泉和良『spica』感想(評価・S)

 
ピンク色の髪をしたスピカ星人に会えるのは、泉和良の『spica』だけ!
 

spica (星海社文庫)

spica (星海社文庫)

 
 この本の巻末には、2008年に刊行された作品だと書かれている。
(文庫化は2013年8月)
 読み終わって、僕は溜息をついた。
 2008年! 今から五年以上前、この作品は、すでに世に放たれていたのだ。
 僕はその五年間のことを考え、自分を恥じた。
 はたして、その五年間で、この小説を読むことに勝ることを俺はしたのか、とまで思った。
 
 
 この作品は、とある同棲カップルが別れるところから始まる。彼女の浮気が発覚し、主人公は新たな部屋を借りて、別れて住むことにした。
 それなのに、三ヵ月後、彼女は電話をかけてきたのだ。
朝マック買ってきて」
 長年、同棲生活をしてきた主人公ですら、彼女のことを「宇宙人」だと思う。ピンクの髪をした、宇宙と戦争の話が大好きな女の子。食べ物に貪欲だが、腹痛持ち。オンラインゲームに夢中で、リアルのお金を稼ぐ気はゼロ。ウソをつくのがやめられず、結果的に主人公を困らせてばかりの女の子。
 不思議系というには、あまりにもひどすぎて、自分が「特別」であることだけを信念に生きている芸大中退生を、主人公はそれでも愛している。
 だから「朝マック買ってきて」と言われると、自転車で駆けだしてしまうのだ。もう終わった恋じゃないか、という脳内の反論をふりきってまで。
 
 なぜ、そんな女の子を主人公は愛しているのか? この作品のほとんどは、その答えで埋め尽くされている。
 主人公とその女の子の間には、数多くの合言葉がある。ドンサのムハや、ドッグ棒、鬼ボール、などなど。主人公はそれを「スピカ星人」特有の風習なのかもしれないとマジメに推測する。
 彼女をスピカ星人ととらえるのは、あながち外れたものではない。彼女の部屋には、ソンブレロ銀河のポスターが飾ってあったからだ。そのなじみのない名前の銀河は、乙女座の端っこにあり、彼女はそれをパソコンの壁紙や携帯の待ち受けにするぐらい気に入っていたのだ。言うまでもなく、スピカは乙女座にある一等星である。
 そんな彼女の思い入れを語る主人公の口調に、いつしか読者は引き込まれる。
 たいていの人は、彼女のような人間と関わらない生活を送ってきただろう。それなのに、彼女の魅力を高らかにうたいあげる主人公の声には、耳を閉ざすことはできないはずだ。
 
 この作品は純然たる恋愛小説だが、甘いロマンスとは遠く離れている。
 スピカ星人な彼女は、主人公に「食事持ってきて」とは言うけれど、キスさえも許さない。ヨリを戻すつもりはないらしい。
 いっぽう、主人公には新たな女の子の出会いがある。主人公は音楽活動をしていて、主人公の曲に強くひかれたファンが現れるのだ。彼女は言う。
「彼女、いないんですよね?」
 主人公は答える。
「ああうん、今はいない」
 ただ、主人公にはスピカ星人との想い出に縛られている。ファンの子の期待にこたえることを、下心にすぎないのかもしれないと不安に感じてしまう。
 
 だから、この作品の主人公は孤独な夜を過ごしつづける。
 その孤独さを描いていることが、この作品が恋愛小説として成功しているところかもしれない。恋愛には孤独がつきものだ。二人でいたいと欲するから、一人でいることに耐えられなくなるからだ。
 僕が好きなのは、第三章一節の朝の描写。主人公だけでなく、読んでいる僕の神経も研ぎ澄まされた。読み返してみると、たかだか1ページほどの文章にすぎないのに、確かに僕は主人公と同じように、特別な朝を感じたのである。優れた文章は、それだけで独自の音楽を発する。
 また、数字パズル「数独」に励む夜の場面もいい。数独はニコリの商標なので、ナンプレという呼び方が一般的だろう。この作品では、まず、そのルールを丁寧に説明する。もし、数独がすたれてしまって、この作品だけが残っても再現できるほどのわかりやすい文章だ。たいていの人は「そんなことは知っている」と読み飛ばすだろう。ただ、その後の、数独の魅力を語る言葉は感心するはずだ。もし、あなたのまわりに、数独ナンプレ)好きな人がいれば、この作品と同じことを言ってみるといい。その人は、あなたを見直すだろう。この部分だけでも、今作を読む価値はあると思う。おかげで、今作を読んでから、僕はフリーセルをやめ、ナンプレばかりするようになったぐらいだ。
 
 さて、今作は唐突に終わる。僕も少なくない小説を読んだつもりだが、ページ冒頭の「あとがき」という文字を見て、動揺したのは初めてだ。
 「細部に神が宿る」という表現があるが、この作品は、その詳細な描写ゆえに、ピンク色の髪の女なんて友達にしたくない、と思っている人でも、スピカ星人の彼女を知人のように感じることができる。女性の気まぐれさに手痛い目にあい、女性不信になった人も、この作品でその中の女性の愛らしさに気づくことができる。
 しかし、この結末で、読者は作者がこの作品に思いをこめた本当の意味を知るのだ。
 『鋼の錬金術師』という漫画は、兄弟が故人の母を蘇らせるための秘法が元で、それぞれ身体を失ったエピソードから始まるが、それと同じようなことを今作はしているのだ。
 果たして、作者はこの作品を書くためにどれほどのものを犠牲にしたのかと思う。だが、それらの犠牲の上に、この作品で「彼女」は生命力を保ち続けるのだ。
 
 最後に、この作者は、アンディー・メンテのジスカルドとして、フリーウェアゲームを中心にネットで活動してきた。デビュー作「エレGY」はその集大成である。
 しかし、この『spica』には、アンディー・メンテの言葉はない。
 かつて、ジスカルドは「あんでぃーめんて・だいすき」という自作の曲を、みずから歌ってネットで公開していた。Youtubeニコニコ動画もない時代、彼は「フレーフレーじすさん」と自分で自分を讃える曲を公開したのだ。
 その曲で「誤字脱字は勇気の支え」という一節がある。彼の作ったゲームは荒削りなものが多く、誤字脱字が当然、バグですらゲームバランスの一環、というようなものだったが、その荒削りさを愛するファンは「誤字脱字は勇気の支え」を合言葉にして、彼を擁護していた。
 ところが、この作品を読み終えた今は思う。そんな開き直りを許してしまったのは、ファンとしていかがなものだったのか、と。
 冒頭で、僕は自分を恥じた、と書いた。僕はこの泉和良という人の才能を見損なっていたのである。そうでなければ『エレGY』を読んだのに関わらず『spica』を読むのに五年かけるはずがない。
 今作を読んだあと、僕はそんな後悔がどっぷり押し寄せてきた。こんなスゴイ小説を書く人を、あらかじめ知っていたのに関わらず、手に取らなかったとは、いったい俺はなにをやっていたんだ、と。
 この『spica』は、確かな生命力が宿った傑作である。アンディー・メンテ時代の彼を知っていることは、読むきっかけの一つにすぎない。
 無論、この作品をきっかけに、アンディー・メンテ時代の彼を知ろうとすることはあるだろう。そういう人は、僕が昔書いたブログ記事でも読んでみたらいいかもしれない。この『spica』のテーマ曲ともいえるべき「REI'S MEDICINE」など、この傑作の余韻にひたれる曲が見つかるだろうから。
 
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