サンダーボルトと呼んでもらおうか」
「は?」
「ハナちゃんがキャサリンだったら、ボクはそれぐらい強い名前で呼んでもらわないと、ワリにあわないし」
「こ、ここここ、この子、頭おかしいんじゃないの?」
「だから、最初にヘタレ君に言ったじゃん。かわいくない子だって」
 キャサリンもあきれながら大介に答える。
「あたしが知るかぎり、世界で一番かわいくない女の子だよ。なんで、こんなヤツがあたしのイトコなんだろうねえ」
 そんな二人を無視して、チビッ子はさらに提案を重ねる。
「……いや、博士もつけるべきだよな。うん、ボクはサンダーボルト博士。英語だと、ドクター・サンダーボルト。そう呼んでくれたまえ!」
「う、うう……」
 胸を張ってそう主張する小柄なメガネっ子に、大介はうなることしかできなかった。
 
     ◇
 
「こ、こここ、ここが僕の家」
「うわっボロっちぃ。こんなところにあたしのエリサちゃんは住んでるの? 虐待じゃない?」
「なんだか、MHAプロジェクトの斜陽を物語っているように見えるね、ボクには」
 大介が住むボロアパートを見て、女子高生二人は勝手な感想を述べている。
「や、やややや、家賃が安いんだよ」
「へえ」
「それより、早くエリサに会わせろよ、クロスケ」
「……わかったよ、サンダー」
「サンダー?」
 自称サンダーボルト博士は、大介の呼び方に首をかしげる
「だって君がそう呼べって」
「だから、サンダーボルト博士って言ってるだろ! なんだよサンダーって。あえて略するならばドクだろ?」
「毒? ポイズン?」
「ちがうよ! ドクターの略だよ! そんなこともわからないのかよ、クロスケは!」
「う、うう……」
 大介は意味不明なチビッ子の主張にうなだれながら、自分の部屋のドアを開ける。
「どうも皆さん、お待ちしておりました」
 礼儀正しく出迎えたエリサに向かって、
「エリサちゅわ〜ん!」
 奇声を発するキャサリン
「……ハナちゃん、変な人っぽいよ」
 自称サンダーボルト博士があきれた声を出す。
「いや、これはエリサちゃんのためだから。ね?」
 キャサリンはエリサにウィンクをしてみせる。
「はい、キャサリンさんですね。そう呼ばなくてもわかります。その呼び方はあくまでも人混みであなたの判別するための手段として提案したものですから」
 エリサの事務的な答えにキャサリンは落胆した。
「ひ、ひどい。昨日のことはなかったことにするの? エリサちゃんは」
 しかし、エリサはすでにキャサリンから大介に視線を移している。
「で、ダイスケさん。もう一人の方は?」
 大介はその問いにリモコンで答える。
【サンダーボルト博士と自称しているチビッ子。本格的に頭がおかしい子だから注意して】
「オウフ! リモコンで会話してる! いいね! SFだね!」
 その頭のおかしいチビッ子は、大介とエリサのやり取りに早くも感動しているようだった。
「で、クロスケ。このエリサはバニラなの?」
「バニラ?」
「……まさかクロスケって、そんな用語も知らなくて、MHAオーナー気取ってんの? バカじゃねーの?」
「だ、だって……」
 大介は幸運な当選者になってから、あえてMHAのことをくわしく知ろうとしなかった。余計なことを知れば知るほど、双葉エリサのアイドルとしての輝きを損なうかもしれないという恐怖があったからだ。
「クロスケ、バニラっていうのは、思考エンジンを改造してない状態ってことだよ。真っ白だからバニラ。それぐらい考えりゃわかるだろ?」
「あ、ああ」
「だから、エリサプログラムと同じってわけだよ」
「エリサプログラム?」
「クロスケ、マジで知らないのかよ? どんだけバカなんだよ。ねえ、これからバカクロって呼んでいい?」
「う、うう……」
