登戸ブルース(14) −銭湯のタオルの値段

 
 昨日の夕食はステーキだった。国産肉の柔らかさがおいしい。
 食後のデザートは、いもケーキ。プリンの上にポテトのパウンドケーキがのったものだ。
 そして、僕はコーヒー豆を挽く。先輩宅には、豆挽き器とフィルターがあったので、それを使って、コーヒーを淹(い)れているのだ。
 
 と、こうして並べてみると、なんだか、満たされた家庭的食卓風景である。
 しかし、世の中には言わなければならないことがある。
 
「あの、先輩」
「なに?」
「昨日の面接ですが、不採用でした……」
「そ、そう」
 
 実は今回の面接、かなり自信あったので「今日には仕事先見つかりますよ」と厄介になっている先輩に話したのだが、結果はこれである。みずからの軽率さを恥じるほかない。
 僕の就職祝いになるはずのステーキは、ただの豪華な夕食になってしまったのだ。
 
 相変わらず世の中は甘くないなあ、と沈んだ気持ちをまぎらわせるべく、今日もまた、銭湯に向かう。
 台風が近づいていて雨が降っているが、風はそれほど強くはない。僕は銭湯の大浴槽につかり、まどろむ自分を想像しながら、足を進める。
 
 僕の行っている銭湯は「生田温泉」といって、津久井道府中街道の交差点の近くにある。数メートルの大きな煙突、和風の家づくり。でも、それほど個性的なものがあるわけではない。
 
 営業時間は15時〜23時。入浴料は450円。これは川崎市の条例で定められている。サウナは別料金で300円。これは条例とは関係ないと思う。10枚つづりだと4200円。すごく中途半端な値段である。その価格設定が示すように、あまり営業努力というのが感じられない銭湯である。
 
 傘と靴をロッカーに起き、入り口で何の声もかけてくれないおっちゃんに、500円玉を黙って渡すと、50円返してくれる。手前が女湯で、奥が男湯だ。暖簾がどちらも青色なのがまぎらわしい。まあ、女湯に入っても、乙女が「きゃあ」と叫ぶようなことはない。そんな若い女性が、銭湯に来るなんてことは、この21世紀ではありえない話なのだ。
 
 奥の男湯に入り、さっそく着替えてみるが、忘れ物をしているのに気づいた。タオルを忘れてしまったのだ。こんなこと、銭湯に来るようになって始めてである。
 
 さすがにタオルなしでは入れない。買うしかあるまい、と服を着直して、外に出る。男湯と女湯の入り口の前には、これ見よがしに、浴槽セットが置いてある。まあ、タオルなんて100円ぐらいだろうと、白を選んで、カウンターのおっちゃんに無言で差し出す。
 
「250円です」
「はい?」
「250円」
 
 おいっ! と叫びそうになる。ちょっと待て。タオル一枚が250円って、このデフレのご時世にコンビニでもありえないぼったくりじゃないか!
 
 と、いいつつも、他に選択肢はない。まさか、これで嫌だといって、家に帰るわけにもいかない。しぶしぶ僕は250円を差し出す。
 
「他にいろんな色あるけど、それでいい?」
「結構です」
 
 条例で定められた入浴料金450円は仕方ないにしろ、タオル250円は許せない。それよりも、もっと客を呼びこむ努力をするべきじゃないのか。だいたい、いらっしゃいませ、ありがとうございました、ぐらいは言ってほしい。
 
 それでも、僕は銭湯にたっぷり一時間はつかる。とにかく、ジタバタしてもしょうがないのだ。僕はゆっくりと浴槽に身を沈め、すべてを考えることをやめる。
 
 風呂から出れば、また無職の日々が続くのだ。せめて、銭湯の中では、心おだやかに過ごしたい。