どもり男子とアイドルロボット(2)
【これまでのあらすじ】
『あなたの部屋で歌って踊る、あなただけのアイドル。自律型ロボットだから、ちょっとしたお手伝いもできますよ』
そんなキャッチコピーで発売された美少女ロボットMHA第一弾、双葉エリサの隠された売りは「ちょっとしたお手伝い」以上のことができることだった。
しかし、ロボット相手ゆえの行き過ぎた行為が、一人のユーザーの事故死を招いてしまう。
ロボットが人間を殺したのか? その事件は世界中に伝わり、アイドルとして売り出そうとした双葉エリサの宣伝は自粛されるようになった。
そして、一般発売から三年後。女の子と付き合ったことのない19歳の大学生、黒野大介は、幸運にも双葉エリサを三ヶ月限定で使用できる懸賞当選者となる。
現実の女の子相手にどもってしまう大介は、ロボット相手ならばまともに会話できると甘く考えていたが、起動直後のエリサ相手にブザマに取り乱してしまう。
こうして、人間の大介のリモコン入力に、ロボットのエリサが音声で答えるという奇妙な同棲生活が始まったのだが……。
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(2)
大介はエリサに鉄道ICカードを渡した。エリサはそれで料金を払って電車に乗る。
双葉エリサはロボットだから、厳密にいえば運賃を払う必要はない。自律型ロボットへの法解釈は定まっておらず、法整備も進んでいなかった。
しかし、オーナーは例外なくMHAの分の運賃も払った。メーカーからそう説明を受けていたし、意を唱えるオーナーは誰もいなかった。余計なことをすれば社会をいたずらに刺激して、見当はずれの法律が作られるのが世の常だからだ。
電車の中で、エリサはドア付近に立つ大介に寄りそう。恋人のふりをするほどエリサの好感度は高くないので、彼の服の裾をにぎっているだけだ。
なぜ、エリサが大介のそばを離れないのか? その理由は――。
「おい! あれ、エリさんじゃね?」
男性の声に、大介の鼓動はびくんと跳ね上がる。
この日、大介はわざわざ大学の講義を休んで、昼過ぎの電車に乗った。MHAが電車に乗る危険性を承知していたからだ。だから、こんな事態がくるとは予想してなかった。
「そうかな? フタエリってもっと……」
「俺にはわかる。帽子かぶってメガネかけて髪型変えてるけど、あれはいかにもエリさんが着そうな服だ」
「おまえ、フタエリ動画見すぎて、なんかこじらせてるだろ? 人違い、いや、ロボット違いだって。だいたい、フタエリがこの街にいるはずが……」
「それに、あれ見てみろって。動画で見たのと同じじゃないか」
「あ、ああ……マジだな、こりゃ」
その声に大介は気づいてあわててリモコンをしまう。まだカバーのつけていないMHAリモコン標準型。見る人が見ればわかる目印だった。
ロボットには人権がない――だから、MHAに痴漢しても罰する法律がない。
人間の女性と同じ権利が、女性型ロボットであるMHAにはない。法的には人形と同じなのだ。他人の人形に触ることはマナー違反だが、犯罪というほどのものではない。
「ダイスケさん、どうしました? ……あ!」
二人の男性が近づいてきたのに気づき、エリサは黙る。余計なことは言わないように設定されているのだ。痴漢であるかオーナーの友達であるか、MHAには判断できないのだから。
「あんた、オーナーさんなんだろ?」
「俺たちにも、いい思いさせてくれよ、な?」
彼らの中では、双葉エリサは痴漢をしても良い存在にすぎないようだった。実際、それを助長する動画はネットにあふれている。
大介は汗をどっと吹き出しながら、ポケットに入れたリモコンでエリサにメッセージを送る。
【ちかんだ】
エリサはそれに素早く反応した。彼女は空間を把握しようとする。でも、二人の男性はすでに大介とエリサを囲うように立っていた。逃げることはできないし、そもそもMHAはオーナーから自主的に離れることはない。
「オーナーさん、あんたもいろいろやってんだろ?」
「許してくれよ、なあ?」
大介は身体が震えてくる。僕はエリサの手をつないだことさえないんだぞ、と言いたくなる。自分をそんな目で見るなと叫びたかった。でも、そんな主張で、二人組が許してくれるはずがない。
