僕は友達が少ない ダークネス(3)

 
 
初めから読む
 
 




 
     (3)
 
「な……!」
 さすがの理科も、この俺の告発には、鳩が豆鉄砲を食らったときのようにおどろいていた。さっきまで調子のいい言葉をならべていたのがウソのように、ブツブツとつぶやき始める。
「さすがの理科も、あのときはカーテンを閉めているし。……まさか先輩、理科のことが気になって、盗撮していたとかっ!」
「そんなことしねーよ」
 理科の根拠ゼロの推測を俺は冷静に否定する。
 そう、俺は見たくてその光景を目撃したわけではなかった。三時間目の英語IIがLL教室でやると聞いていたから、そこで待機していたのに、チャイムが鳴っても誰も来なかった。どうやら事前になって変更したらしいが、誰も俺に教えてくれなかったのだ。友達がいないことで俺が受けた不利益は、このように数えきれない。
 やりきれない気持ちのまま、俺は自分の教室へと急いでいた。その途中に、志熊理科のために新設された『理科室』はある。どうせ怪しげな実験をしているのだろうとその中を見てみると、まあ、そういうことをやっていたわけだ。
 俺はそれを見て興奮したわけでも発情したわけでもない。はっきりいって、つくづくあきれた。ほかの生徒がマジメに授業を受けている時間に、自分は特待生だからと自分専用の教室でオナニーに励んでいるのだ。どうしようもない変態であることを、あらためて思い知らされただけである。
「なあ、お前って、何かの病気なのか?」
「うわっ。ヘタレヤンキーにすごい哀れみの目で見られてる! さすがのM属性の理科でもそういうシチュエーションにはちょっと……」
 あいかわらず意味不明なことを言う理科。ここで涙目になって『もうお嫁に行けませんっ』とうつむきながらつぶやいたのならば、もしかすると俺の心の琴線に触れたかもしれないが、そういう純情さとは無縁であるらしい。
「まあ、お前の性癖は理解しているつもりだけど、たまには我慢することも知るべきだと思うんだ。何でもかんでも口にしたり、実行したりするんじゃなくてさ」
「でも、理科は誰かに迷惑をかけなければ、何をしてもかまわない、と教えられてきたのです。先輩のように、みんなの教室でオナニーするなら問題ですが、理科は自分専用の教室でやってるわけですし」
「だーかーらー、ふつうの人はそういうことを学校でやらないから! 迷惑以前の問題だって」
「そう言っても、先輩だって、小学生のときには好きなあの子の縦笛をペロペロしたりとかやってたんじゃないですか? そんなプリン頭をしながらペロペロとか、ぷぷぷ」
 勝手な妄想を押し付けて笑いだす理科を見て、俺の心に冷えた風が吹きすさぶ。そう、この後輩にはいかなる同情心も必要ないのだ。
「それで、どうでしたか? 理科のを見て、やっぱり先輩もムラムラしちゃったりとか……」
「思ったより、地味だった」
「へ?」
 理科の動きが止まる。
「いやさ、俺としては、かなり変態的なものを期待してたんだよ。お前、発明家なんだから、機械とか使ってると思ったんだけど」
 ちなみに、そのときの理科の行為は、いわゆる『擦り付けオナニー』というものだ。以前によく見たポニーテールと白衣という地味な格好で、右手でモバイル端末をにぎり、ときどきそれに目をやりながら、机の角にまたがって理科は腰を動かしていた。俺からはその表情は見えなかったが、声を出さないようにか左手の人差し指をくわえていたのが、理科なりの『迷惑をかけない』配慮であったのかもしれず、その点に関しては愛らしさを感じたものだったが。
「そりゃまあ、理科はそういう道具を持ってることは持ってるんですが」
「ファッキングマシーンとか、持ってないのか?」
「な、なんですか、それ?」
 理科は思わず後ずさりしたようだが、俺はかまわず続ける。
「外国のビデオでそういうのがあったんだよ。なんだか産業革命を思わせるような原始的な構造で、あのピストン運動を再現してるっていうか」
「ははーん、先輩、そういうの好きなんですね」
「ちがうよ、偶然見たんだよ、偶然!」
「でも、理科は処女ですからね。バージンブレイクのときのために、そういう楽しみはとっておいてるのですよ」
 ケロリとそんなことを言う理科。
「それはあくまでも、人間相手のことだろ?」
 しかし、変態理科相手に、ひるむ俺ではない。
「人間相手って?」
「お前のことだから、哺乳類どころか、爬虫類相手でも、そういうことはもう試しているのかと」
「どんだけヘンタイなんですか! 先輩の中の理科は」
「あれ? そんなこと言ってなかったっけ」
「そりゃまあ、キスはいろいろやってますけど、それは理科なりに実験に付き合ってくれた子たちへの愛情表現であって、それ以外の……その、ああいうことは、また別の話で」
 顔を赤らめてそんなことを言う理科。この場面だけを抜きだせば、俺の言動が常軌を逸していると思われるかもしれないが、志熊理科という女子は、みんなの前でエロゲのセリフを嬉々として朗読するような変態であるわけで、それに比べると俺の言っていることは、特におかしなものではないと思う。
「でも、お前のことだから、自作ロボ相手に、そういうことはすませるんじゃないのか。だいたい、モバイル端末で見ていたやつだって、前に見せてもらったような、ロボ同士の格闘とか、そんなものだろ?」
「そんなんじゃありません!」
