さっき見た夢で流れたメロディ

 
 夢から覚めた余韻にひたるほど、幸せなひとときはない。
 こう思うのは人生の落伍者だけだと思ってたが、年をとると、会いたい人には会えないし、肉体や頭脳も日々衰えるものなので、至極当然なものなのだろう。覚醒した夢にひたりたいがために、薬物に頼る人も少なくないわけで。
 ただ、司馬遼太郎がいったように、夢を語るのは痴人のすることである。他人にまともなあつかいを受けてもらいたいならば、誇らしげに自分の夢を語るべきではないのだ。
 と、前置きしたうえで、さっき見た夢を語る。
 
 
 覚醒した状態で夢から覚めたのは、とある音楽が思い出せなかったからだ。
 だから、目に光が戻っても、その夢を鮮明に覚えていた。
 それは、ゴミ収集車が鳴らすメロディだった。僕は長兄に、この曲なんだっけ、とたずねると、『遠い日の旅』と長兄は答えた。単純な旋律なのに、やけに壮大なタイトルを口にした長兄の冗談に、夢の中の僕は大いに笑った。
 それから、ベッドに寝転がりながら、10分ばかり、その曲がなんなのかを考えていた。
 実家のゴミ収集が鳴らす曲って、なんだったっけ? いや、そんなもの、僕の故郷である四国の田舎町で流しているはずがない。川崎市に住むようになって、ゴミ収集車が独自のメロディを流す有意義さを知ったのだ。
 しかし、それが鳴らすメロディは電子音だった。ポール・マッカートニーが「イエスタデイ」の旋律を夢から拾ってきたのは有名な話だが、そんなエピソードから程遠い、はっきりとした単純なメロディだった。
 そうそう、長兄が中学のときに、技術工作の時間につくったインターホンを、一階と二階の連絡用に使っていて、そこで流れる曲が『埴生の宿』だった。たいてい、それが鳴るのは「ご飯できたよ〜」の合図である。だから、僕はこの曲を聞くと、第二次世界大戦とかビルマよりも、お腹が減るのだが、夢で聞いたのは『埴生の宿』ではない。
 そのときに、パッとひらめいた。そして、愕然とした。
 それは、たいして思い入れのないメロディだったからだ。
  
 ファミコンの『ハイドライドスペシャル』のBGMである。
(参考:http://www.youtube.com/watch?v=3GJu6jcK6yg
 映画『インディジョーンズ』のまがいもののようなこの曲。
 しかし、僕はこのゲームをリアルタイムでプレイしたことはない。

 だいたい、長兄は「RPG反対派」だった。ドラクエのように、一人で黙々プレイするゲームを悪とみなしていたような奴だ。
 不器用な僕は、兄弟でファミコンをしても、ちっとも楽しくなかった。『ファミスタ』で、一番強いメジャーリーガースを選んでも、兄たちにコールド負けした。『スーパーマリオ』も8-1がどうしてもクリアできなかった。
 だから、コツコツプレイすれば何とかなるRPGに理想を見出したのだ。
 
 夢は関連性ゼロのイメージが連なったオモチャ箱みたいなもので、その謎を解き明かすことが面白いのだが、必ずしも、それが今の自分の精神状態を伝えているわけではないと思う。
 
 さっきの夢の話だが、ゴミ収集車が来る前に、長兄が僕と次兄に「部費を徴収する」といった。これは、ブログで書きかけの小説の続きを考えていたからだろう。
 その部費の金額は「2670円」である。この数字にも意味はないだろう。
 「中途半端な金額だと、お釣りが大変だろ!」と僕が突っ込むと、「そうだな」と長兄は感心したが、長兄はこんなバカではない。ミニコンポのランダム再生で、次にどの曲が流れたかを机に記して、どれだけ理想の確率に近づいているかチェックするような奴だったのだ。
 
 そうそう、最近見た夢で、もっとも情けなかったのが、アダルトサイトでお宝映像が公開された夢だ。目を覚まして、急いで、そのサイトに行こうとした時点で気づいた。そのサイトが、とっくの昔に閉鎖されていることを。
 
 と、まあ、こういう夢を見ながら、僕は生きているわけだ。