登戸ブルース(11) ―きつねとたぬきと鍵屋十五代宗主

 
 花火が打ち上がったときのかけ声である「たまや〜」
 その「玉屋」は江戸時代の花火業者の一つである。
 今も残る「隅田川花火大会」にて、「鍵屋」とともに、江戸の街を盛り上げた「玉屋」だが、わずか一代で家業が断絶となった。
 それは「玉屋」が原因で火事を起こしたからである。江戸時代、失火には重い罰が下された。
 一世を風靡した「玉屋」は、この失火により財産没収の上、追放処分を受けたのだ。
 
 一方の「鍵屋」は、現在でも続いている。
 もともと「玉屋」は、七代目のときに番頭が暖簾分けをしたものである。
 今の玉屋宗主は十五代目であり、なんと女性である。
 
 といっても、この宗主・天野安喜子の経歴がすごい。
 

1970年 東京都江戸川区 鍵屋14代目の次女として誕生
1986年 柔道福岡国際女子選手権大会、銅メダル
1990年 火薬類取扱保安責任者免許取得
1993年 花火製造のため2年間の修行
1994年 火薬類製造保安責任者免許取得
2000年 宗家花火鍵屋女性初の15代目を襲名
2001年 国際柔道連盟審判員資格取得
2008年 柔道整復師免許取得
2008年 北京オリンピック柔道競技の審判員(日本女性初)

 
 花火師なのか柔道家なのかわからないぐらいすごいが、江戸時代からの伝統を受け継ぐのにふさわしい人であることは間違いないだろう。
 
 もちろん、名門「鍵屋」の宗主が女性であることを不信な目で見た人は多かったはずだ。
 しかし、先代であり現当主の父である天野修は、ただの頑固な職人であるわけではない。
 彼により、1980年代に花火界に画期的な手法をもたらした。
 それが電気点火システムである。
 
 これも、伝統に固執する打上師から強い反発を受けた。なぜ、名門「鍵屋」が電気に頼るのかと。
 しかし、電気点火を用いることで、より花火の表現は高まり、人々にそれは支持された。
 
 そんな鍵屋の伝統を、十五代当主が語っている。
 実に読みごたえのある内容だったので紹介する。
 
宗家花火鍵屋 15代目当主 天野安喜子 氏 (イノベーティブワン)
 
 
 と、いきなり花火の話をしたわけは、先輩と一緒に食べた昼ご飯が、うどんだったからである。
 うどんといっても、コンソメスープに、わかめとうどんを入れたものだから、本式うどんではない。
 
 そんな、うどんスープを食べながら、先輩と話したのは「たぬきそば」についてである。
 あの揚げ玉をどのように食べればいいのか、そもそも、あんなものに意味あるのか、ということを我々は喋っていたのだ。
 
 我々は西日本出身であり、ことあるごとに、関東の食文化をバカにする。
 例えば、ちくわぶ
 どこまで茹でれば完成形なのか、ちくわなのか、ふなのか、さっぱりわからない。正直いって、どこがおいしいのかわからない。
 そんなことを、我々は川崎市のディスカウントショップで語り合うのである。
 
 今回の「たぬきそば」についてもそうだ。ふやけた揚げ玉でもないよりはマシ、という僕に、冷やしたぬきの揚げ玉はまったくもって意味不明、という先輩。
 そして、我々は「きつねうどん」を思い浮かべる。油揚げのついた「きつねうどん」に比べて、「たぬきそば」は何と貧相であることか。
 
 そう熱弁していた僕に、博覧強記な先輩が言った。
「そうそう、花火職人ってお稲荷さん信仰らしいね」
 
 花火職人として有名な「玉屋」と「鍵屋」は、それぞれ、お稲荷さんの狐がくわえている「玉」と「鍵」から採ったものである、とのこと。
 お稲荷さんは、様々な信仰を集めているが、花火職人にとっては、火の神様なのである。
 残念ながら「玉屋」は、失火して、一代で滅んでしまったんだけれども。
 
 そう言われて気になった僕が「たまや」と検索して調べてみると、当然のように、パチンコ店の名前が出てきた。
 こうして、対する「鍵屋」を検索して、調べていくうちに、こんな記事を書いてしまったわけである。
 
 だいたい、先輩と僕はこんな日常を過ごしている。あんまり「聖☆おにいさん」的とはいえないけれども。