魔法少女さやかのソナタ I(3) 

 
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     (3)

 
 ハンバーガーショップを出たあと、今日も習い事があるという仁美と別れて、私とまどかは、いつもの店に向かう。「また、上条君の?」とたずねるまどかに、私は「まあね」と軽く答えておいた。
 私たちが向かったのは、駅ビル内のCDショップ。まどかは入り口付近の視聴コーナーで立ち止まって、最新のヒット曲を確かめている。音楽に関して、まどかはあまりこだわりがないみたいで、自分からCDを買うことは、ほとんどなかった。
 そんなまどかを横目に、私はさらに足を進める。クラシックの棚は、店のもっとも奥にあって、それが好事家でなければ手にされないものであることを物語っていた。
 私はそこに向かうとき、ちょっとした優越感をいだく。それはきっと、私が音楽的に素人だからだろう。英語とかバイリンガルとかミッションスクールとか、そういう憧れと同じように。
 だが、そこから恭介の目にかなう音楽を探さなければならないのだ。カタカナだらけの名前から、私は目的に合致したCDを見つけださなければいけない。これは、なかなか骨の折れることである。
 仁美も来てくれたら良かったのに、と私はふと思う。ピアノの習い事もしてきた仁美ならば、クラシックの教養があるはずだから、的確なアドバイスをしてもらえたかもしれない。
 でも、これは、まどかとの二人だけの秘密なのだ。仁美に打ち明けていないということは、頼ってはならないということであって。
 恭介にCDをプレゼントしたらどうか、と提案したのはまどかだった。最初、私はそれに首を振った。その世界に関しては、恭介はプロであって、私は何も知らない。ヘタなものを買ってしまうと逆効果になるかもしれない。
 そして、あの事故以降、私はその話題を細心の注意を払って避けていた。恭介が失ったものを思い起こさせないように、私はその世界については、絶対に触れようとはしなかった。
「それは違うよ」と、まどかは言った。いつまでもそんなことを続けるわけにもいかないし、私が音楽を習っていないことは逆にチャンスであると、まどかは説く。
「上条君だって恋しがってるはずだよ。あんなに音楽が好きだったもん。さやかちゃん相手だったら、きっと許してくれるって」
 結局、まどかに言い負かされて私はCDを買った。本格的なものではなくて「TVでよく流れるヴァイオリン曲」というものだ。たぶん、恭介の知っている曲ばかりだろうけど、だからこそ、味気ない入院生活に彩りを添えることができるんじゃないかと期待して。
 ことのほか、恭介はそれを喜んでくれた。ケースの裏を見ただけで「へえ、この曲が使われてたんだ」「この人の演奏聴いたことなかったな」と、鑑定士のように語る恭介の顔には笑顔があった。
「クラシックって芸術扱いされてるから、何やら遠い存在だと思うかもしれないけど、ホントはもっと身近なものなんだよ」と恭介は言う。
「例えば、クライスラーって人がいるんだけど。ヴァイオリン奏者としてだけじゃなくて、作曲家としても有名でね。で、その人、自分の作った曲を、バッハやヘンデルの昔の楽譜を発見したとウソついて、流行させたりしたんだよ」
「なんで、そんなことしたの」と私は言う。
「評論家をバカにしたかったからさ」と恭介。「音楽を聴くのに教養なんていらない。演奏をする人は、知識や技術が必要だけど、それを聞き手に押し付けるのは間違ってると思うんだ。でも、評論家が偉そうに、これがわからなければ聴く価値なし、なんて書いたりするものだから、クラシックは一般人には手の届かないものにしてしまった。クライスラーは、そんなクラシック界の弊害を皮肉ってみせたんだよ。こういうの、面白いと思わない?」
 ふうん、と私は相槌を打ってみせたが、よくわからなかった。そういうことが許されるんだったら、著作権とか印税とかどうなるんだろう。クライスさんは捕まったりしなかったんだろうか、と思う。
 でも、そういうことを語る恭介の顔は明るくて、私はまどかの助言が間違っていなかったと思った。それまで知らなかった、恭介が生きてきた世界を垣間見ることができたのだ。
 だから、第二弾はクライスさんのCDを買うことに決めていた。しかし、クラシックの品揃えというのは、実にわかりにくいものである。作曲者別、演奏者別、楽器別、シリーズ別、などなどなど。ポップスのようにミュージシャン名さえ覚えておけば、目的の品物にたどり着けるというわけにはいかない。
 しばらく眺めているうちに、カタカナだらけのタイトルに頭が痛くなった私は、まどかに助けを求めようと思った。こういうときこそ、まどかの勘に頼るべきなのだ。
 そう思って、まどかのいる視聴コーナーに目を向けると、まどかが視聴コーナーから離れ、ふらふらとCDショップから出ていることに気づいた。ああ、トイレか、と棚に目を戻す。でも、トイレだったら、歩く方角が違うはずではないか。
 そのとき、私は駅ビル東館に伝わる噂を思い出したのだ。
 CDショップがある西館は、早くからオープンしていたが、東館は改装中という触れ込みで、ずっと閉鎖されたままだった。そのことで、私たちのまわりでは、様々な伝説が生まれている。工事をジャマする悪霊がいて、事故が起きて作業員が死んだとか、そういうもの。私はそんな話をあまり信じなかったけれど、まどかの足取りの不確かさは、その噂を思い起こさせるものだった。
 私はまどかの背中を追いかける。まどかは誰かに導かれるように、あの東館に向かっている。そして、まどかは「改装中により立ち入らないでください」と書かれていた看板を無視して、さらに奥へと進む。
 まどかは決して、こういうところに一人で立ち入るような子ではない。ほかの子が無視するような先生の言いつけも、まどかはきちんと守る。そんなまどかが、入ってはならないはずの場所に向かっているのだ。これは大問題だった。
 ただ、私に好奇心もあったことは否定できない。もし、悪霊がいるとするならば、どんな形をしているんだろう。それを確かめてから、まどかを救えばいい。そんなふうに、私は楽観視していたのだ。
 でも、そこで見た光景は、私の期待していたものではなかった。
 まどかは猫のような白い動物を抱きかかえている。その向こうには、なぜか例の転校生がいた。さきほど、まどかと仁美と話題にしていた転校生、暁美ほむら。でも、彼女が着ている服は、私たちと違って制服ではなかった。
 彼女たちの声は、はっきりとは聞き取れないけれど、何か言い争いをしているようだった。その動物は何なのか、なぜ、転校生がそんなところにいるのか。そんな疑問よりも、その場の緊迫感が、私を焦らせた。
「この子、あたしに助けを求めてた」とまどかは叫ぶ。
「あなたには関係ない」と転校生は吐き捨てる。
 転校生はゆっくりと、まどかににじり寄っている。私はそこで、転校生の異様な格好に気づいた。左の腕には盾のようなものがあった。スカート姿ではあるけれど、そのいでたちは、まるで戦闘する兵士のようで、そんな彼女が鋭い言葉をつぶやきながら、白い動物をかかえているまどかに近づいている。
 深く考える余裕はなかった。転校生が、まどかとまどかの守る動物に危害を加えようとすることは確実だと思った。私は助けなければならないと判断した。
 あたりを見回すと、消火器があることに気づいた。
 私はその使い方を知っていて、友達に危機が訪れている。相手はクラスメイトだが、今日転校したばかりの謎の女の子。私がとるべき行動は一つしかないはずだった。
 
  
⇒つづきを読む(執筆中)
 



 
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