フリーRPG『Moon Whistle XP』感想

 
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フリーRPG『Moon Whistle XP』紹介
 
 以下、ネタバレ要素はできるだけ控えていますが、もしかすると、作品をプレイする上で楽しみを損なう要素が含まれているかもしれません。
 作品をプレイしようとする人への指針よりも、自分の感想を重視して書いています。ご了承ください。
 



 
 最初に、少しだけピーマンの話を。
 
 子供の舌は敏感である。だから、たいていの子はピーマンの苦味に耐えられない。
 しかし、大人になれば、ほとんどの人はピーマンの苦さから風味を感じられるようになる。成長に応じて、味覚が変化するからだ。
 それが、人間の身体の仕組みである。
 
 ある人は、子供の頃のピーマンの苦味を覚えている。だから、子供にピーマンを強制したりはしない。
 だが、ある人は、そんな記憶を忘れている。大人の自分が食べられるんだから、子供が残すのは甘えだと思い込む。
 
 そういう大人の押し付けは理不尽だ、と思う。
 でも、まわりを見ると「ピーマンを食べられる俺は子供より偉い!」という大人は結構いる。
 
 結局、大人に反論するだけの言語能力のない子供は、だまってピーマンを飲み込むしかないのだ。
 ある子は、泣きじゃくりながらピーマンを吐きだすだろう。
 だが、それでも「大人が間違っている」と思うことは許されない。たいていの子は「自分が間違ってる」と思う。
 
 なぜなら、大人はかつて子供だったが、子供はかつて大人ではないからだ。
 だから、残念なことに、子供は大人が自分たちの気持ちをわかってくれると期待してしまう。
 実際は、ほとんどの大人が、ピーマンが苦いという感覚を忘れてしまっているのだけれど。
 
 もちろん、ここでいうピーマンというのは「たとえ」の一つにすぎない。
 大人には耐えられても、子供には耐えられないものの一例である。
 
 僕は、『Moon Whistle』(ムーンホイッスル)というRPGが、ピーマンが苦手で泣いたという経験を思い出させるだけではなく、ピーマンの苦さやその拒否反応といった感覚そのものを呼び覚ます力があることに、最大の魅力があると考えている。
 だが、それが「ムンホイ」が愛されてきた一番の理由ではないだろう。
 
 
 「ムンホイXP」のRPGとしての特長をあげるならば、次のようになる。
 
(1)全24章による巧みなシナリオ構成
(2)本筋には関係ない「寄り道」の楽しさ
(3)軽快かつ親しみやすいゲームシステムの構築
(4)難しくはないが、やりごたえのあるゲームバランス
 
 (1)のシナリオ構成について。
 「ムンホイ」のストーリーには、数々の驚きがひそんでいる。
 前半で明らかになる、二つの街の関連性や、Xレンジャーの正体については、「伏線の張り方」の手本にしてもいいぐらい、納得できる展開であった。
 「ムンホイXP」では、さらに新要素を含めて、プレイヤを飽きさせない工夫が感じられる。
 例えば、ファンの二次創作を基にして作られた第14章とか。
 それは、二つの街を舞台にした一年間の物語を、全24章というシナリオ展開で描く、という明確なコンセプトがあったからこそ、表現できたことだろう。
 
 
 (2)の「寄り道」の楽しさについて。
 「ムンホイ」では、フィールドマップはなく、同じ二つの街を、何度も行き来することになる。
 RPGには不可欠であるはずの、新しい街にたどり着く、という興奮を「ムンホイ」では得ることはできない。
 しかし、同じ街を舞台にしているからこそ、時間の経過を描くことができる。
 街の人々の会話から、民家の置物に至るまで。そのテキストを読むことは、ゲーム空間を歩きまわる楽しさを実感させる魅力あるものだ。
(なお、僕の好きなキャラは、(1)こーいち君、(2)といち君、(3)いじる君である)
 また、取れそうで取れないところにカプセル(宝箱)を配置していたり、いつもの道からちょっと外れたところに隠れ場所があって、とっておきのアイテムをくれたりなど、ささやかな目印も見逃せないマップになっている。
 