 矢継ぎ早に放たれるチビッ子の言葉に大介は黙りこんでしまう。
「ねえあんた、ヘタレ君をバカにするのはいいけど、せめてあたしにもわかるように話してくれない?」
「そうだね。ハナちゃんも知っておいたほうがいいと思うし」
 キャサリンの言葉に自称サンダーボルト博士はうなずく。
 その間、エリサは口を挟もうとせず、ただ大介を見ている。大介の指示待ちの状態だ。どういう話題であれ、オーナーの許しがないかぎり、余計なことは言わないように設定されているのだ。
「じゃあ、双葉エリサについて、このボク、サンダーボルト博士が説明してあげよう」
 こほんと咳払いして、チビッ子は話し始める。
「まず、ハナちゃんは、エリサの思考プログラムのことをなんと呼ぶ?」
「あれでしょ? 人工知能ってやつでしょ?」
「ちがうって。これこそが典型的な人工無脳なんだよ」
人工無脳? なにそれ?」
「バカクロは知ってる? って、その様子じゃ知らないよね」
「……うん」
「そもそも、人間と対話するロボットを作ろうと考えた場合、プロセスは二つあるんだけど、ハナちゃんにはわかる?」
「プロセスってなに?」
「……つまり、『話しかける』と『答える』ことだよ。その『答える』のに特化したのが人工無脳。『会話ボット』って言ったほうがわかりやすいかな?」
「あ、ああ、それなら……」と大介。
「あたし、最近、またボットにダマされて、フォロワーにバカにされたんだけど」とキャサリン
「つまり、相手の会話から単語を抜き取って、それっぽい返事をするというのが人工無脳。その最初のプログラムがイライザって言う。E・L・I・Z・Aでイライザ」
「そ、それがエリサと関係あるわけ?」と大介。
「大アリだよ。そのイライザの日本語バージョンが、E・L・I・S・A。つまりエリサなんだよ。数十年がかりの長いプロジェクトだから、双葉って名字がついたわけ」
「双葉って?」
「ふ・た・ば、つまり28番目のエリサってことだよ! ちょっとは自分の頭で考えろよな、バカクロ!」
「う、うう……」
「結局、自律型ロボットを実用化するにあたって採用されたのは、人工知能じゃなくて人工無脳だったってわけ。話しかけるよりも答えることに特化したロボットでなければ人間と共生できないって結論は、なかなか興味深いことだと思わないか?」
 大介とキャサリンの理解度を無視して、チビッ子は喋り続ける。
「その重要な転換となったのが将棋ソフトかな? かつて、将棋ソフトの開発者はそれなりの将棋の腕前が必要だと考えられてた。開発者の思考を機械の助けで突き詰めたら、プロにも勝てるようになるんじゃないかって。でも、実際にプロに勝てるソフトを作った開発者は、そんなに将棋が強くない人だった。彼はただ、これまでのプロが戦った将棋データ――棋譜っていうんだけど、それを学習させて最適解を導きだす仕組みを作ったにすぎない。つまり『考える』んじゃなくて、膨大な過去の資料から答えを『選ぶ』のに特化したプログラムってわけだよ。……わかりやすくいえば、教師の言うことを全部覚えてしかも絶対にミスをしない生徒となるかな? そいつは『新しい手』を生み出すことはないけど、間違いをすることはない。それがトッププロに勝つようになったんだ。勝負としてはあまり面白くなかったけど、勝つという結果はなによりも大事だからさ。そういうことがあって、データをそろえることが頭のいいプログラムを作る唯一の道だ、ということになってね。MHAもそういう思想のもとに作られているんだよ」
「……でも、思考プログラムだけがエリサちゃんのすべてではないでしょうに」
 長々と話し続けたチビッ子が一呼吸ついたすきに、キャサリンが質問を変える。
「うん、ハナちゃんの言うとおり。まあ、エリサに使われた人造人間技術っていうのは、あまり大っぴらに言えないものだから」
