登戸ブルース(19) ―僕は料理ができない

 
 有意義とはいえない面接から帰宅する。炊飯器を空けると中身はカラ。さすが先輩、二合ぐらいは残っていたはずなのに、すっかりたいらげてしまったようだ。
 
 それでは、とパスタを作ることにする。先輩は長らくパスタを主食に生きてきただけあり、それを調理するには申し分ない環境が整えられているのだ。パスタ鍋とも呼ばれる寸胴鍋があるだけではなく、ガスの湯沸かし器も設置されている。コンロは二口で、パスタをゆでながら、ソースを作ることだってできる。
 
 僕は、ドボドボと鍋にお湯をいれながら、てきとーにパスタを入れていく。そのとき、
 
「ちょっと! お湯を沸かす前に、入れるなよ!」
 
 いつになくハイテンションな様子で先輩が駆け寄ってくるではないか。
 
 僕は不思議そうな目で、彼を見る。
 
「だって、湯を入れている間、ヒマじゃないですか」
「いや、先にパスタいれたら、かたまったりして、うまくできないんだよ」
「だいじょうぶですよ。ちゃんとかきまぜますから」
 
 まったく、と溜息をつく先輩を無視して、半分ぐらいたまったお湯をとめて、コンロに鍋を置く。
 
「おい! それ、お湯が少なくないか?」
「こんなもんでいいんじゃないですか? 待つの面倒ですし」
「ああ、もう!」
 
 どうやら、ミスター・パスタの異名を持つ先輩にとって、僕の作り方は、あまりにも許せないものであったらしい。
 
 僕にもその自覚はある。だから、僕は厄介になっているとはいえ、先輩に一度も手料理を用意するという殊勝なことをしていないのである。作ってる自分がマズいと思うものを、他人に食べさせるほど、僕は無神経ではない。
 
 さて、すでにパスタの入った鍋の中が湧いてきたようだ。僕は本を読みながら、てきとーにかきまぜる。いつも、コンロに仕掛けてから気づくのだが、ちゃんと時間をはかっておけば良かったと思う。まあ、最近はパスタに目覚めたので、食べられるものには仕上がると信じることにする。
 
 しばらくして、パスタにかけるソースを作るのを忘れることに気づいた。棚の中には、レトルトパックの和風きのこソースがあったので、それを使うことにする。裏を見ると、3〜5分、沸騰したお湯の中に入れろ、とあるので、そのようにする。
 
 赤毛のアンの主人公、アン・シャーリーは料理の苦手な女の子だった。彼女はその豊かな想像力で、まわりを賑やかにさせていたが、その想像力が料理には通用しないからだ。レシピを遵守する健気さこそが、おいしい料理を作る秘訣である。ぼんやりと夢想事をしたり、不安になって調味料を入れすぎたりすると、料理というものは失敗してしまうのだ。
 
 それにしても、レシピの「適量」の無責任さはないよなあ、と思いながら、そろそろ茹であがった気がするので、火をとめる。ザルにあげて、どんぶりに持って、レトルトのソースをかけるとできあがりである。食べてみると、悪くない出来だったので、僕は満足する。
 
 ところが、先輩からすれば、この一連の僕の作業には、いろいろと鬱憤がたまるところがあったようで「ちょっと買い出しに行ってくる」と言い残し、スーパーでいろいろ野菜を買ってきた。
 
「これから、カレーを作る」
 
 午後9時のことである。ご飯を食べ終えて満足しているときに、先輩は、明日以降の食事のために、カレーを仕込むというのである。この感覚は僕にはわからないが、とても喜ばしいことであったので、拍手をする。
 
 先輩のカレーは本格的である。ガラムマサラは買わなかったよ、というぐらい本格的である。鶏肉とむきえびとホタテの入ったゼイタクな一品である。もちろん、タマネギ、じゃがいも、ニンジンの野菜も含まれている。
 
 そして、先輩は「ローリエ」という謎の葉っぱを取り出した。月桂樹の葉らしい。これを煮込みに使えば、臭みがとれるらしい。僕は「ほぅ」とか「なるほど」とか、相槌を打つ。
 
 このとき、僕は手伝うべきかどうかという選択肢に立たされていた。僕は料理ができないとはいえ、じゃがいもの皮むきぐらいはできるはずだ。しかし、キッチンに立つスペースは一人分しかないし、なんだか、そこは聖域のような気がした。僕が加わろうとすると、先輩は猫のごとく「シャー」と叫び声をあげるかもしれない。
 
 こうして、一時間近くかけて、カレーは完成した。休日ならまだしも、仕事のある平日に作るとは、やはり、この先輩は、ただ者ではなかったのだ。さっそく、僕も味見させてもらう。辛さに顔をしかめたのも一瞬、まろやかなコクが口元に広がっていく。これが、ローリエのなせる業なのだろうか。
 
 その後、先輩はカレーうどんという形でさっそく食べていた。みずからも満足できる上々の出来とのことだ。僕もこれからカレー三昧の日々が過ごせるということで、歓迎すべきことだ。まさに、僕の料理の下手さが、このカレーをもたらしたといっていいだろう。