政治家・中川昭一の死

 
 前衆議院議員で、将来の総理候補ともいわれた中川昭一が死んだ。
 安部晋三麻生太郎の盟友として知られた彼は、また、酒豪としても有名だった。政治生命の致命傷となった、G7会議後のもうろう会見以外にも、多くの逸話がある。
 
 酒乱の政治家として、真っ先に思い浮かぶのは、明治の元老、黒田清隆
 第二代総理大臣である彼は、生前から「妻殺し」の噂があった。
 
 明治維新政府の薩摩閥の大物である黒田清隆が、酒に酔って妻を斬殺したエピソードを、きわめて事実に近いものとして取り上げているのが、司馬遼太郎歴史小説翔ぶが如く」である。
 
 西郷隆盛大久保利通を中心にして、征韓論から西南戦争までを描く歴史小説翔ぶが如く」では、初代大警視(現在の警視総監)である川路利良が主要人物の一人として出てくる。
 その川路は、黒田清隆の妻の死体を検証し「事件性はない」とした。
 
 司馬遼太郎は「作家の直感」として、黒田清隆の妻の死を、病死と信じることができなかったのだろう。
 決して、司馬遼太郎陰謀論者ではない。例えば、幕末の孝明天皇崩御については、大久保と岩倉具視の暗殺説を「ありえない」と切り捨てている。
 
 黒田清隆は人情家として知られる。戊辰戦争で、庄内藩の有力者や、五稜郭で戦った榎本武揚を、熱心に助命したのが黒田清隆であった。
 その一方で、北海道開拓使払い下げ事件など、民主的とはいえない手段をとる政治家だった。第二代総理大臣として、彼が主張した「超然主義」は有名である。
 
 このように、酒乱の政治家は、昔からいた。
 個人的には、そのような個人の資質よりも、政治家としての資質を見たほうが、国益につながるのではないかと思うのだが、中川昭一の酒癖は多くの人の眉をひそませていた。
 
 それにも関わらず、小泉内閣以降、重要ポストを歴任したのは、自民党きっての政策通であったからだ。国会答弁をノーカットでご覧になった方ならば、彼の政治家としての力量をご存じだろう。
 そんな彼が、今夏の衆院選挙で敗れたのは、彼の選挙戦略が誤ってからいたからだろう。
 彼は北海道の農家に「民主政権だと農業がダメになる」と主張した。しかし、それは麻生政権の「民主政権の不明確な財源に頼った政策では日本がダメになる」という主張と同じく、それは国民の耳に届かなかった。
 
 ニコニコ動画では、麻生太郎や、中川昭一与謝野馨の人気がすこぶる高い。それは、国会中継をもとにした動画が好評を得ているからだ。
 メディアで報じられる麻生内閣は失態を繰り返しているように見えるが、ニコニコ動画国会中継では民主党麻生内閣がバッサリ切り捨てている。動画編集で、視聴者に与えるイメージなんて簡単に作れることの証明だろう。
 
 しかし、中には、ノーカットの中継をそのままアップロードする者がいる。コメントをオフにして、中立的な立場で見ても、麻生内閣が実力者ぞろいであり、民主党の答弁は時間引き延ばしにすぎないことがわかる。
 麻生内閣の知性の無さを批判する人は、国会中継をまともに見ていないことの証明であったと思う。
 
 そんな麻生内閣の経済政策を批判する者は多かった。
 
民主党よ、経済政策の基本に戻れ - 早稲田大学若田部教授
 
 上記エントリでの主張は次の通り。
 
・経済政策には三つの目的がある。
・(1)不況の克服(2)経済成長の維持(3)所得再分配
・自民の経済政策は(2)に偏ったものだった。ゆえに選挙で敗れた
・民主政権は、これら三つの目的を実現すべきである。
 
 ただし、先行きの見えない状況が続くと、富裕層は貯蓄に回り、経済が停滞する。
 企業の雇用を促進するためにも、経済成長の維持を守るべきではなかったか。
 
 税収の大幅減という現状に、出費を減らすことに懸命な民主政権が、とても対応できるとは思えない。
 もちろん、これらは、麻生政権や中川昭一が選挙中に言い続けてきたことであるので、今さら僕が語るまでもない。
 
 中川昭一は自殺した父の後を追って政治家となった。農水族だと思われていた彼だが、政調会長として、その政策通ぶりを発揮し、自民党内でも認められた。
 酒癖のひどさに、ネットでは中川(酒)と呼ばれていたが、同じ中川(女)こと中川秀直よりも、信念のある骨太な政治家として人気は高かった。
 
 衆院選の落選は、父以降の地盤を守ってきた中川昭一にとって、みずからの存在意義をも喪失するような事件だったのだろう。
 しかし、与謝野馨だって、政治家としてのキャリアが絶頂だったときに、選挙で敗北を喫している。小泉純一郎は「与謝野さんが選挙に受かっていれば、自民党総裁、そして総理大臣は、私ではなく、与謝野さんだったのかもしれない」と語る。
 それでも、与謝野馨は政治家として復帰し、重職を努めた。
 泥酔会見という傷があろうとも、マスコミなどに出演し、民主政策を批判できるほどの実力も知名度もあったはずだ。
 
 彼をよく知る者は、酒に溺れるのは心が弱いから、と語る。
 しかし、我々の知る中川昭一は、政治家としては常に力強さがあった。
 そんな彼の答弁が、もう聞けなくなったことが、悲しい。