動揺する大介にエリサが弱々しくつぶやく。
「わ、私は……他人様に危害を加えることはできません」
オーナー以外の人間とはあらゆる接触を拒み、自分から抵抗することができない。それが共生型ロボットの限界だった。
「だ、ダイスケさん。だから……」
エリサはすがりつくような上目づかいでダイスケを見た。彼女の身体は震えていた。瞳を潤ませて、頬は紅潮している。
いちおう、MHAの痴漢対策というものはある。リモコンのあるボタンを押せば、MHAにさわる者を軽く感電させるという機能があるのだ。この場合、責任は人間のオーナーにあるから問題ない。過剰防衛とならないように、電流は相当におさえられているのだが。
でも、大介はボタンを押しかねていた。理由の一つが、その機能があまりにも人間とかけ離れたものだからだ。それを使った瞬間から、エリサを女の子として見られなくなることが大介には怖かった。
しかし、本当の理由は、おびえるエリサの様子があまりにも色っぽかったからである。
涙を浮かべた瞳で見つめるだけで抵抗しようとしないエリサ。その仕草に、大介は抑えていた欲望がわきあがってきたのだ。
大介はそんな表情のエリサを何度も動画を通して見てきた。それは自分のエリサではなかったが、同じ顔であることは変わりない。そして、その後の展開を大介は妄想した。
――自分ができないのならば、せめて他人の手でエリサを……。
その願望にとらわれて、大介は動けない。そんな様子を見て、二人組は問題なしと判断したのか、さらにエリサに近づこうとしている。
そのとき。
「おい、あんた!」
「え?」
女子の声とともに、エリサが誰かに引っ張られていく。反対側のドアが開く。駅に着いたのだろう。エリサは大介から離れていく。
「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと!」
大介はどもりながら、降りるはずのない駅に立つ。
エリサを引っ張っていたのは、高校の制服を着た金髪の女子。
駅のホームの人通りを離れたところまでエリサを連れて行った金髪女子は、それから向き直って話しはじめる。
「あんた、怖かっただろ? でも、ああいうときは叫ばないと」
「い、いや……私は」
「あたしもね、高一のときは、いろいろイヤな目にあったもんだよ。だから、決意したんだ。自分が強くならなきゃいけないって!」
金髪女子は勝手に自分語りを始めているようだった。その口調や肌の色からして外国人ということはなさそうだ。金色の髪もよく見れば、いかにも自分で染めたまだらな色をしている。
「あ、あの……ですね?」
エリサは戸惑いながら、オーナーである大介がどこにいるのかを探る。
大介はすぐに近くにいたものの、声をかけられずにおろおろしていた。
「私はあの人の……」
「あー、あんた、最悪だね」
大介を一目見て、金髪女子は言い放つ。
「まさか、こんなヤツがあんたの彼氏じゃないよね?」
「ダイスケさんはですね、あたしの……」
「マジで彼氏なの? あんたを痴漢から守れないような、このヘタレが?」
「す、すすすす、すみません」
大介はどもりながら、なぜか金髪女子に謝る。
相手はそんな大介を相手にせず、エリサに向かって、
「あんた、よく見るとかわいいじゃん! メガネはすごくダサいけど、スタイルいいしさ。……うん、もうここで別れちまいなよ! こんなダサくてヘタレな彼氏、あんたにゃ、もったいなさすぎるよ!」
「だ、だから……ですね?」
勝手に話を進める金髪女子に、言い返す台詞が見つからないエリサに代わって、大介が叫んだ。
「か、かかかか、彼女はロボットなんです!」
「…………へ?」
◇
「あははは! あんたがウワサのエリサちゃんか! うん、よくできてる!」
「そんな大きな声で言わないでください」
三人はそのまま駅前のカフェに入った。もちろん、大介のおごりである。
大介はエリサの分を合わせてブレンドコーヒーを二つ、金髪女子はデラックスパフェとロイヤルミルクティーのセットを注文した。
「で、こんなヘタレに買われたってわけか。かわいそうだね、あんた」
「ち、ちちちち、ちがいます」
「なんだよ、ヘタレじゃん」
「そうじゃなくて、ですね」
大介は金髪女子と会話するのをあきらめて、リモコンでエリサに代弁させる。
