「痛快」だが「痛切」ではない政治エンタメ小説 ― 池井戸潤『民王』(評価・B)

 

民王 (文春文庫)

民王 (文春文庫)

 

半沢直樹」シリーズの作者が「政治」を描くとこうなる。
政治小説としての鋭さが欠けるのは「選挙戦」を書かなかったせいか?
 

 立場が入れ替わることで社会風刺を描くというのは、文学の古典的手段といっていい。その典型例が、マーク・トウェインの『王子と乞食』だろう。
 

 本書で作者は大胆に親子の身体を入れ替える。しかも、父親は内閣総理大臣で、息子は就職活動中の大学生である。
 息子の痴話喧嘩に巻きこまれる父。父の不倫の釈明をする息子。就職面接で相手を論破していきがる父と、政界特有の漢字で誤読する息子……。まさに、いまの社会でもっとも問題となっている「世代間対立」が痛快に描かれているのだ。
 

 本書の作者は『半沢直樹』シリーズで知られるように「企業」を題材にした小説を書いてきた。そんな作者が「政治」を描くとどうなるかと期待して読んでみたが、面白くはあるものの、風刺には欠けたと感じる。
 この作者の作品のモットーは「正義もたまには勝つ」である。正論をいっても、相手を論破しても、相手の気分を害するだけで、その勝利はマイナスとなるのが人間社会だ。しかし、誰かの心を動かすことはできる。
 他作品ではそこに、大企業の社員の一人という立場ゆえの、また、中小企業の社長ゆえの切迫感があったのだが、今作には心を震わせるものはない。ありきたりの「痛快エンタメ政治小説」と僕もまた本書をカテゴライズする。
 

 

 小説としての展開は申し分ない。読み始めてバカ大学生の象徴と感じる息子は「首相の一人息子」である肩書を利用されながらもゆずれないものがある。首相になるために「正義よりも利権」を重視していた父も、それを「青臭い」と切り捨てることはできなくなる。
 いま、我が国の深刻化している世代間対立も、親子で身体を入れ替えて1週間ばかり過ごしてみれば、それをやわらげるヒントが見えてくるのではないか、と感じる。もちろん、そんなことは実際にありえないから、我々ができることは他人の立場について想像力を働かせることでしかないけれど。
 

 本書は「痛快」ではあるが「痛切」ではない。本書の大胆なコンセプトは読んでいて楽しめたものの、作者の他作品に比べると、他者に勧める動機には欠けるだろう。
 その理由は「選挙戦」について、深く書かれなかったせいかもしれない。だからこそ、政治家の必死さが本書には感じられないのだ。
 読んだ直後は評価はAとしたが、数日たった今では評価はBとする。よくできた内容だが、本書は作者のファンが楽しむべき本だ。
 

民王 (文春文庫)

民王 (文春文庫)