「そ、それって」と大介。
「そうだよ。もともと、MHAプロジェクトは障害者や高齢者のラブドールとして始まったからね」
「ら、らららら、ラブドール?」とキャサリン
「お、ハナちゃんがどもった。つまり、セックスボランティアをロボットに任せちゃえという発想から始まったんだよ。国の補助も受けていたし、初めはアイドル型じゃなくて未亡人型だったんだけど」
「じゃあ、エリサちゃんはもともと未亡人だったの?」
「試作段階で実用化はできないって話になったけどね。自律型ロボットを使って何か問題が起きたとき、誰が責任をとるのかって話になって。今でもそのプロジェクトはMHAとは別の形で進んでる。でも、実用化しないと技術は進歩しないからねえ」
 そう言ってチビッ子は博士っぽいため息をついてみせる。
「結局、ターゲットになったのはアイドルオタクなんだよね。ほら、アイツらって金持ってんじゃん。第一弾はいちおう自律型ロボットであることを強調するために『双葉エリサ』って名前だけど、第二弾からはオタクに媚びた名前になるはずだったんだよ。だけど……」
「あ、あの事件?」と大介。
「エリサちゃんが人を殺したってやつ?」とキャサリン
「最初は遊びみたいなもんだったんだよ。無害なはずの人工無脳の忠実さをいかして、どう命令すれば持ち主を殺せるか、というバグ発見みたいなノリだったんだ。ほとんどの人は理論だけで楽しんでいたけど、実際にそれをやったバカがいてさ。それから大問題になった。困ったことに、後追いヤツする人も出てきてね。『命をかけたチキンレース』って感じになったんだ。愚かだよね?」
「もしかして、一人だけじゃないの?」と大介。
「なに言ってんだよバカクロ。遺族が訴えたのがあの一件ってだけで、かなりのヤツが死んでるんだよ。でも、一番の衝撃はKマネの自殺かな? あの人、MHAオーナーの中で、かなり有名だったし、そんなことしそうになかったんだけど」
「え? けけけ、Kマネさんって?」
 大介は思わず立ち上がる。大介がエリサのファンになったきっかけは、Kマネと称するMHAオーナーの動画シリーズだった。
「……まさか知らなかったの? そんなことも知らないでMHAを自分の部屋に持ちこんだの? ホント、バカクロだよ」
「そ、そんな……」
 大介にはチビッ子の罵倒が耳に届かない。たしかに、Kマネ動画が更新されることはなかった。あの懸賞に当選してから、意識的に大介はエリサ動画を見ようとはしなかった。でも……。
「ま、これが、人間と人工無脳の共生の限界なんだろうね」
 呆然とした大介に向かって、自称サンダーボルト博士は話し続ける。
「実用化すれば、リスク回避に動かなくちゃいけないから、人工無脳の行動パターンは、おのずと限定されてしまう。そして、人工無脳は新しい言葉を生み出すことがないから、未来に希望が持てなくなる」
「……それに、エリサは年をとらないし」
 大介はぽつりと口にする。
「そうそう、エリサちゃんとヘタレ君って、実は同級生じゃないの?」
 キャサリンに言葉に大介はうなずいた。
「そ、そそそそ、そうなんだ」
 双葉エリサが世に発売された年、大介は彼女と同じ16歳だった。それから3年、大介は19歳になったが、エリサは16歳のままだ。
 エリサを起動したときに大介が「呼び捨てでいい」と言ったのは、そういう思いがあったからだ。エリサには拒否されたけれど。
「まあ、バージョンアップすれば、昨日とは違う行動パターンを出すことはできるけどね。でも、そんなアップデートを続けると、同一性という問題が出てくるんだよ。双葉エリサというキャラを大事にするべきか、さらなる成長をうながすべきか。結果、自分だけのMHAという所有意識を失うオーナーもいたみたいで。バカクロはそんな感じしなかった?」