「その……私はダイスケさんに買われたわけじゃなくて、ダイスケさんが懸賞に当選した景品というか……」
「あははは! 景品とは落ちぶれたもんだね、あんた! だから、このヘタレ君、貧乏くさいカッコしてるわけだ。おかしいと思ったよ。だってあんた、高いんだろ?」
金髪女子はパフェのクリームを口のまわりに付けたまま、楽しそうにしゃべる。
「それで、あなたは高校生なんですか?」
エリサは大介が入力した質問を口にする。
「うん、見ればわかると思うけど」
「学校はどうしたんですか?」
「サボリに決まってんじゃん」
「……いや、そういうことを他人様に言うのは」
エリサは小声で大介に話しかける。
「ん? なにか言いたそうだな、ヘタレ君」
金髪女子が様子に気づいて、大介を見る。
大介はどもりながら言った。
「が、がががが、学校サボってんじゃないぞ、こここ、このヤンキーが!」
「なーに言ってんだよ。あたしが学校をサボったおかげで、あんたは愛しのエリサちゃんを助けることができたんだろ?」
悪びれない金髪女子にエリサが答えた。
「はい、ありがとうございました」
「あたしはエリサちゃんじゃなくて、ヘタレ君に言ってるんだけど」
「う、うん。あ、ああああ、ありがとう」
大介のぎこちないお礼に、金髪女子がにこりと笑った。
「そりゃ良かった。で、さっきからヘタレ君がいじってるのはなに?」
「いや、これは大事な……」
エリサは身をていしてそれをかばおうとするが、大介は机の上に出してみせる。
「なにこれ?」
「り、りりり、リモコン」
「ダイスケさん。そういうことを他人様には……」
「リモコン? まさか、この子の?」
金髪女子の問いに、大介はこくりとうなずく。
「ということは、これを使えば、エリサちゃんを意のままに操れるってわけだ」と金髪女子。
「そ、そそそそ、そんなことない。かかか、彼女は自律型ロボットだから」
「そうなんです。だから、ダイスケさん以外の人が使っても反応ないんです」
エリサは大介に合わせてそんなウソをつく。MHAのリモコンにはキーロック機能や指紋認証などが設定できるが、大介はまだしていない。
リモコンを操作すれば、オーナーでなくてもエリサに命令を強要することができる。それもまた、MHAの隠された売りの一つだった。
「まあいいや、あたし、ロボットを操る自信ないし」
「それに、私だってビリビリって電気を出すことができますから」
エリサは空威張りをしてみせる。その防御機能は、オーナーの許可がなければ発揮できないのは言うまでもない。
でも、事情を知らない金髪女子を納得させることはできた。
「なーんだ、あたしが助ける必要はなかったってことか」
「そ、そそそ、そんなことはない!」
そう言って、大介はリモコンを入力する。
「あの、よろしければ、名前、教えてくれませんか?」とエリサ。
「あー、あたし? とりあえず、キャサリンって呼んで」と金髪女子。
「キャサリン? 本名じゃないですよね?」
「なんでそう思うの?」
「だ、だって……」
大介が入力した言葉にエリサが言いよどむ。
「ヘタレ君、また何か言いたいの?」
「だ、だだだだ、だって、むねが」
「胸?」
「ほ、ほほほ、本物のブロンドだったら、むむむ、胸が――」
「はぁ?」
金髪女子はテーブルをたたいて立ち上がる。
「まさかあたしに胸がないから、キャサリンと名のっちゃいけないって言いたいわけ?」
「そ、そそそそ、そうだ!」
なぜか大介はどもりながらも自信満々にそう答える。
「あんた、ホントにデリカシーがないね。だから、女の子に相手にされないんだよ。どうせ、生まれてこのかた、カノジョとかできたことないんだよね? あ、だから、ロボットに手を出したのか」
「ち、ちちちち、ちがう!」
「なにがちがうの? ロボットしか相手がいない、女子の敵のくせに」
「ぼ、ぼぼぼぼ、僕はエリサに手を出していない!」
「……そうなの?」
金髪女子はおどろいて、エリサに話しかける。
「ええ、まあ、そうです。まだ手をつないだこともありません」
「あははは! こりゃ傑作だ! 自分のロボットにも手を出さないとは、あんた、ヘタレ中のヘタレ、まさにキング・オブ・ヘタレだね!」
「う、うう……」
店内に響きわたる大声で笑う金髪女子に、大介はうなることしかできない。
