プロと素人の違いは「精度」にある

 
 船頭多くして船山に登る、という言葉がある。
 或いは、優れた二将は凡なる一将に劣る、という言葉もある。
 
 仕事に当てはめるならば、頭の良い自分勝手な人間よりも、クソ真面目な人間のほうが、上司には扱いやすい、ということだ。
 
 でも、何も考えずに命令に従うだけの人間は、上司の代役にはなりえない。
 リーダーが二人いるのは問題だが、リーダーが一人もいないのは大問題だ。
 
 仕事をするうえで、あえて何も考えまいと努力している人もいる。
 しかし、その真面目さは、僕には「サボり」に見える。
 「サボっていない」とアピールするだけの仕事は、害にはならないものの、プロのやるべきことではない。
 
 絵に例えれば、それは背景の山を描くのに一生懸命な人と同じだ。
 
 仕事というのは絵を描くのと良く似ている。
 そこには必ず視点というものがある。
 実際の風景には、それぞれの山には民家があり、木があり、鳥が飛んでいるだろう。
 だが、見せるべき絵では、それらの木の葉を一枚一枚描く必要はないのだ。
 
 プロと素人の違い。それは「精度」である。
 
 定規にたとえてみよう。
 手持ちの定規を見ていただければわかると思うが、それぞれ均等にミリ単位まで線がひかれている。
 
 しかし、人間の頭脳というのは、ミッチリと線で区切るようにはできていない。
 それぞれの空間を八分割ぐらいにしかすることしかできない。
 
 では、30センチをどう八分割するか?
 ここに、プロと素人の違いが出るのだ。
 
 仕事の要点になるのは、30センチのうち、せいぜい1センチぐらいなものだ。
 もし、それが18.7cm〜19.5cmだとする。
 となれば、どう分割していけばいいか?
 
 素人でもできるやり方は、15cmで等分し、その残りを7.5cmで等分し、それを3.75cmで等分し、以下略という方法である。
 しかし、仕事の要点というのは流動的なものである。
 客のニーズにあわせて、どんどん変化していくものだ。
 だから、プロはいかに早く「要点となる1cmを見つけるか」という技術にたけていなければならない。
 
 クソ真面目な人っていうのは、何でも等分して考えないと気がすまない人だが、それでは常に「要点の範囲を指示する上司」が必要となる。
 上司の命令に従いながらも、その要点を素早く見つける方法を身につけていなければならない。
 そうすれば、あなたも「等分しないと考えられない素人」相手に、どこが要点であるかを指示することができるようになる。
 
 僕のように趣味で小説を書いている人間は、それぞれの頭脳の限界というのを知ることができるという利点がある。
 僕の場合、「冴えた時間」というのは、一日三時間が限界である。
 だから、その「冴えた時間」をどのように配分するかを考えるのが重要なのだ。
 
 若いころは、体力に任せて働くだけでいいと感じるかもしれないが、体力というのは必ず衰える。
 それまでに、考える訓練をして、その限界をさとっていないと、いざ自分がリーダーになったときに、管理が行き届かなくなる。
 
 たしか、漫画「蒼天航路」の冒頭に、毛沢東が「あの鳥は害だ」と発言したことで、その鳥が駆逐され、おかげで生態系が狂い、ますます生産性が落ちた、という話がある。
 それは、一人のリーダーに国の運命をゆだねる危険性を表現しているといえるだろう。
 一人の視点には限界がある。
 毛沢東の失政は、それを後世に伝える教訓だといえるだろう。
 
 人々は「一つの絵」を求めている。
 できることならば、その絵がずっと変わらないことを願っている。
 しかし、万物は流転する。
 「一つの絵」では、決して人が満たされることはないのだ。
 
 我々は、決して「一つの絵」を描くだけで満足しないよう、努力しなければなるまい。
 その経験から、いかに「次の絵」の題材を選び、要点を見つけて、効率的に仕上げるようにしなければなるまい。
 それが仕事というものだと僕は思う。