「う、うん……」
 それこそが今日の大介を悩ませている問題だった。
 これまで、大介はMHAの通信機能をオフにしているオーナーを「イヤらしい目的で使う悪質ユーザー」と軽蔑していた。
 でも、そうではないと気づいた。バージョンアップの結果、エリサが変容することに、オーナーは耐えられなかったのだ。
 大介だって、今朝のようなことを何度も味わいたくはなかった。昨日、一緒に買い物をしたキャサリンのことすらも、データという形でしか残せないMHAとこれからも暮らしていく自信が大介には持てずにいた。
「ねえ、バカクロは『ガラテア』って知ってる?」
 チビッ子の問いに大介は首をふる。
「自分の作った女の子の彫像に恋する男の話だよ。ガラテアっていうのは、その彫像の名前。最後はその彫像が人間になるっていうとんでもないオチなんだけど、まあ気持ちはわかるよ。ボクだって機械に恋することはある。ロボットに恋する人間はぜんぜんおかしくないよ」
 自称サンダーボルト博士は、一呼吸おいて、こう言った。
「でも、ロボットが人間に恋するわけないじゃん」
「う……」
 大介はそれを言い返すことができない。
「で、最後は自殺だろ? 死にたいって思うときはボクにもあるけどさ。自分でキルスイッチを押すなんて、もうダメじゃん? なに期待してんだよって感じ」
 チビッ子は大介を見ながらも、その先のものに話しかけているようだった。あのKマネさんをはじめとしたMHAオーナーすべてに向けて。
「き、君の言うことは正しいかもしれないけど……」
「じゃあバカクロ、せっかくだから実験につき合ってよ。ボク、それが試したくて、ここに来たんだから」
「じ、実験?」
「やることは簡単。たった四文字を三回繰り返すだけで、エリサに劇的な変化が見られるから」
「そ、それって……愛の告白とかじゃないよね?」とキャサリン
「ハナちゃん、ちゃんとボクの話聞いてた? 愛の告白よりも、もっと強い言葉がMHAにはあるんだよ」
「な、なにそれ?」と大介。
「じゃあバカクロ。『死にたい』って三回エリサに向かって言ってみ? そうすりゃすべてがわかるから」
「『死にたい』?」
「だ、ダイスケさん! そんなこと言っちゃダメです!」
 それまで指示待ち状態だったエリサが、いきなり大介に声をかけてきた。
「いいいい、いや、こここ、これは」
「あと二回だよ」とチビッ子。
 大介はたちまち態度を豹変させたエリサにとまどいながらも、思わず口に出す。
「『死にたい』」
 どもってすらない大介の言葉は、自殺願望とは無縁の、感情のない四文字だった。人間相手ならば本気にされないセリフ。
 でも、エリサはそう受け取らない。
「ダイスケさん! 苦しまないで! 私がいますから!」
 そう叫びながらエリサは大介に抱きついた。大介は逃げることができずに、それを受け入れてしまう。
「そんな……ヘタレ君はエリサちゃんの手もにぎったことないのに」
「ハナちゃん、これがMHAにとてつもなく有効な『死にたい詐欺』ってやつだよ。『死にたい』というオーナーの言葉は、好感度もへったくれもなく、最優先でなぐさめなくちゃならないように設計されてるんだ。自殺抑止策にしちゃ安直だけど、仕方ないよね。ロボットには死が理解できないんだから」
 大介にはそんな二人の言葉は聞こえない。
 ただ、エリサの感触がある。
 女子の身体を知らない大介にとって、その温もりと肌触りは、人間の女の子そのものだと感じた。
 ただ、ちがうのは――。
「『死にたい』」
「わ、私はダイスケさんのためなら何でもしますから! 目を覚まして!」
 そう言ってエリサは自分の唇を大介に近づけた。
「わ、わわわわ、わぁ!」
 たまらず、大介はエリサを振り払って、後ずさりをする。
「死なないから! 死なないから!」
