【オリジナルSF中編】どもり男子とアイドルロボット(1)
ロボットしか愛せない男の子。
ロボットになりたい女の子。
あるいは、家庭用アイドルロボットはいかにして死神になったのか。
女の子と付き合ったことのない男子の部屋に美少女ロボットが訪れるというよくある展開ですが、人工知能と人工無脳、ボーカロイドとMMD、将棋ソフトと電王戦、などなど、この2015年から見た近未来を描いたオリジナルSF中編小説です。
全6回。完結済。
どもり男子とアイドルロボット
――三年目の双葉エリサ(MHA01)
(1)
黒野大介はカプセルの窓から彼女の寝顔をのぞいている。
木造アパートの四畳間に置かれた白いカプセル機体は、冷蔵庫に似た低音でうなりながら、横たわる彼女を充電している。
大介は汗ばんだ手で彼女のリモコンをにぎっていた。
その画面には初回起動まで五分を切ったことが表示されている。
すでに初期設定は終わっているが、ある項目を大介は決めかねていた。
――呼ばれ方はこれでいいんだろうか?
標準は「オーナー」となっている。大介は「マネージャー」と設定していた。それこそ、MHA――「マイ・ホーム・エンジェル」というコンセプトにふさわしいと信じていたからだ。
MHA第一弾として「双葉エリサ」が発売されたのは三年前のこと。
大介はそのニュースに鈍感だった。双葉エリサという名前の由来も知らなかった。自分には関係のないことだと考えていた。
ところが、発売から半年後、ネットで公開された人気動画に、大介は魅せられていく。
それはMHAユーザーの一人、通称「Kマネ」さんが投稿した一連の動画シリーズだった。
落ちこぼれアイドルのエリサが上京して、マネージャーである自分の部屋で同棲するという設定で始まったその動画は、編集能力の高さもあり人気動画として注目された。大介はそれを見て、女性型ロボットに対する偏見を解き放ったのだ。
メーカーは双葉エリサをアイドルとして大々的なキャンペーンを行っていた。大介はKマネ動画との相乗効果でエリサのファンになっていた。彼女が出るテレビ番組は欠かさずチェックした。ライブには行かなかったが、東京の大きな駅前広場を占拠したイベントの生中継を見たとき、大介は感動に身を震わせたものである。
もし、「あの事件」が起きなければ、今でも双葉エリサのブームは続いていたと大介は本気で信じている。
そんな一世を風靡したアイドルである彼女が自分の部屋にいることに、大介は興奮していた。
いや、彼女ではなく、彼女たちと表現すべきか。
大介の部屋にいるのは、量産型ロボットである彼女の一つにすぎない。
双葉エリサ(MHA−01)のキャッチコピーはこのようなものだ。
『あなたの部屋で歌って踊る、あなただけのアイドル。自律型ロボットだから、ちょっとしたお手伝いもできますよ』
大介はその手伝いが「ちょっとした」ものでないことをすでに知っている。持ち主が許可すれば、掃除はできるし、料理だってできる。それどころか、風呂で背中を流してくれたりもするし、もっとスゴいことだって……。
その機能を表だって売りにしないのは、自律型ロボットと人間の共生に限界があったからだ。
かつて、人類は共生型ロボットに多大な夢を託していた。その中でもっとも期待されていたのが、介護と育児だった。
しかし、自律型ロボットに介護や育児を任せられないのは試作段階で明らかになった。よもやの事態になったときの責任は誰が負うのか? 売り出したメーカーが多大な賠償を払う結果に終わるのが目に見えているではないか? そんなものを世間に販売できるはずがない。
だから、MHAはメイド型ではなく家庭アイドルとして売り出されたのだ。分類はあくまで玩具ロボットにすぎない。
ただし、メーカーはMHAを人間のように扱っている。充電装置がカプセル型であるのもその一つだ。購入者は「オーナー様」と呼ばれるが、MHA故障のとき相談窓口は病気と表現し、決して彼女を「それ」とは呼ばない。
大介は購入者ではなく、懸賞で当選した幸運な大学生だが、メーカーからは「オーナー様」として説明を受けた。中古ではなく新品であることも強調された。
とはいえ、通常購入者と異なり、三つの利用条件があった。
(1)アップデートはほぼ毎日行う
(2)思考エンジンの改変をしてはならない
(3)使用期限は三ヶ月間限定
大介はそれを受け入れてサインした。大学生にはとても手が出せない高額なMHAと共に暮らせるのならば、それぐらいの条件を呑むことは大介には考えるまでもないことだった。
そんな大介が、MHA初回起動をひかえ、自分の呼ばれ方をどうするか迷いだしたのだ。
先に彼が選んだ「マネージャー」は彼が双葉エリサのファンになったきっかけのKマネ動画シリーズの真似だった。でも……。
初回起動開始十秒前、カウントダウン表示にせかされながら、大介はギリギリで設定を変更する。
その入力が終わると同時に、リモコンからアナウンスが流れた。
『双葉エリサが起動します。オーナーは彼女を出迎えてください。それでは良いMHAとの生活を!』
◇