「うん、じゃあ、許してあげるよ。女子の敵にもならない人畜無害のヘタレ君ってことで」
「で、あなたの名前は?」
大介は傷つきながらも、かたくなにエリサに質問させる。
「だから、キャサリンだって。そう呼んでよ」
「……わかりました」
エリサの答えに自称キャサリンは満足する。
「それにしても、あんた、持ち主がこんなヘタレだなんてかわいそうだね」
「そ、そんな……ダイスケさんはヘタレじゃ……」
「ほう、さすがに持ち主の悪口は言わないのか。なんかロボットって犬と同じだね。忠犬エリサちゃんって感じ」
「ぼ、ぼぼぼぼ、僕はエリサを犬あつかいとか」
「いやいや、犬にたとえたら愛犬家の人に怒られるかもしれないねえ。愛犬の忠実さは訓練のたまものだけど、ロボットは最初から忠実なんだから、自慢にもなりゃしない」
一人納得した表情を浮かべる自称キャサリンの言葉に、大介はあまり反発する気が起きなかった。それどころか、自分に正直に生きているゆえに信用できる人物とすら思い始めていた。
「あ、ああああ、あの、そんなキャサリンにお願いが……」
「なに? エリサちゃんを貸してくれるとか?」
「う、うん」と大介。
「マジで?」と自称キャサリン。
「え? ダイスケさん、どういうことですか?」とエリサ。
「じ、実は、エリサの、ふふふ、服を買いたくて……」
「ほう、ヘタレのくせに良いことを考えるじゃない?」
「で、ででで、でも、僕にはセンスないから」
「言わなくてもわかるよ。あんたのカッコを見れば」
「だだだ、だから、エリサはキャサリンといっしょに……」
「ダイスケさん、私にこの人と一緒に買い物をしろと言うのですか?」
エリサの小声に大介はリモコンで答える。
【うん。この子は信用できると思う】
「もしかして、この人に私のリモコンを渡すとか……」
【そういうことはしない】
「でも、それだと……」
こそこそ大介に耳打ちするエリサにしびれを切らして、自称キャサリンが言った。
「なに? オトコ向けのロボットだから、女の子の相手はできないっていうわけ?」
「そんなことないです。女性のオーナーさんも少なくありませんから……」
「じゃあ、何が問題なの?」
「そ、そそそそ、その。うー」
大介は自称キャサリンに口で答えようとするがあきらめて、エリサに代弁させる。
「あの、私はロボットなので人権がないんです」
「ジンケン? そんなものなくてもいいんじゃない? あたし、ホーリツとか、ぜんぜん興味ないんだけど」
「でも、よもやの事態になったとき、私は困ったことになるんですよ」
「あー、迷子になったりとかしても、ロボットだから呼び出しをしてくれないとか」
「そういうことじゃなくて、もっと深刻な問題が……」
「だから、あんたは忠犬エリサちゃんってことだろ? でも、店にはペットお断りとはかいてるけど、ロボットお断りとはかいてないじゃん」
「そんな軽はずみに言われても、ですね」
「だいじょうぶ、バレなきゃいいんでしょ、バレなきゃ」
自称キャサリンはそう言って、大介を見た。
「う、うん。き、ききき、君がなにかのヘマをしなかったら」
「……そうか、人権がないってことは、エリサちゃんを誘拐してもたいした問題にならないってことか」
「ま、まままま、まさか!」
「あはははは! あたしが誘拐するとか思ってるの?」
「あの、いざとなれば、私、ダイスケさんに危険信号を飛ばしますから……」
「だから、じょうだんだって。せっかく痴漢から助けてやったのに失礼な」
「ご、ごごごご、ごめん」
頭を下げる大介に対して、エリサは不機嫌そうな表情を浮かべてる。
「やっぱり、ダイスケさん。そばにいてくれますか?」
「えー、女子の買い物のそばにいられるのって不快なんだけど。カッコいい男子ならともかく、こんな冴えないヤツ、あたしからお断りっていうか」
「キャサリンさんには話してません!」
エリサは大声で叫ぶ。
それでも、金髪女子の表情が変わることはなかった。
「さすが忠犬エリサちゃん。飼い主を選べなかった不幸すら呪えないとはねえ。……でも、そういうとこ、かわいいと思うよ、あたしは」
「ぼ、ぼぼぼ、僕はエリサを君に任せたいんだけど」
「……ダイスケさん。あなたは私のオーナーなんですよ?」とエリサは口をはさむ。
【でも、一緒に買い物するだけじゃないか】
