登戸ブルース(18) ―背広万能説と百貨店の面接

 
 「バッチリですよ」「自信アリですよ」と言いながら、面接に落ち続ける僕を見て哀れんでくれたのか、先輩が最強アイテムを用意してくれた。
 
 それは背広である。
 
 実は僕、スーツを着て働いたことがない男である。前の職場でもノーネクタイだった。しかし、背広が人に与える影響力は絶大である。僕はそのことを「ときめきメモリアル3」というゲームで学んだ。
 

 
 「ときメモ3」は、恋愛シミュレーションゲーム、俗にいう「ギャルゲー」だが、女の子とデートをするときに服を着なければならない。その印象が悪ければ、好感度が下がるばかりか「一緒に歩きたくない」と帰られてしまうのである。
 
 ファッションセンスに自信のない僕は、その組み合わせに難渋した。たまりかねて、背広で行くことにした。舞台は高校で、主人公も女の子も高校生である。スーツ姿のデートなんてありえない。そう思っていたのだが、女の子の瞳は何とときめいているではないか。
 
 そう、「ときメモ3」の必勝法は、背広を着ていくことである。夏に海に行くときもスーツ。冬にスキーに行くときもスーツ。これで、女の子は満足なのである。ただし、同じ服装だと飽きてくるので、季節に応じて、もう一種類の組み合わせを用意しておく必要がある。いずれにせよ、背広はシーズン通して喜ばれる、重宝アイテムなのだ。これを「ときメモ3における背広万能説」と呼ぶ。
 
 と、さっそく、今日は、先輩のお下がりの背広に身を包み、面接に向かった。今回の面接は、百貨店の書店販売員である。
 
 僕は昔、コンビニ店長をやってきたという経歴があるので、接客業には自信がある。そして、文学に対してもそこそこの知識がある。そんな僕に書店で働くのは、まさにうってつけであろう。さらに、背広である。落とされる理由がどこにもないではないか。
 
 バックルームに通されて待っていたのは、40〜50代の白髪交じりの男性。店長さんらしい。僕は安堵する。自分より若い店長相手だと、働きづらいと感じているからだ。僕自身がコンビニ店長だったとき、ついつい年上の人には命令しづらかったのと同じように。
 
 それにしても、百貨店の中にあるだけあって、個人情報の管理が徹底していることに驚いた。まず、履歴書はいったん返してくれる。ただし、それでは選考できないから、本人の許可を得て、一枚コピーする。そのコピーは二週間後に処分する。もし、採用と決まれば、再び履歴書を持参することになるという。
 
 これは、個人情報保護法案という法律だけではなく、ダイレクトメールの宛先に利用されるという疑いを持たれないための企業戦略だろう。店長さんは、そんなことを事細かに説明する。
 
 給与についてもそうだ。そもそも、労基法では「銀行振り込みは認められていない」らしい。ゆえに、なぜ、銀行振込なのかも、雇用側は説明しなければならないということだ。なるほど、勉強になる、とうなずきながらも、こういうキッチリとした人の下で働くことに、僕は著しい不安を感じてしまった。僕のようなだらしない性格の人間は、この職場には向いていないのではないか。
 
 もちろん、面接のときは、そんなことをおくびに出さず「はいっ」「はいっ」と気前のいい返事をしていたのだけれど、僕という人間は、労基法で定められた枠内で働くよりも、不平不満を垂れながら働くほうが向いているのかもしれない、と律儀な店長さんの説明を聞きながら考えた今日の僕である。