湯浅邦弘『ビギナーズ・クラシックス 孫子・三十六計』(評価・D)

 
専門家がバカ向けに入門書を書くと、読みごたえゼロの内容になることだけがわかる本
 

 
 『孫子』というのは、中国の春秋時代に書かれた、つまり二千五百年に世に出された、戦争哲学書である。
 中国では現代でも愛読されているが、兵法書として現代戦でも通用するかといえば、その効果は疑わしい。
 
 
 例えば、有名な武田信玄の「風林火山」の旗印は、孫子「軍争編」の以下の引用である。
 
「其の疾(はや)きこと風の如く、其の除(しずか)なること林の如く、
 侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かなること山の如く……」
 
 ここで注目するべきは「侵掠すること火の如く」である。『孫子』は「食糧は敵地での現地調達を原則」としている。孫子「作戦編」での「糧を敵に因る」が、その出典である。
 
 しかし、この『孫子』から三百年のちの「項羽と劉邦」の楚漢戦争で、劉邦が勝利したのは、補給路を確保し、長期戦に耐えたからである。少なくとも、項羽と劉邦の時代には、『孫子』の兵法だけでは天下を取れなかったのだ。
 
 三国志の時代でもそうだ。曹操は軍事組織の主導による屯田制を導入し、大きな成果をあげることになる。
 
 戦争には欠かせない兵站(補給)の問題について、『孫子』はほとんど説明しない。「巧久より拙速」とうたっているだけである。巧(たく)みに遅い「巧遅」よりも、拙(つたな)くても速い「拙速」のほうが良いというのは戦争の原則ではあるが、「侵掠すること火の如し」では、たちまち民心を失うだろう。
 
 中国人にとって、この『孫子』は絶対的な古典であり、それがゆえに、明治以降の日本の侵略を許したところがある。日本軍が朝鮮半島に進出したときはもちろんこと、中国内陸に侵略したときも、食糧の現地調達は絶対にしなかった。いっぽうの国府軍(国民党軍)はそうではなかった。ゆえに、日本の支配を許してしまったのである。なお、毛沢東赤軍共産党軍)は、現地調達を禁じることで、民心の支持を得た。
 
 と、前置きが長くなってしまったが、『孫子』はそっくりそのまま現代戦に通じるものではない。それでも有用な書物ではあるが、魏武(曹操)をはじめとした後世の註釈をあわせて読むことで、理解できる作品といえよう。
 
 しかし、今回紹介する『ビギナーズクラシック 孫子』はそうではない。原典の一部を訳しただけの「妙訳」である。曹操らの註釈は、附則されていない。それなのに「三十六計逃げるにしかず」で有名な、清の初めに編纂された『三十六計』も同時に収録している。
 
 著者に言わせると、本書の魅力は『三十六計』の同時収録にあるという。『孫子』については、講談社学術文庫岩波文庫で優れたテキストが出されていることを示唆しているぐらいだ。
 
 そして、本書の内容は、中国古典ファンには物足りない。引用している故事は、日本人になじみある「三国志」が半分以上を占めている。「あたりさわりのない」表現がピッタリくる。
 
 つまり、バカ向けの入門書である。著者は「バカ相手にはこれぐらいでいいだろう」と甘い踏み込みで書かれている。おそらく、執筆する時間も、それほど準備されなかったのだろう。まったく、頭に入ってこない。
 
 そして、著者は中国古典兵学の専門である。専門家であるがゆえに、その視点は現代に向かっていない。「今の中国の稚拙な国際外交は『孫子』信仰にあり!」と喝破したルトワックに比べれば、その読みごたえはゼロに等しい。
 
 こんな代物よりも、素人の書いた「孫子入門書」のほうが、はるかに面白いであろう。「私は孫子をこう読んだ」という感想をまとめたものは、専門家の入門書よりも遥かに勝るのだ。孫子の全貌を俯瞰しても漠然としたものが見えるだけである。
 
 本書を手にすることは「15分でわかる○○」という入門書を読んで「わかったつもり」になる危険性を教えてくれるだけである。本書で著者が最初に紹介した講談社学術文庫岩波文庫を手元に置き、自分なりに噛みくだいて読んだほうが、はるかに実りある読書ができる。
 
 本書の評価はDである。入門書とはいえ、読者をバカにするにもほどがある。せめて、もう少し煮詰めたことを書くべきではなかったか。現代世界においては何の役にも立たない、「孫子の妙訳を読んだ」という自慢にしかならないだけの書である。