よこぶん狂詩曲Vol.1 (補足)

 
 先日の記事「よこぶん狂詩曲Vol.1」は、全編にわたって書き直ししている。なぜなら、データ消失があったからだ。ほぼ書き終えて、データを保存しようとしたとき、電源が落ちてしまったのである。その理由は乾燥機を回しながら、パンを焼いていたせいだろう。まったくもって愚かである。
 
 最近の僕は「MKEditor」というテキストエディタを使っていた。フリーソフトだが、必要な機能はほとんど備えていて、ソースを書くだけではなく、ブログ記事を書くのにも愛用していた。
 
 この「MKEditor」には、バックアップ機能がある。ところが、先輩のお古のパソコンを使うようになって、うっかりその設定を忘れてしまっていたのだ。ゆえに、三時間ぐらいかけて書いた「よこぶん狂詩曲Vol.1」は水泡に帰したのである。
 
 それから書き直してみたのだが、三つの要素を書き忘れているのを、公開したあとで気づいた。蛇足だが、この記事で追加しておく。
 
(1)村田沙耶香さんの礼儀正しい性格
 
 村田作品の二作目「マウス」は、臆病な子供心を思い出すことができる小説だ。クラスの中で、いじめられないように、必死でふるまう女の子の姿に「夏休みのある小学時代に帰りたい」とだけ思っている人も、子供時代に受けた傷を思い出すことができるのではないかと思う。
 以前、「Moon Whistle」というフリーRPGについて語ったときに「子供時代の心がえぐられる経験を覚えている人の苦しみ」というようなことを書いた。ほとんどの人が忘れてしまっている少年時代の感覚を忘れないことは、物語の創作者としては欠かせぬ要素だが、生きる上では辛いことばかりなのだ。もし、それを他人に話しても、理解されることはない。多くの人の少年時代は「ノスタルジア」という風景にゆがめられている。
 そのような創作者は、子供の残酷さを描きつつも、職場などの他者との関わりで、それを見せることはほとんどない。だから、彼らはひっそりと孤独に文章を書く。
 村田さんが魅力的な女性だと感じた裏側には、彼女が子供時代から抱えている繊細な「マウス」のような自分を守るべくふるまっていると僕は感じた。
 
(2)小説を書くのに必要なもの
 
 合評・講評会が終わってからの雑談で、何やら「ゲテモノ食い」のことが話題にのぼっていた。村田作品の「街を食べる」の影響のせいだろう。
 僕もすばやくその話題にわりこみ「イナゴは僕の故郷では食べませんでしたね」「長野では食べるみたいね」「長野県民って何でも食べるから」という会話に加わっていた。
 そのとき、ふと、とある書店で展示されていた「昆虫料理研究」のことを思い出して、僕はこう口にした。
「そうそう、吉祥寺かどこかで、虫を食べる集まりみたいなものがあるみたいですよ」
 あとで調べてみると、吉祥寺ではなく阿佐ヶ谷で行われていることが判明した。興味がある人は、下のサイトをご覧いただきたい。誰でも2000円で参加できるそうだ。
 
昆虫食のひるべとよるべ
 
 と、そんなことを切り出した僕に、宮原先生が「ふぉっふぉっふぉ」と話しかけてきた。
 
「いやー、そういう集まりに参加しないと小説が書けないんだったら、人を殺さないと殺人描写ができないことになりますよ」
 
 途中から会話に加わったために、この宮原先生の発言の意図を勘違いしているかもしれないが、これは芥川龍之介の「地獄変」のような芸術至上主義への戒めだったと思う。
 「虫を食べる」ことで、小説が書けるならいい。しかし、そのように小説を書いている人は、より過激なものを求めるようになる。小説の題材のためならば、と自分を正当化して犯罪行為に走るかもしれない。
 宮原先生は日本文壇の中で、多くの人が小説を書き、筆を折る姿を見届けてきたのだろう。だから、僕の発言に、その危険さをいちはやく感じて、このように指摘されたのではないかと思う。
 
 そういえば、藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」にも、このような芸術論が語られていた。
 主人公の魔美は、小遣い稼ぎに父の絵のモデルをしている。その父は、高校の美術教師で生計を得ているが、絵はさっぱり売れず、たまに個展をしても客はまばら。画家とよべるほどの名声がない、絵描きなのである。
 そんな父に、魔美はたずねる。
「もし、父さんが、ジャンヌ・ダルクの処刑を描こうとするときは、モデルの人を火の中に入れようとか考える?」
 父はその言葉に鋭く応じる。
「なにをバカなことを! モデルはただの素材にすぎん。そこから想像力を働かせるのが、画家の仕事じゃないか!」
 
 小説を書くのも同じことだ。小説の題材のために、犯罪行為に手を染めるということは、想像力の放棄にすぎない。
 宮原先生は、長く小説家として生きてきたからこそ、あのような戒めを僕らに与えたのではないかと思う。
 
(3)満たされなさと報われなさ
 
 合評・講評会のあとの飲み会でも、宮原さんは村田作品を絶賛しておられた。さらに進化する村田ワールドが楽しみで仕方ないという様子である。
「才能があるのに、文学賞を取ったあとで、パッとしない人も多いですからね」
「そうですよね。たいていの作家の代表作って、処女作ですし」と先輩が相槌を打つ。
 僕自身、ネット上で小説を書く人と交流してきたことがあるが、そのほとんどの人が「文学賞を取る」ことを目的として小説を書いていることに違和感を抱いたものだ。
 作家と漫画家は違う。漫画家だと、編集者から次々と企画の提案をされるが、作家はそうではない。そして、漫画家は編集者の指摘を受けながら、より多くの人に親しまれる作品を描けるよう育成されるが、小説家にはそんなことはない。それは、漫画界と文学界の経済規模の違いのせいである。いわば「作家の卵」なんて消耗品であり、その後の育成にヒマを割くほどの余裕はないのだ。だから、みずからの力で、新たな分野を切り開かなければならないのだ。
 村田さんは、もう新進気鋭の作家と呼ばれるようなキャリアではない。少なくない人が、ここで小説を書くのをやめてしまう。時給換算するならば、小説を書くという作業は、それほどコストパフォーマンスは良くない。
 しかし、村田さんは、今でも書き続けている。それは、誰かに求められているのではないだろう。おそらく、書かないと満たされないものがあるからだ。
 そこが、宮原先生が村田さんを褒めているところである。 
そして、そんな村田作品に引き込まれてつつあることを、僕が舌足らずに話すと、宮原先生は笑いながら、こうおっしゃる。
「そうですね、あなたにも小説を書く素質があるのですよ」
 むむ、と僕は困った顔をしてしまう。横浜文学学校に入校したのにもかかわらず、僕は依然として小説として書くべきものがないからである。
 ただ、僕の心の奥底では、いろんな物語がうずめいているのは事実で、もしかすると、トースターがポンッとパンを焼き上げるように、僕の中で何かが見つかるのかもしれない。
 でも、しばらくは、読む側に徹してみようと思っている。小説を書くことが報われないことは知っている。そして、どれだけ賞賛されても、他人の意見で心が満たされないことを知っている。それでも、小説を書く覚悟があるのか。そんなことを考えながら。