「そ、そうですか」
「死なないから……」
 どもらずにそう叫ぶ大介の目には涙が浮かんでいた。
「ワオッ! さすがキング・オブ・ヘタレ! …………いてっ」
 そう喝采するチビッ子の頭にキャサリンチョップが下される。
「ごめん、悪かったよ、ヘタレ君。こんなヤツ連れてきてさ。って、ヘタレ君?」
「……し、死なないから」
「落ち着いてよ、ヘタレ君」
「で、ででででも、エリサが」
「エリサちゃんは元通りになったからさ。ね、エリサちゃん」
「キャサリンさん? なんですか?」
 いつも通りのエリサの声。まるで先ほどのことがなかったかのような口調。
 大介は耐えられなくなる。
「あ、ああああああああああああああ」
「ちょっと外に出ようよ、ヘタレ君」
「う、うううう、うん」
「駅前のカフェに行ってお茶しよう。エリサちゃんに留守番を任せてさ」
「お? ハナちゃん、おごってくれるの?」
「あんたは帰れ。自称サンダーボルトさん」
 キャサリンはチビッ子に冷たい言葉をかける。
「えー。これからMHAのカプセルを一部解体して調べたかったのに」
「そ、そそそそ、そんなことするつもりだったの?」
 どもる大介に自称サンダーボルト博士は短く答えた。
「うん」
「か、かかかか、帰れ!」
 大介はたまらずどもりながら叫ぶ。
「そんなー。ちょっとぐらいいいじゃん」
「ったく、こんなヤツ連れてくるんじゃなかった。ほら、ここはヘタレ君の家なんだから」
 キャサリンの言葉にチビッ子は舌打ちを鳴らす。
「これだから世の中って厄介なんだよね。どうして、ボクじゃなくて、こんなバカクロがMHAの持ち主なんだよ。ボクが持っていたほうが、ずっと人類の役に立つっていうのに」
「人の心もわからないアンタにえらそうなことは言われたくないね」
「ったく、ハナちゃんは、物分かりが悪いんだから」
 自称サンダーボルト博士はそんな不平を鳴らしながら帰っていった。
 
     ◇
 
「本当なら、部屋に置いていたエリサちゃんのことを気にかけなければいけないんだけどね」
 しばらく無言でハーブティーをすすったあと、キャサリンは大介に言った。
「でも、昨日とはちょっと感じがちがってたみたいだし。それって、アイツが言ってたアップデートとかと関係があるの?」
「う、うん」
 それから、大介はキャサリンにどもりながら話す。今朝のエリサの様子が昨日と違っていたこと。昨日のエリサが話した日記のパスワードのこと。
「うーん、心当たりないねえ。4ケタの暗証番号なんて」
「そそそそ、そうか」
 大介はうなだれる。昨日のエリサがますます遠のいていくのを大介は感じた。
 いや、それは幻想かもしれない。昨日のエリサも今日のエリサも大して変わらなかったじゃないかと思えてくる。
 あのチビッ子が言うとおり、エリサは特定の言葉に反応するプログラムに基づいて動くロボットにすぎないのだから。
「しかし、難しいんだね。ロボットと友達になるのは」
「そ、そそそ、そうだね」
「でも、ロボットと恋人になるのは、もっと難しい」
「う……」
「あたしはね、あらゆる愛を否定したくないんだよ。たとえ報われなくても、誰かを愛することは、とても大事なことだと思う。あんたはエリサちゃんに思い入れがあるんだよね? そうでなくちゃ、すぐに手を出したと思うし、さっきだって……」
「で、でででで、でも、わからないんだ。僕はエリサと、どどどど、どう接すればいいか」
「あんたはエリサちゃんのこと、好きなんだろ?」
「す、すすすす、好きっていうのは、よくわからない。だだだ、だけど、僕はエリサに、すす、救われたんだ。えええ、エリサのファンになって、ぼぼぼ、僕は、いいいい、生きることが……」
「あんたにとって、エリサちゃんは命の恩人みたいなもんなんだね」
