「旧約聖書」における民族宗教と一神教史観の混在 ―アダムとイヴのエピソードから
キリスト教徒ではない日本人が旧約聖書に興味を持つ理由は、次の二つに帰結するのではないだろうか。
(1)なぜ、数多くの民族宗教の中で、ユダヤ教だけが一神教なのか?
(2)なぜ、民族宗教にすぎないユダヤ教から、キリスト教やイスラム教という、世界宗教が派生したのか?
残念ながら、たいていの人が語る「旧約聖書」は、その冒頭に収録された「創世記」にすぎない。
前の記事「神はいつ天地を創造したか?」で語ったように「創世記」の多くの文章は、後世(といっても紀元前の話だが)の創作によるものだ。
さらにいえば「旧約聖書」の書物群の中で、もっとも後期に作られているのが「創世記」である。
しかし、その荒唐無稽な「創世記」の中にも「一神教史観」を知る手がかりはある。
それは、アダムとイヴが出てくる場面でもわかる。
創世記第三章で語られる、アダムとイヴの「楽園追放」のエピソードは日本人の多くが知っているだろう。
第四章での、二人の息子たちである、カインとアベルという兄弟のいさかいについても、わりと有名な物語である。
弟のアベルが神に愛されていることに嫉妬した兄のカインは、弟を殺す。
それを神に隠そうとしたカインは、エデンの東、ノド(さすらい)の地に追放される。
さて、ここからが重要である。
カインはその後、女と出会って、エノクという子を産む。
この女は、アダムとイヴの娘であるという描写はない。
つまり、アダムとイヴ以外にも人間はいたということになる。
アダムとイヴが楽園で戯れている間に、せっせと神は人類を創造していたのだろうか。
なお、ユダヤ人の系図はカインの末裔ではなくて、アダムが130歳のときに産んだセトの子孫となる。
このセトの母親がイヴであるとは直接的に記されていない。
信者からすれば、創世記第三章20節に「アダムは女をエバ(命)と名付けた。あの女がすべて命あるものの母となったからである」と記しているからには、セトもイヴ(エバ)の子供であると考えるのが妥当だと反論するだろう。
しかし、第五章で語られる系図には、妻の名は記されていない。
もちろん、930歳まで生きたというアダムの描写自体が現代人には不可解きわまりないことであり、セトの母親がイブかどうかというのは些細な問題だと考える人は多いだろう。
ただ、創世記の成立を考えるうえで、このような問題点が重要なのである。
種を明かすと、もともと「アダムとイヴ」というのは、人類最初の人間ではなくて、いわゆる「イスラエル十二部族」という民族神話にとっての「最初の人間」であったのだ。
ローマ神話における、ロールムスとレムスと同じである。この兄弟もカインやアベルと同じく、兄ロールムスが弟レムスを殺すことになる。
「創世記」がどれだけ史実に基づいているかは知る由もないが、おそらくは口承されてきた系図から、数々の他民族神話から影響されたエピソードがもりこまれ、民族神話としてまとまったのだろう。
おそらく、それらは「十二部族統一王朝」を築きあげたダビデ王の時代だと考えられる。
その後のエルサレム陥落とバビロン捕囚によって、ユダヤ人のエリートはバビロニアの都での捕囚生活をしいられる。
その中で、バビロン神話をはじめとした、数多くの神話にふれるにつれ、みずからの民族神話を補強することにした。
そこで、かつて「自分たちの民族の祖先」を語るだけの神話が「人類最初の人間」を語る神話へと飛躍してしまったわけである。
このような「民族宗教神話」と「一神教神話」の混在を、創世記では多く知ることができる。
おそらく「神が唯一のものである」としたのは、モーセが最初であっただろう。
しかし、モーセは「あなたの属する神は唯一である」とはしたものの、決して、多民族の神を否定することはなかった。
ユダヤ教徒が、他の宗教を排斥しないことからも明らかであろう。
それに対して、キリスト教徒が、他の宗教を排斥しようとしてまで、一神教史観を進めていったのはなぜか。
これはパウロの思想やローマ帝国の興亡まで語らなければならないだろうが、ここで言えることは、モーセの「あなたの属する神は唯一である」という教えから、人類史上きわめて稀な「一神教史観」というものが生まれたからである。
なぜ、モーセが「属する神を唯一である」としたのか。
なぜ、モーセが偶像崇拝を禁じ、神の名前を口にすることを許さなかったのか。
それは、モーセたちがエジプトを脱出してからの、惨めな放浪を知らなければならないだろう。