朝鮮戦争を調べている
朝鮮戦争の本をざっと借りてきて、いろいろ調べているのだが、それを紹介するのはとても難しい。
わかりやすく、面白く説明したところで、それが現実と剥離しているのならば、何の意味もない。
そういう娯楽は、それを商売にしている人に任せればいい。僕は僕でじっくりと言葉を紡ぐだけである。
さて、1950年に始まった朝鮮戦争は、三年に及び、数百万人の犠牲が出たといわれる。
韓国および北朝鮮が首都と定めていたソウルは、この戦争で四度陥落した。
それにも関わらず、休戦ラインは、戦前とあまり変わっていない。
だから「勝者なき戦争」といわれるのだが、現在に至るまでの東アジアの境界線は、この朝鮮戦争でほぼ定められているわけだ。
あえて勝者をあげるならば、北朝鮮を支援した中華人民共和国となるだろう。
朝鮮戦争が長期化した理由は、米国と中国の全面戦争だったからである。
米国の、特に連合軍最高司令官であったマッカーサー元帥は、台湾に逃れた蒋介石による中華民国を、朝鮮戦争を利用して、ふたたび本土によみがえらせようとした。
(仁川上陸作戦の成功で得た国際的名声を利用して、マッカーサーは朝鮮半島だけでなく、中国本土の共産政権の打倒を企てていた)
それを中国共産党は察知していた。だから、義勇軍と称して、何百万もの軍勢を朝鮮半島に送り込んだのである。毛沢東はこう言った。「いずれ米国とは戦争しなければならないだろう。ならば、朝鮮半島を舞台にした方が良い」
作られたばかりの中華人民共和国にとって、この朝鮮戦争は国際社会での生き残りをかけた戦争でもあった。
朝鮮戦争に参戦したことにより、中国共産党は台湾侵攻をあきらめた。ゆえに、現在でも台湾では中華民国という別の政府が成立している。
その一方で、米国を中心とした国連軍を相手に、人海戦術で苦しめたことが世界的に認められ、中華人民共和国の国際的体制は盤石のものとなった。
やがて、大躍進政策と文化大革命により、国内で大きな疲弊をもたらすことになるのだが、それはまあ、別の話ではある。
なお、朝鮮戦争を語るためには、東アジアだけではなく、ヨーロッパ方面、特にドイツについても知らなければならないだろう。
そこまでを統括してわかりやすく説明するというのはとても難しい。
ただ、竹島問題ひとつとっても、朝鮮戦争を理解せずに語ることはありえないといえるだろう。
日本では「朝鮮戦争の特需によって、敗戦後から急速に復興した」と言われている。
そういう「朝鮮半島の人たちを犠牲にして、我が国は発展したのだ」という「後ろめたさ」が、現在まで続く在日コリアン問題を引き起こしているといえる。
しかし、当時の日本は占領下に置かれていたわけで、国連軍となった米国軍の命令を拒むことなどできなかった。
それに、朝鮮戦争が起きなければ、中国共産党は台湾に侵攻しただろうし、蒋介石の中華民国政権は、韓国や日本に亡命するという形になっただろう。
そうすれば、結局のところ、大きな戦争は起きてしまうわけである。
また、朝鮮戦争の多大な犠牲を教訓に、ベトナム戦争で中国は直接的に参戦することはなかった。
朝鮮半島だけを考えるならば、朝鮮戦争は多大な犠牲に似合う変化が訪れることはなかった。半島髄一の工業地域であった開城が、休戦ラインで韓国から北朝鮮に移ったぐらいである。
しかし、世界的に見るならば、現在に至るまでの東アジア情勢を確定させたわけであって、その理由は数百万人という犠牲を出したことにある。
先日、台湾総統選挙が行われ、融和派の馬英九が再選した。
北朝鮮の指導者も、金正恩に変わり、半島情勢も新たな動きがあるのではないかと注目されている。
そんな東アジア情勢の中で、日本人である我々はどのように動くべきか。それを知る手がかりのひとつが「朝鮮戦争を理解すること」であろう。
そういうことを、うまく説明する方法はないだろうか悩みながら週末を過ごした僕である。