「そ、そそそ、そう。だだだ、だから、ささささ、殺人ロボットといわれるのは……」
 どもりながらも大介は賢明にしゃべり続ける。キャサリンはそれに耳をかたむける。
「ぼ、ぼぼぼ、僕は知らせたい。え、エリサが、しししし、死神じゃなくて、ててて、天使だって!」
「そっか」
 キャサリンはそんな大介の宣言を笑うことなく受け止める。
「で、ででででも、あの、さささ、サンダーボルト博士が……」
「クソチビでいいよ、あんなヤツ」
「そそそそ、そのチビッ子が言うことが、たたたた、正しいかもしれなくて」
「じゃあ、じっくり考えればいいよ。相手はずっと待っててくれてるんだからさ」
「う、ううう、うん。しょ、しょせんエリサは、ろろ、ロボット、だから」
「だから、あせることはないんだよ。エリサちゃんは人間の女の子よりも我慢強いんだからさ。じっくり、自分のペースで考えて動けばいい」
「そ、そそそそ、そうか」
「ヘタレ君みたいなヤツのペースに合わせてくれるなんて、ホント天使じゃない? エリサちゃんは」
 そう言ってニッコリと微笑むキャサリンを見て、大介はたまらず叫んだ。
「あ、ああああ、ありがとう! きゃきゃきゃ、キャサリン!」
「おっと、あたしにホレちゃダメだよ。あたしはあくまでもエリサちゃんの友達にすぎないんだから。まあ、あたしの助けが借りたければ、いつでも呼んでくれたらいいからね」
 そう言って差し出したキャサリンの手を大介はガッチリとにぎった。
「わ、わわわわ、わかった」
 
     ◇
 
【ねえ、エリサ】
 昨夜と同じくストレッチをしているエリサに大介はリモコンで話しかける。
「ダイスケさん、なんですか?」
【君のモバイル端末貸してくれないかな?】
「どうしてですか?」
【昨日の日記のパスワード、解かせてほしいんだ】
 大介はいくら考えても4ケタの暗証番号が思い浮かばなかった。でも、せめてあと一度は試してみたかった。
「ああ、それ、もう私が解いたんですけど」
「へ?」
 大介は情けない声を出す。
「だって、キャサリンさんの電話番号見せたじゃないですか? それ、昨日の私の日記に書いてたものでしたから」
「そ、そそそそ、そうか」
 大介は意気消沈する。昨日のエリサの日記さえ読めれば、これからのことを考えられると思っていたのに、それはもう明かされていたのだ。
「ちなみに、パスワードは私が最初に起動した日です。つまり三日前、ダイスケさんと出会った日ですよ」
「あ、ああ」
「たいてい私たちはそれをパスワードにするんですよ。ダイスケさんも覚えていてくださいね」
 そうか、そうだよな。大介はエリサの言葉を聞きながら、自分の考えが足りないことに情けなくなる。
 エリサが個性を獲得したのは、オーナーである自分という存在がいたからだ。大介と出会って、エリサは「私たち」ではなく「私」となった。
 その特別な日ではなく、大介は「双葉エリサ」が一般発売された日がパスワードだと思っていた。それはエリサたちの記念日であって、大介のエリサの記念日ではない。
「ご、ごごごご、ごめん」
「なんで謝るんですか、ダイスケさん」
 大介は昨日のエリサに謝りたかった。君の期待にこたえられなくてごめん。君の思いに気づかなくてごめん。
 デジタル思考で日々アップデートをするエリサ。本当の双葉エリサはどこにあるのかと、大介は考える。
 いや、一人で考えこむのはよくない。それこそが罠じゃないか。あのKマネさんだって……。
 大介はエリサに見えないようにパソコン画面をずらす。そして、真相を調べようとした。Kマネさんが本当に自殺したのか? MHAユーザーの自殺問題がどれほどのものかを。
 
 
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