カプセルの扉が開き、目を覚ました双葉エリサがゆっくりと立ち上がる。
彼女は裸ではない。すでに公式コスチュームを着ている。双葉エリサのトレードマークであるミニスカートとニーソックス。
大介はそこからのぞくエリサの太ももを見てしまう。とてもロボットとは感じられない生々しいもので、大介はすぐに目をそらした。
「ダイスケ……さん、ですか?」
第一声とは思えないなめらかな声で、エリサはたずねる。
「い、いいいい、いや……」
大介はうまくしゃべることができない。双葉エリサはMHA第一弾にふさわしい美少女として作られた。設定年齢は16歳だ。
大介は19歳の大学生だが、恋人どころか女友達がいたこともない。
大介はリモコンに手を伸ばす。そして、素早く入力した。
【呼び捨てでいい】
「ですが、私はこれからあなたのお世話になるわけですから……」
エリサは困惑しているようだ。発売されてから3年間、彼女の返答パターンはさらに改良されている。
大介はそれでも入力した。
【だから、呼び捨てでいい】
「あの、私はダイスケさんのことをあまり知りませんから……呼び捨てにするのはどうかと……」
「う、うう……」
恥じらうエリサの仕草に、大介は情けない声を出す。
「それに、私は16歳ですし、ダイスケさんのほうが年上ですから……」
「わ、わわわわ、わかった!」
大介はたまらず叫んでしまった。
これまで、彼女の動画を数多く見てきた大介だが、自分だけにふるまう双葉エリサの愛らしさは予想をはるかに上回るものだった。
大介はロボット相手に取り乱したのである。
「じゃあ、ダイスケさん、で、いいですか?」
「も、ももも、もちろん!」
どもりながら大介は答える。
「それでは、ダイスケさん。最初にどの曲を歌いましょうか?」
「ちょ、ちょちょちょちょ、待った!」
「え?」
大介は再びリモコンで入力する。片手で充分に操作できる大きさだが、大介は緊張のあまり両手でそれを握っていた。
【まず、買い物に行こう】
「買い物……ですか?」
エリサは無言でメッセージを送る大介に音声で答え続ける。
【一緒に服を買おう。君に似合いそうな服を】
「その前に外出用の服を見せてもらえますか?」
【それを今から買いに行く】
「……もしかして、代わりの服、ないんですか?」
【だいじょうぶ。ここからそんなに遠くないところだから。駅から歩いて五分、電車に乗って二駅だから】
「なに考えてるんですか!」
「わっ!」
大声で怒鳴ったエリサに、大介はひっくり返ってしまった。
「こんなカッコで外に出られるわけないじゃないですか! これは、あなただけの、ダイスケさんのためのコスチュームなんですよ!」
「あ、ああ……」
そう答えながらも大介は視線を上げてしまった。そこから目に映るのは――。
「ば、バカ! なに見てるんですか! エッチ!」
エリサは顔を赤らめながらスカートをおさえる。
「ご、ごごごごご、ごめん!」
大介はどもりながらあやまって、背を向けてしまう。
なお、MHAにはリセット機能があるので、初回起動のエリサの反応は何度でも味わうことができる。WEBでは、すでに双葉エリサの起動パターンのほとんどが動画で掲載されているのだが、大介はそれを丹念に見るような性格ではなかった。
「ダイスケさん、メーカーから説明されてませんでしたか? 私と生活するのならば、できるだけ服を用意するようにって」
【歯ブラシは用意したけど、服を選ぶのは自信なかったし】
「歯ブラシ? なんでそれだけ?」
【だって、男が女の子の服を買うなんて、恥ずかしくてできない】
「恥ずかしい? ならば、通販で買えばいいじゃないですか! メーカーの通販サイト、知ってますよね?」
【でも、君に服を選んでほしかったから】
「私はダイスケさんが買った服から選びたかったですよ」
【だけど、僕、あんまりお金ないし。ごめん】
「あ……」
エリサは言葉をつまらせる。
彼女はMHAを買う財力のある者を想定して作られている。だから「服を買う余裕がない」ユーザーを相手にするパターンは用意されていない。
想定外の事態になると、MHAは沈黙する。複雑な表情を浮かべるだけである。余計なことは言わないように設定されているのだ。
【だから、君が気に入った服を買いたかっただけで】
「……わかりました」
【一緒に買い物してくれるの?】
「ダイスケさんは知っていますよね? 私が外に出ることがどれだけ危険なのかを」
【わかってる。だから、地味な服に着替えて】
「どんな服ですか?」
大介はのそりと立ち上がり、たたんだ服を持ってくる。
「ダイスケさん、ちゃんと見せてもらえますか?」
エリサの言葉にうなずいて、大介はその服を広げてみせた。
「なんですか、この黒い布?」
「じゃじゃじゃ、ジャージ。これなら?」
「ジャージ……この私がジャージ……」
【黒一色で目立たないから問題ない】
「そういう問題じゃない!」
激怒するエリサに大介はとまどいながらも入力する。
【だって、買い物に行くだけだし、パジャマにもなるかなって】
「私、アイドルなんですけど?」
【身元を隠すには、これが一番かなって?】