 ただ、「寄り道」が充実しているために、欠点がある。
 プレイヤが「寄り道」をしてしまうために、ストーリーを見失ってしまうという危険性だ。
 ゲームでは、イベントが終わった「夕方」に寄り道をするように呼びかけているが、良い子は早く家に帰らなければならないはずである。だいたい、夕方のBGMは探索向けではない。
 だから、「Another Moon Whistle」に出てきたストーリー進行を教えてくれるオバサンのような存在がなかったのは残念である。
 二つの街を行き来するから、オバサンを配置することは難しい。それならば「仲間に相談する」というコマンドを作り、彼らに行くべき場所と進行中のイベントを説明させるべきではなかったか。
 
 あと、せっかく章立てしているのだから、それぞれの章は明確に区切り、セーブポイントを設けるべきだと感じた。
 個人的には、毎日二章ずつクリアするというプレイスタイルをオススメしたいのだが、章が区切られていないために、「夕方」以外にセーブをしてしまえば、しばらくたってプレイすると、ストーリーを見失ってしまう恐れがある。
 
 「寄り道」が充実しているからこそ、上記の二つの欠点は残念であった。
 
 
 (3)のゲームシステムについて。
 これは、他のRPGツクールXP作品をプレイしないと、真の魅力がわからないかもしれない。
 オリジナル戦闘という見栄えを重視するよりも、ストレスがたまらない軽快な動作性という細かな配慮が徹底されたシステム作りがなされているのだ。
 また、一見すれば、RPGツクールのシステムを流用しているだけに感じる人もいるかもしれないが、そこには作者が理想するRPGを実現しようとする信念が感じられるものである。
 それぞれのアイテムにドット絵が用意されていたり、親しみやすいゲームデザインとなっているのは、「遊びやすいゲームシステム作り」を目指した結果であろう。
 
 
 (4)のゲームバランスについて。
 「ムンホイ」シリーズは、一貫して「ランダムエンカウント」を採用している。それは、反射神経を必要としないゲームだからこそRPGは愛されてきたはずだという、作者のゲーム哲学が反映されていると思われる。
 「ムンホイXP」は、どこでもセーブが可能である。もし、それで「シンボルエンカウント」方式にすれば、セーブ&ロードを多用して、その場しのぎのプレイングに徹する人が出てくるだろう。
 
 「どこでもセーブ」か「シンボルエンカウント」かは、それぞれ利点と欠点がある、RPGの究極の選択だといっていい。
 そのどちらも内包したRPGは、決してプレイヤに親切なものではない。
 
 ともあれ、「ムンホイXP」の序盤は、あまりにもやさしい。MP回復ポイントは至るところに用意されているからだ。
 しかし、季節を変わると、グッと難しくなる。そのために、プレイヤは新たな買い物をしたり、街の散策をして強いアイテムを探そうとするだろう。
 ゲームバランスが練られているからこそ、クリアへの最短距離を目指すのではなく、「寄り道」の楽しさを気づかせることができているのだ。
 
 
 このように「ムンホイXP」では、作者の理想とするRPG像が見事に実現できている。
 ゆえに、改めてRPGの魅力に気づくプレイヤが出てくるはずだ。
 では、なぜ、ここまで丁寧に作られているのか、という理由だが、それは「ムンホイ」でどうしても伝えたいメッセージがあったからではないかと考える
 
 
 「ムンホイXP」は、イジメという問題に真正面から切りこんだ作品である。果敢にも、無謀にも。
 
 信じられないことだが、「いじめられたヤツが悪い」という風潮が、この国にはある。
 それは、盗まれた人が悪い、殺された人が悪い、と同じことだ。人類の歴史は、彼らをいかにして裁く社会を形成するか努められてきた。
 だから、「いじめは仕方ない」と言うのは、国際的に見れば異常なのであって、そうわりきることに後ろめたさを感じなければならない。人種差別と同じように、偏見を持っていたとしても、公言することは絶対に許されないものだ。
 ところが、イジメに関しては、びっくりするほど多くの人が「仕方ない」と当然のように思っている。そして、その風潮は、ますます強くなっていると感じる。
 
 いじめられた者の痛みを知れば、イジメがいかに害悪をもたらすかわかるはずではないか、と思うのだが、そのような弱者のメッセージは「自分には関係ない」と無視されるのが現状である。
 
 このような「イジメ」という問題をテーマにしていることが「ムンホイXP」の優れた娯楽性を損なっているのは事実だろう。「なかったほうがいいのでは?」と思っている人もいるかもしれない。
 