「万が一ということがありますから」
「だいじょうぶだって。あたしはマジメなことで有名なんだから」と自称キャサリンが間に入る。
「だから、キャサリンさんには……」
「き、ききき、きっと、この子は良い子だと思う」
「そうだよ。一人で学校をサボってる女子に悪い子なんていないって」
自称キャサリンの調子に乗った言葉に、さすがに大介はおじけついた。
「そ、そそそ、そうだね、うん……どう考えても、わわわ、悪い子だよね」
「うそ嘘ウソ! あたし、超良い子だから! せっかくロボットと遊ぶ絶好の機会をムダにしたくないっていうか」
「……下心アリアリですね。まさか、あたしにイヤらしいことをするつもりですか?」
「そんなことしないって! いいよね? ヘタレ君」
「う、うん」
「そ、そんな……」
エリサはガッカリと肩を落とす。
「じゃあ、ヘタレ君、財布貸して」
自称キャサリンは手を出す。
「わ、わわわかった。予算は……」
「だから、財布貸してって、言ってるじゃん」
「そ、そそそそ、そんなことしたら……」
「だいじょうぶだって。帰りのお金ぐらいは残しておくから」
「う、うう……」
「冗談だって。そんな泣きそうな顔で見ないでよ」
「じゃじゃじゃ、じゃあこれで」
「えー? これっぽち?」
「す、すすす、少ないかな?」
「まあ、この近くにある古着屋に行けば、結構そろえられると思うけどね」
「ふふふ、古着屋?」
「なに不満なの? 愛しのエリサちゃんには、新品じゃなきゃダメっていうの? なら、この倍はいるんだけど」
「わ、わわわ、わかった」
そんなやりとりをする大介にエリサが耳打ちしてきた。
「ダイスケさん。これは命令なんですよね?」
【うん。できるだけ近くにいるから、本当にヤバかったら危険信号を】
「ほらほら行くよ、忠犬エリサちゃん」
「あ、はい」
そう言って強引にエリサを連れ去っていく金髪女子の姿を、大介は不安を感じながらも見送った。
◇
大学生の大介が一人暮らしをしているのは、夏は暑くて冬は寒いボロアパートだが、手前に六畳、奥に四畳の二部屋があった。下は畳で、仕切は襖(ふすま)である。
大介はエリサのために、奥の四畳間を空けていた。
その部屋で、エリサは自称キャサリンと買ったトレーニングウェアに着替えてストレッチを始めている。いや、ロボットである彼女にとっては自主的なメンテナンスというべきだろう。
大介は大学の課題のレポートをパソコンで入力しながら、そんなエリサの様子を見ていた。
【僕にはいろんなものが足りなかったんだ】
「……ダイスケさん? どうしたんですか?」
気づけば、大介はリモコンを手にして、エリサにそんな独白をぶつけていた。
【だって、僕には妹がいなかったから】
「……もしかして、お兄ちゃん、と私に呼んでほしいのですか?」
【違う! 僕にはほかにも足りなかったんだ。幼なじみの女の子がいなかったから、女友達ができなかった】
そんな大介の情けない言い訳にエリサはロボットらしく反応する。
「……私と友達から始めたいのですか?」
【いや、今は従妹のような気がしてきた】
「いとこ? ダイスケさんは私にどうしてほしいのですか?」
【それがわからないから困ってるんだ】
「そうですか……」
エリサは複雑そうな表情を浮かべる。
【ストレッチの邪魔をして悪かった。ごめん】
「ねえダイスケさん。なんでも言ってくれていいんですからね、私には」
【わかってる。でも、僕は】
返事を待つエリサに大介は次の言葉を入力できずにいた。
自分は何を言ってるんだと思う。双葉エリサはロボットで、オーナーの言うことなら最終的に何でも聞いてくれる。そんな彼女に結論のないグチを言ったところで、どうしようもないじゃないか。
【ストレッチ、続けていいよ】
「わかりました」
エリサはそう答えて、自主メンテナンスを再開する。
大介はそんなエリサを見る。エリサの瞳に自分はどう映っているんだろうと考える。でも、それがエリサに新しい言葉を生み出すことはない。彼女はロボット。彼女は作られた存在。組み合わされた行動を実行するだけのモノ。
「ダイスケさん、ちょっといいですか?」
やがて、一連の動作を終えたエリサが大介に話しかけてきた。
【なに?】
「私がこうして準備しているのは、あなたに歌うためなんです」
