自転車、映画「けいおん!」、半島情勢、やる夫シリーズ

 
 この24日、25日は久しぶりの連休であった。
 世間はクリスマスで騒いでいたが、僕がやったのは自転車のチェーンがたるんでいたのを直してもらったぐらいである。チェーンが外れやすくなって困っていたのだ。
 ネットで検索すれば、自力でできるやり方を知ることはできる。だが、車軸を整えるという芸当は自分に困難であると判断し、自転車屋に任せた。500円なり。
 直してもらったあとで、チェーンが限界にきているかもしれないと言われた。自転車のチェーンの限度は走行4000kmぐらいらしい。言われてみれば、4000キロは軽く踏破している。毎日、川崎市登戸から杉並区に通っているのだ。
 もし、たるみを調整しても症状が変わらないのならば、2100円出してチェーンを交換してもらわなければならない。そうすると、本日払った500円はムダである。
 なお、ホームセンターで自転車のチェーンは1000円ぐらいで売っているらしい。僕のような不器用な人間は、チェーン交換のために自転車を破壊してしまうので、素直に自転車屋に任せたほうがいいのだけれど。
 
 それにしても、連休の成果が、自転車のチェーン調整だけとは何とも情けない。
 実をいうと、二つぐらいはまともなブログ記事を書こうと思っていたのである。
 
 一つが、映画「けいおん!」を見て感じた『軽音楽』について。『軽音楽』というと「ロックンロールをなめるな」と言われそうだが、そもそもロックンロールとは手軽さこそが売りなのだ。音楽番組のような、ヤラセっぽい客の反応が好きではない僕からすれば、映画「けいおん!」のロンドンでの演奏はとても感動できるものだった。
 そういうことを、数多くの動画を紹介しながら書いてみたかったのだが、Youtubeで削除されている動画もあったりして、書く気がわかなかった。残念である。
 
 その他に、朝鮮半島情勢について、素人っぽいことを書こうと思っていた。例えば、慰安婦問題について。この件について「日韓基本条約で解決済」と語る人は多いけど、あれは朴正煕が外貨を獲得するための方便みたいなものである。背景を知らずに条文を語るなかれ、朴正煕を知らずに日韓基本条約を語るなかれ、である。
 そもそも、慰安婦問題が明るみになったきっかけは、元慰安婦であったオランダ人女性の訴えである。彼女が、かつての韓国人慰安婦を説得したことから、この問題は世界で知れ渡った。そして、そのオランダ人女性の訴えに、僕は「日本人特有の狂気」を見つけることができるのだ。
 日本占領下のインドネシアを舞台に小説を書いてみるのがいいかもしれない。主人公は現地の少年で、ふとした成り行きで慰安所に勤めることになる。彼はそこで日本人の奇妙さと恐ろしさを知る。
 韓国人や中国人が声高に批判する「日本軍の蛮行」に違和感をいだく人でも、その物語は納得できるものになるだろう。
 我々のような実務に携わらない人間が、日韓基本条約をとうとうと語ったところで、何の意味もない。互いの国民感情のズレは、いったいどうして生まれたのか。それは、最初にこの問題を訴えたオランダ人女性の証言と、朴正煕の開発独裁の性質を知らなければならないというのが僕の見解である。
 金正日が亡くなり、半島情勢に注目が集まっている。そして、日本をはじめとした、中国ロシア米国などの周辺国は、半島が分断されたままのほうがバランスが取れて良いと考えている。
 はたして、北の内部から、もしくは南から、半島統一を実現しようとする者は出てくるのだろうか。中東の一連の政変のように、劇的な改革が起こるのか。そうなれば、韓国人批判が常態化した最近のネット世論も変わると思うのだけれど。
 
 まあ、そんなブログ記事をまとめる気力がないので、過去ログを読んでみた。「登戸ブルース」一連の記事は、個人的に楽しめた。そうそう、小説書こうとしてたんだよな、俺。
 
「登戸ブルース」記事一覧
 
 しかし、新たな小説の構想が練り上げられない現状で、僕が手っ取り早く小説らしきものを書くとするならば、安重根についてとなるだろう。昔、やる夫シリーズで書いたものを、戯曲化してみたいという思いは今もある。
 
やる夫が伊藤博文を暗殺したようです
 
 我ながら今読んでも会心の出来なのだが、演劇とするには、いささか分量が足りない。新たな要素を付加するとなれば、さらなる資料の読みこみをしなければならないだろう。

 と、偉そうなことを考えながら、この連休を過ごした。クリスマスというのは、もともとキリスト教は関係ない、ローマ時代からの文化である。それは、冬至を「太陽の誕生日」と祝福することから始まった。聖書原理主義者は「イエスの本当の誕生日は……」なんて戯言を主張するが、ナザレのイエスの本当の生年月日なんて兄弟ヤコブを指導者とする「原始キリスト教イスラエル教会」が滅んでしまった今、知る由もない。
 だから「太陽の誕生日」であるクリスマスは「性の六時間」にはうってつけではないか。そのための商売戦略が活発化するのは好ましいことではないか、とオンボロ自転車を乗り回しながら、ひとりきりのクリスマスを過ごす僕であった。