海堂尊『チーム・バチスタの栄光』 (評価・A)

 
大学付属病院での術中死をめぐる事件を通じて医師への偏見を打ち砕く医療ミステリー
 

チーム・バチスタの栄光

チーム・バチスタの栄光

 
 大学受験の偏差値で、医学部は他を圧倒している。大学内でも医学部は別格の扱いである。医師はそんな難関を抜けた者だけがなることができる職業である。
 
 しかし、我々の医師の不信感は根強い。小説や漫画などでは、大学付属病院の出世競争がゆがんだ形で語られることが多い。人命を救うことを第一とすべきはずの医者が、大学付属病院という狭い世界で、足の引っ張り合いをしている。我々はそんな物語を目にすると、彼らに自分の命を預けていいか、不安になってしまう。ただ、選択肢はほかにない。だから、我々は目を閉じるのだ。医者が人間であることに。
 
 この『チーム・バチスタの栄光』は一連の術中死をめぐる医療ミステリーである。術中死とは、手術の失敗による患者の死亡のことだ。もし、それが悪意のある殺人だとしても、世間の明るみに出ることは難しいのではないか。そんな我々の不安を具現化したような、核心的な題材をとりあげているといえる。
 
 はたして、本作は人々の医師への不信感を増大させるためのものか。手術の失敗に様々な妄想をふくらませるためのものか。
 
 いや、作者はその不信感を解消するべく、この医療ミステリーを書き上げたのだ。あえて、手術室で行われた殺人を物語にすることで。
 
 
 本作の語り手は、出世競争から完全に手を引いている、みずから横着者と名のる田口公平講師。彼は東城大学付属病院の不定愁訴外来の担当医師である。不定愁訴外来は「グチ外来」という通称名がある。「相手にしたらきりがない」軽微な患者の相手をするのが、田口講師の担当である。彼は学生時代に血を見ることに生理的恐怖を覚え、神経内科に進んだ。以降、手術室と縁のない医者生活を送っているのだ。
 
 そんなグチ外来担当の田口講師に、病院長から依頼がくる。大学の看板チームである「チーム・バチスタ」の一連の術中死の原因を内部調査してほしいといわれたのだ。バチスタ手術は、成功率六割の心臓手術であり、その高リスクゆえに手を出さない医療施設は多い。東城大学付属病院は、桐生恭一という米国で活躍した一級の医師を助教授として迎え、特別チームを編成した。桐生助教授の腕は確かで、バチスタ手術を三十件成功させた。その成功率はマスコミの注意をひき、取材を受けたこともある。ところが、そんなチーム・バチスタが、立て続けに三件の術中死をもたらしたのだ。30分の3、確率にすれば10%。それでも、一般の40%よりも低い数値であるが、このことに異変を感じたのが、ほかならぬ執刀医の桐生助教授だった。
 
 血が苦手で大学を卒業してから十五年手術室に足を向けたことのない田口講師が、なぜ、チーム・バチスタの内部調査を、病院長から直々に依頼されたのか。そこには、大学病院という組織の難しさがある。失敗率10%という現状では、リスク・マネージメント委員会を立ち上げるわけにはいかない。そんな大事にする前に、人間関係のしがらみがない田口講師という第三者の目をいれることで、なんらかの変化を病院長や桐生助教授は期待したのだ。
 
 田口講師はチーム・バチスタのメンバーに、それぞれヒアリングを開始する。こうして、読者は田口講師の視点で、手術チームがどのように構成されているかを知ることになる。彼らはそれぞれ大学病院内で確固たる地位を築いている医師たち。田口講師には、彼らが「悪意」により術中死をもたらしたのではないと確信する。しかし、田口講師も立ち会った手術で、チーム・バチスタは患者の死を招いてしまうのだ。
 
 はたして、これは不運か事故か悪意のある殺人か。後半には型破りな厚生省官僚白鳥圭輔が登場する。田口講師は、この白鳥に付き従うことで、事の真相に近づくことになるだろう。
 
 この作品が面白いのは、田口講師の軽妙な語り口にあるだろう。組織の中心から外れながらも、大学病院で自分の立ち位置を確立している彼の処世術は、その口調から感じられる。読者はそんな田口講師の視点から、大学病院の手術室という、一般人には知りえない世界を追体験することができるのだ。
 
 また、非常に論理的な構造をしているのに関わらず、物語性の面白さを損なっていないこと。官僚の白鳥はロジカル・モンスター(論理怪獣)という異名を持ち、攻撃的な論理でチーム・バチスタの栄光に隠された闇を暴いていくのだが、それにあらがおうとする医師たちの中に、その人間性が感じられるのだ。医者という社会的ステータスの高い彼らゆえの意地が、このミステリーの真相に近づくための最大の壁になっているのだが、その意地があるからこそ、彼らは人命を救うことに身をささげているのだ。
 
 ただ、読んでいる最中は、チャートなどを図解して見せてほしかったと僕は考えたものだ。小説だからチャートを使うのは邪道かもしれないし、それはミステリー小説では読者の責務なのかもしれないが、せっかく田口講師という魅力的な視点を用意しているのだから、それを補助する「田口ノート」があったほうが、より敷居は低くなったのではないか。
 
 論理的な構造だけに、奇をてらう展開はない。読者は真相に近づく興奮を感じながら読み進めるものの、犯人が誰であるかに意外性はない。驚きや鮮やかはないミステリーである。
 
 でも、本作で作者がもっとも伝えたかったこと「医療現場の実態」は、読者に伝わったのではないか。我々は様々な物語から、医師に漠然とした不安を持ち、それが大きな力になって、医療現場を追いつめているという現状。その偏見を打ち砕く力が、本作にはある。
 
 将来、誰もが医師にみずからの命をあずけることがあるはずだ。そのときに漠然とした偏見による不安をいだかないためにも、本書を読むことは無駄ではないだろう。