【知ってる。でも、もうちょっと待って】
「私はアイドルなんですよ」
【うん。だけど】
大介は手が止まる。自分でも臆病だと思う。エリサが痴漢されそうなときに止められなかった自分。清く正しく接するといいながら、妄想が頭に浮かんでしまう自分。
【あの、キャサリンとの買い物は楽しかった?】
大介は話題を変える。金髪女子は別れたときに上機嫌だった。
あからさまに胸がふくらんでいるところを見ると、予算内で自分の買い物もしていたらしい。
胸がないことをからかった手前、大介には何も言えなかった。それでもキャサリンと名のるにはほど遠いとは感じたけれど。
「いえ、緊張しましたよ……キャサリンさんはいい人ですけど」
【まあ、サボリのヤンキー娘だもんね】
「今度会ったときは『エリサちゅわ〜ん』って呼んでくれるそうです」
【なにそれ? 頭おかしいんじゃないの?】
「いえ、なるべく個性的に呼んでほしいと頼みましたので」
ロボットは人間の個体認識が苦手だ。そして、MHAは自身がロボットであることを隠さなければならない立場にある。
もし、自称キャサリンの私服姿を見かけたとき、エリサはそれを彼女と認識できるかは難しいのだ。
MHAは顔認識よりも声紋認識が得意だ。だから、エリサは自称キャサリンにどう呼ばれるかを提案したのだろう。
【じゃあ、キャサリンとは友達になれたの?】
「私はロボットですからよくわかりません」
エリサは膝をかかえながら話す。
「私はできるだけこの部屋にいたいんですよ。外では何が起こるかわかりません。私はダイスケさんのアイドルであればいいんですよ」
【でも、いろんなことを体験したほうがいいと思う。僕だけのアイドルっていうのは、なんというか、もったいない】
「そんなことを言うんですね、ダイスケさんは」
エリサは立ち上がって、自分のカプセルに向かう。
「じゃあ私、日記書きますので、声かけないでください」
【その中で?】
「ええ、ずっと寝ているだけじゃないんですよ」
【でも、前は寝てたじゃない?】
「のぞいてたんですか?」
MHAの充電装置であるカプセルは、オーナー権限で顔の部分だけ透明にすることができる。
【うん、ごめん】
「これからはできるだけやめてくださいね」
「わ、わわわわ、わかった」
ダイスケは肉声でそう約束する。
エリサはポケットからモバイル端末を取り出だす。MHAはオーナーに許された範囲でそれを操作して様々なことができる。一般電話回線とは繋がっていないが、オーナーのリモコンに危険信号を発したり、通販サイト購入の許可を求めることもできる。
日記機能もその一つだ。
【ねえ、その日記って、通信しているの?】
「これは私の日記ですよ? 私たちの日記じゃありません」
【つまり、僕のエリサだけの日記ってことだね?】
「そうです。私が私であるための活動記録みたいなものです。だから、ダイスケさんにも見せるわけにはいきません」
【わかった】
「ちなみに、この日記を見る暗証番号は4ケタです」
【それがどうしたの?】
「もし、何か困った事態が起きたら、この日記を見てもいいですからね?」
【パスワード、教えてくれるの? それってだいじょうぶなの?】
「いいえ。ダイスケさんが自力で解いてください」
【教えてくれないの?】
「でも、ダイスケさんならわかると思います」
【そう?】
大介は念押しするエリサに首をかしげる。なぜ、こんなことを話したかわからないままでいる。
「では、私はカプセルに入りますので、おやすみなさい」
「お、おおおお、おやすみ」
どもりながら大介は答えながら思った。
――今日も一緒に歯磨きできなかった。
襖を閉めた大介に疲れがどっと押し寄せる。何しろ金髪に染めた女子高生を相手にしたのだ。悪い子じゃないけど、良い子ではないだろう。同じ制服を着た高校生、ほかにいなかったし。
まあいいや、これからのことはこれから、と考えて、大介も眠りにつく。
だから、午前3時にこんな表示がリモコンに表示されていることに気づかなかった。
『MHAのアップデートが終了しました。
思考ルーチン改良のため、記憶の一部が消去される可能性があります。ご了承ください』
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