「ジャージで外を歩くなんて、アイドルにできるはずないじゃないですか!」
【そうなの? 世を忍ぶアイドルはみんなジャージ姿じゃないの?】
「はぁ……ダイスケさん、申し訳ありませんが、外出はできません」
「ま、ままま、マジで?」
「マジです」
断言するエリサに大介は返す言葉を失った。
「ダイスケさん。外に出るための服は、私がメーカーサイトの通販で選びます。……ここの住所だと二日後には届きますね」
【それまで外には出ないってこと?】
「そうです。この格好ではムリですし、ジャージはもっとダメです」
【じゃあ、なにもできないじゃない?】
「だけど、歌って踊ることはできますよ。ほかにもいろいろお手伝いとか……」
【それはイヤだ】
「なんでですか?」
【だって、その服だと見えちゃうし】
「なにがですか?」
【その、パンツが】
「それは……ダイスケさんのためなら仕方ないです。私はダイスケさんのアイドルですから」
【でも、僕は心の整理ができてないんだ。まず、服を買わないと】
「だから、外に出るための服がありませんから」
【じゃあ、ほかの僕の服を着る?】
「イヤです。サイズ合いそうにないですし」
【どうすればいいんだ?】
「服が来るまで待ちましょう。その間、ダイスケさんのしたいことがあればご自由に命じてください。ただし、エッチな命令はききませんよ?」
【わかったよ。服を選んだら起こすから、それまで寝てていいよ】
「え? いきなり?」
【だって、そうするしかないじゃないか?】
「もっと、いろいろあると思うんですけど?」
【でも、最初は買い物から、って決めてたし】
「……わかりました」
双葉エリサは大介にうなずく。
実のところ、MHAはロボットだから、危険行動を回避すること以外は、すべてオーナーである大介の命令に従うのだ。
それなのに、大介は意固地になっていた。我を通したいのではなく、頭が真っ白になって何も考えられなかったからだ。
「それじゃ眠りますよ? 本当にいいんですか?」
「あ、ああ」
大介は本心では呼び止めたかった。せめて、初日は自分が用意した歯ブラシを使ってほしかった。
MHAに歯磨きの必要性はそれほどないのだが、女の子と一緒に歯磨きをするのが大介のささやかな夢だった。自分以外の歯ブラシが部屋にあることこそ、同棲の証であると大介はかたくなに信じていたのだ。
「では、ダイスケさんが起こしたいときまで眠りますので」
「わ、わわわ、わかった」
「……おやすみなさい」
「お、おやすみ」
双葉エリサは不機嫌そうな表情を浮かべながらカプセルに入る。どうやら、大介は彼女の好感度を上げることに失敗したようだ。
なお、リセットボタンを押せば、初回起動からやり直すことはできる。でも、大介はそれをしなかった。
ちなみに、MHAをスリープ機能にすれば、彼女の身体に思う存分イタズラをすることだってできる。でも、大介はそれをしなかった。
なぜなら、大介は正規購入者ではないので、MHAをほぼ毎日アップデートすることが求められているからだ。
つまり、彼のMHAは毎日通信をするということだ。そこでは、プログラム向上のためにMHAのデータが一部読みとられる。
MHAオーナーはそれを嫌って、通信機能をオフにすることが少なくないという。アップデートのほとんどはリスクを軽減するものであって、たいていのユーザーには不要なものだった。
通信しなければ、好きなようにMHAを使ってもメーカーに知られることはない。説明書に書かれている以上の「お手伝い」を強制しても、問題ないということだ。
大介はそうなるまいと決意している。自分が幸運にもMHAの持ち主になったのは、それ以外の健全な用途をいかすためだと考えている。
例の事件――双葉エリサ人気をかき消した事件は、とあるユーザーがMHAに殺されたと遺族から告発されたからだ。
そのMHAユーザーが死んだのは、いわゆる本番行為の最中であったと大介は聞いている。
ロボットが人間を殺した。そのニュースはたちまち世界中に知れわたった。
最終的にそれは自殺と判断された。正しい使い方をしていれば起こらなかった事故であると。MHAは道具にすぎず、持ち主の指示に従っただけであると。
しかし、その事件は多くの影をMHAプロジェクトに落とすことになった。
双葉エリサに続くMHA第二弾の発売は中止され、MHAによるアイドルユニット計画は凍結された。
だから、大介は双葉エリサに欲情してはならないと心がけていたのだ。まっとうなファンである自分が「清く正しく」MHAを使うこと――それこそ懸賞当選者である自分に求められた任務だと大介は確信していた。
ところが、いざ起動したエリサと会話をして、大介は「清く正しく」MHAと接する自信がなくなった。
大介は心を落ち着かせる期間が必要だと感じた。そのために、外出用の服が来るまで、大介は自分のMHAを眠らせることにしたのだ。
こうして、大介に許された使用期限の三ヶ月間は、いたずらに二日消費されることになる。
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