 理科は大声で答える。今さら、その性癖を否定したところで、時すでに遅しなのだと思うのだが。
「……ていうか、先輩は地味だと言いますが、それならどういうのが好みなのですか? 教えてくださいよ、この変態プリンっ!」
「へ、変態プリンって、お前なぁ」
 俺はそう言いながらも、こういう話をすることに楽しさを感じる自分に気づいていた。
 そのことに理科の外見のかわいさは1%も関係ない。ようするに、俺は友達が少ないために、男子相手にこういうエロ話ができなくて、不満がたまっていたのだ。
 理科相手ならば、こんなことを話しても、俺には失うものはない。そして、理科は意外と口が堅くて、余計なことを夜空や星奈に話したりはしない、それなりに頼りになる後輩なのだ。だから、俺は口火を切る。
「やっぱ、M属性というからには、あの、口にいれるボールみたいなやつは必須じゃないかと思うんだが」
「オナニーで口枷って、どんだけですか!」
「でも、それぐらいしないと、尊厳を勝ち得ることはできないと思うぜ。変態オナニストとしての」
「そんな称号、理科は欲しくありません! だいたい、先輩は女の子の性欲を完全に誤解しています。そういうSMプレイの道具っていうのは、相手がいるから楽しむことができるんであって、ひとりでやってもみじめになるだけですから」
「……やったことあるのか」
 やはり、理科は只者ではないようだ。思えば、彼女の性欲についてのあくなき追求心というのも、天才少女のなせる業であるのかもしれない。そのような好奇心が発明家としての成功をもたらすのならば、その変態性を応援したほうが、彼女の将来のためには良いことであるかもしれない。
「あと、自動スパンキングマシーンだな」
「なんですか、それ?」
「ああ、これも外国のビデオであったんだけど、扇風機の羽根の部分をムチにかえて、それをお尻にあてて……」
「それ、ディープすぎますって! 先輩、もしかして、そういうプレイを見ないと興奮できない性癖になってしまったのですか?」
「ちがうよ、これは俺の趣味じゃないって」
 じつはそのビデオというのは、父さんの置き土産なのである。考古学者として世界中をめぐっている父さんが、俺たちを置いて旅立ったときに、もし困ったときはこの箱をあけろ、と俺に言い残したのだ。今の高校に編入して、最初の自己紹介に失敗し、友達ができないままの毎日にたえきれなくなった俺は、救いを求めてその箱を開いた。
 中身はポルノビデオだった。
 とりあえず、俺はそれを見てみたのだが、明らかに俺の趣味には合わない代物だった。ただ、俺の心を慰めてくれたのは事実だ。数奇なマシーンに立ち向かい、快楽を得ようと腰を振るグラマラスなブロンド女優のなかに、俺はまるで世界記録にいどむアスリートのようなチャレンジ精神を感じて、妙な感動をいだいたものである。
 そういうビデオに比べれば、理科のオナニーなんて恐ろしく地味である。理科はただの女子高生ではなく、すでに企業に認められている天才発明家なのだ。今の世の中、日本だけではビジネスが成り立たないというではないか。グローバルな技術開発競争に理科が立ち向かうためには、その外人女優に負けないようなチャレンジ精神を持たなければならない。だから、俺はこんなことを理科と話しているのである。よこしまな感情をいだいているわけではない。
「まあ、あのマシーンは正直やりすぎだと思うんだ」
「そりゃそうでしょうとも」
「スピードを調整しているとはいえ、扇風機と同じ原理なのだから、見ているだけで痛々しい。あまり実用的じゃないと思う」
「実用的じゃない、というと?」
「そこで俺なりに考えたんだよ。扇風機を使うのは回転が速すぎる。もっと間隔をあけたものを利用するべきだと。そこで思いついたのが……」
「思いついたのが?」
「あれだ、料亭なんかによくある、竹の筒で、水がたまるとカポーンっていうやつ」
「鹿威しでオナニーですかっ!」
 予想以上に激しい声で理科がツッコミをいれる。
「我ながらいいアイディアだと思うけどな。理科ならば、それをいかした発明ができるだろう」
「作れることは作れますけど……わざわざ鹿威しをオナニーで使うなんて発想、ヘンタイじゃなかったらできせんって」
「俺はそれぐらい理科が変態だと思ってたんだけどな」
 そう、俺の中での理科は、変態オリンピックで優勝するぐらいの可能性を秘めている逸材なのだ。黒髪ロングみたいな見せかけの清純少女を気取るのは、世界に羽ばたく理科にはふさわしくないはずだ。
「……わかりましたよ、先輩のお望みどおり、とびきり変態なオナニーをしてみせますよ」
 やがて、意を決したかのように、理科がつぶやいた。
「おい、まさか、ここでそんな大それたことをするつもりじゃないだろうな」
「だーかーらー、理科にだってそれぐらいの分別はありますよ。どうせ、先輩はそんなエロ話しかしてくれないんだから、理科室にこもって変態オナニーしてきますよ、全裸でっ!」
 そんなとんでもないことを言って、理科は真っ赤な顔で立ち上がり、あらあらしく扉を開ける。
「あ……幸村くん」
「……理科どの」
 しかし、そこには予期せぬ人物の姿があった。理科はそのまま部室を出て行く。残った人影は、俺を複雑なまなざしで見ていた。
「あにき……いまの話は」
 執事服に着替えた、女の子なのに俺の舎弟となっている後輩、楠幸村の表情は、まるで俺を軽蔑しているような冷たいものだった。
 
 
僕は友達が少ない ダークネス(4)