 だが、イジメがあるからこそ、子供たちは「正義の味方」を望んでいるのだ。
 正義の味方が、政治家の汚職を暴いたり、尊大な会社社長を土下座させたりしても、喜ぶ子供たちはいない。もっと身近な自分のまわりにある「イジメ」という問題を解決してほしいという思いが、正義の味方を求めるのだ。
 子供たちの視点で描いているからこそ、「ムンホイ」はイジメという問題を避けてはならなかったのだ。
 
 また、この「伝わりにくい真摯なメッセージ」を含めているからこそ、多くの人にプレイしてもらうべく、ゲームシステムやバランスなど、良質のRPGとしての工夫がなされたのではないかと考えている。
 「寄り道」が楽しいのは、本編がしっかりとしているからである。「伏線」の回収が見事なのは、本編の道筋が定まっているからである。
 
 テーマが困難であるからこそ、娯楽性を失う恐れがあるからこそ、ゲームの面白さを損なう要素に細心の注意が払われている。その丁寧さこそが、「ムンホイXP」を良質なRPGとさせた最大の理由である。
 
 ただ、納得できなかったのは「改心した」という演出だ。
 とにかく、この「改心した」が、作品中では腐るほど出てくる。僕からすれば「改心」よりも「気づき」という表現のほうがいいと思う。
 「改心」というのは外の力による強制的な印象を受けるが、「気づき」というのは内なる力に働きかけたというイメージがある。
 だから、僕は「改心した」という表現を、脳内で「気づかされた」に置き換えてプレイしていた。
 そうすれば、何度「改心し」ても、立場を改めることができないキャラについて、もっとプレイヤは思い入れを持つことができたのではないだろうか。
 
 ただし、この「改心した」については、「ムンホイXP」の前に作られた「Another Moon Whistle」よりも突き詰められたものではないと感じた。
 「Another Moon Whistle」は、犯罪に走る少年の心境を、執拗なまでに描写していて、それが痛々しいほどであったのだけれど、「ムンホイXP」はそこまで核心にせまろうとはしない。
 そこに、僕は作者の迷いを感じる。
 その結果、「ムンホイXP」は、「Another Moon Whistle」に比べると、踏み込みが甘くなっている。
 
 この「ムンホイXP」の「ためらい」を僕は評価したいと思う。作者がメッセージ性を強めるより、それぞれの登場人物の未来のことを考えて、一歩ひいているのだ。
 ゆえに、この作品の真の主人公は、しかるべき場所にたどり着く。それは、ハッピーエンドからは程遠いけれど、必死の努力で何とかたどり着いたものだし、その試練を追体験した僕は、そのエンディングで良かった、と思った。
 
 これら、本編ではためらわれた要素は、サブイベントという形で出てくる。
 子供好きな青年を「バケモノ」呼ばわりする主婦や、「じばくこうげき」を覚えてるイベントなどのメッセージは強烈だ。
 また、子供の世界の守り手となったために、社会たちからノケモノにされた大人が、この作品では数多く出てくる。
 プレイヤーは彼らのメッセージを見るだけでいいと思う。幼稚園児ぜのんのように、それを受け止めるだけでいい。そうすれば、いつか、自分の周囲でまかり通っている悪弊に疑問を感じることができるだろう。
 
 イジメはその集団の維持に欠かせないものではない。ガス抜き、だなんて口実はペテンにすぎない。それは、傷つけられた者の痛みを知らないから言えることで、この日本でイジメが蔓延しているおかげで、どれだけの才能を失ったか考えてみれば、もっと真剣に考えなければならないことだと思う。
 いじめられてドロップアウトした者が、外の社会で成功すれば、手のひらを返したように賞賛する。その繰り返しは、もうやめようではないか。
 
 
 フリーゲームをまともにプレイしたのは久々である。「超激辛ゲームレビュー」を見ると、僕の知らないゲームばかりだ。
 それらに比べて「ムンホイXP」が優れているゲームであると断言することは、僕にはできない。
 
 ただ、「ムンホイ」という作品は、やはり唯一無二のゲームであって、そこでプレイして得られる感情は、他作品では絶対に味わえないと思う。
 
 幼少時代の感覚を呼び覚まさせるようなゲームデザインに成功したのは、それだけ幼少時代の痛みを作者が抱えているからではある。
 そのことを、プレイヤは深く考える義務はどこにもない。忘れかけていたRPGの本質的な面白さをぞんぶんに堪能してほしいものだ。
 
 ただ、幼稚園児ぜのんのように、「ムンホイ」の人々の言葉に耳を傾けてほしいと思う。自分を正当化するために、それを見ないふりするのではなく。
 
 
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