【感想】J・P・トゥーサン『浴室』 (評価・B)
浴室に出たり入ったりをくりかえす男の意味不明な物語
その不条理さは、カミュ『異邦人』と同じ「思考実験」なのか?
- 作者: J・P・トゥーサン,野崎歓
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1994/11/18
- メディア: 文庫
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浴室に引きこもる男の一人称小説だが、数日で彼は浴室を出てしまう。ただ、その後も、彼はことあるごとに浴室にこもるのだ。パリの自宅で、ヴェネティアのホテルで。
男は仕事をしていないようだ。ただし、社会的立場は高い。現代史学者であることが物語の中盤で明かされるが、学者というには無節操な金遣いの荒さである。ヴェネティアに行ったのも突発的だし、ちょっと調子が悪いだけで入院するし、そのくせ病院食を口にせずに、近くのカフェに出前させるぐらいなのだ。
今作の序盤で印象に残るのは、とあるポーランド人である。ポーランド人といえば、ロシアン・ジョークで《電球の替え方も知らない》ことでネタにされるほど、不遇な扱いをされている。インターネットの国際ジョークでも、ポーランドボールという分野があり、小国の代表としてバカにされ続けている。そんなポーランド人の惨めさを、仕事もせずに浴室にこもるだけの男が語っているのだ。
その滑稽さに笑う気になれなかった。なんとかお金をもらおうと必死ですがるポーランド人を追い払うパリ人。なんだか、自意識の高さが鼻につく。パリ人が偉いとは日本に住む僕は考えない。パリが流行の発信地であることは知っているが、そういうフランス的なものは、僕の血液にはほとんど流れていない。
なお、この浴室男、イタリアに家出するのだが、イタリア語がしゃべれない。そのくせ、フランス語が話せない者をバカにするのだ。フランス語はイタリア語よりも上等な言語らしい。さすがパリ人、と感嘆するほかない。
そんな「パリに住む俺は一等民!」という浴室男の自意識に、僕は拒否反応を起こした。この本は、サガンの『悲しみよ、こんにちは』と同じ系統だな、と考えたものだ。以前、僕の後輩が、村上春樹の『風の歌を聴け』で出てくる「女がオナニーばかりしてる小説」とは、サガンのデビュー作のことではないか、と語ったことがあり、僕もそれに同意したのだが、今作を読みながら「サガンの悪夢ふたたび!」と僕は危機感をいだいた。
ところが、読み進めるにつれて、浴室男の自意識が気にならなくなった。
なにしろ、今作の主人公、「急いでいる人にものを尋ねるのは、前からぼくの楽しみの一つなのだ」と語るような、とんでもない奴なのだ。
ここで、僕は別のフランス文学作品を思いだした。カミュの『異邦人』である。
『異邦人』の結末は有名だ。主人公のムルソーは殺人を犯すが、その理由を「太陽のせい」と語る。
そんなムルソーの一人称小説『異邦人』を読んで、作者カミュと語り手ムルソーを同一視する人はいるだろうか。作者は、人を殺し、それを太陽のせいだと主張するために『異邦人』という小説を書いたのか?
いや、カミュは『異邦人』を通して、人間の不条理を描いたのである。そのために、意味不明な弁解をするムルソーが語り手の一人称小説という体裁にしたのだ。いわば、『異邦人』はカミュの「思考実験」なのだ。
今作は、そんな『異邦人』と同じ系統に属するだろう。物語の語り手と作者を混同しようとする試みは、ページを進めるうちに断念せざるをえない。引きこもり経験がある者は、この浴室男に共感しようと考えるものの、それを果たせなくなる。
ただ、最低な性格の浴室男だが、人間として必要な何かが徹底的に欠けている彼の目に映る描写には、魅せられる者がある。欝状態になった経験のある人は、窓の外の雨の街を見ながら「まるで水槽にいる人たちが溺れていくよう」という表現には共感できるのではないか。
そして、浴室男の奇行の数々も「ダメだこいつ……」と感じながらも、ついつい読んでしまうようになる。イタリアに家出したのに、ホテルの一室でダーツに夢中になる浴室男。同棲していた恋人がやってきて「パリに一緒に帰ろうよ」と言うのを無視して、ひたすらダーツをする浴室男。その物語を読むことには、不思議な癒し効果がある。
結局、浴室男はどこにも行かない。もしかすると、この物語の時間軸の間にも、仕事をしているのかもしれないが、小説を読むかぎりでは職業はわかるものの、それらしいことをしている描写はない。パリ人男性が、浴室に出たり入ったりするだけの話である。
ただ、やることがないときに読むと、なぜかすっと頭に入ってくる作品だ。
僕の場合、仕事あとの平日夜に読んでも苛立つだけの代物だったのに、休日のカフェではすんなり最後まで読んだのである。そのとき、ノートパソコンのバッテリーがなくなっていて、僕は電源のある他のカフェに行かなければ書き物の続きができなかったのだが、それが面倒だったので、読みかけの今作を読んだのである。
だから、いつ読んでも楽しめる作品ではないのだろう。でも、他の作品にはない不思議な存在感のある小説である。それはもしかしたら、他の作品では癒されない何かが宿っているかもしれない。その独自性を評価して、B判定とした。