登戸ブルース(5) ―ブンガクな会合

 
 先輩(同居人、というより僕の御主人さま)に誘われて、ブンガクな会合に参加することになりました。
 どれぐらい、ブンガクなのかというと。
 
・会費は諭吉オーバー
・講師は芥川賞作家
・会員には文学賞を受賞した新鋭作家も
 
 文芸誌に連載している会員もいるとのこと。文芸誌って、群像とか文學界とかのことですよ。知ってますか? 文学賞の名前でしか知らない人が多そうですが。
 
 このような市民による文学サークルというのは、他にもあるらしいんですが、ほとんどが年輩者ばかりとのこと。
 今や、文芸同人誌の多くは、定年後の老人の楽しみとなっているみたいです。
 たしかに、今の学生が思い描く同人誌なんて、コミックマーケット中心でしょうしね。
 
 ただ、先輩の属するところは、二十代の人たちも多く参加しているみたいです。
 二十代から七十代という幅広い年齢の人が、「ブンガク」の旗のもとに集っているわけです。
 
 と、そんな会合に参加することになりました。先輩は僕のブンガク力を高く評価してくれているのです。
 もちろん、先輩は、このブログで「涼宮ハルヒコの憂鬱」とか連載しているとは知りませんけどね!
 そんな会合で「俺はライトノベルの二次創作書いてるんですよ、えっへん」なんて言おうものなら、冷たい視線を浴びるどころか、斬り刻まれて、東京湾に流されてしまいそうです。
 
 ふりかえってみると、僕はずっとブンガク的なものを避けていた気がします。
 フリーゲームを語ったり、ハルヒ二次創作小説を書いたり、やる夫シリーズを作ったり。
 それらを書くとき、僕はアウトサイダー(部外者)を気取ることが許されていました。とりあえず、ドストエフスキー引用すれば泊がつく、みたいな。
 
 でも、今回の会合は、そんなこと通じません。
 これまでのようにアウトサイダー(部外者)になるわけにはいきません。
 自分のブンガク力と向き合わなければならないわけです。
 
 まあ、あまり気合いを入れて乗りこんだら、学べることも学べませんけどね。
 「この人はすごい!」と感じたいのならば、芸能人など露出の多い人に、ファンの一人として会えばいいのです。
 彼らは「すごい」と思わせるやり方知ってますし、それで飯を食っていますから。
 文章が「すごい!」と思わせることと、第一印象で「すごい!」と思わせることは、全然別の話です。
 
 「頭のいい人」を演じることは、僕にもできないわけじゃないんです。
 ただ、そういう努力をすることを放棄しているだけです。それに変わって、僕は自由な視点を手に入れていますし。
 ヘミングウェイみたいに、王様みたいに徒党を組んで戦場に乗りこんでも、面白い戦場レポが書けるわけじゃないんですよ。彼の若い頃の一兵士だったとき経験を生かした短編小説は面白いんですけどね。
 そうそう、村上春樹は、作家になる前に、新聞勧誘がうっとうしかったので「ぼく、もじがよめません」と頭の悪い大人を気取って追っ払っていたことがあるそうです。頭が悪いと思われたほうが都合が良いときだって、いっぱいあります。
 他人の頭の良さ悪さを計るよりも、僕はそれぞれの人の情熱の方向性が知りたい。その人が、それぞれの24時間を何に捧げているのか、とかね。
 
 わかりやすくいうと、行列で30分並ぶ店と、ガラガラの店でも、本質的なうまさには変わりないってことですよ。
 そりゃ、評判になるには、しかるべき理由がありますし、ガラガラの店にはロクなもんじゃなかったりしますけどね。
 でも、客が多くなればなるほど、味が落ちるっていうのは事実なわけで、行列に並ぶっていうのは、話題性を手に入れるだけで、おいしいものを食べる行為じゃないんですよ。
 行列に並んで、待っているだけで、本当にすばらしいものに出会えるわけではありません。
 
 ブンガクといっても、創造力というのは、どの分野でも同じだと思います。
 自分の創造したヴィジョンを、いかに熟成し、それを他者に届けるか。
 それは小説だろうが、漫画だろうが、音楽だろうが、ゲームだろうが、動画だろうが、特に代わりはないわけで。
 
 物語の表現手段が、文字だけに留まらなくなったのは、良いことだと思います。
 だから、小説を書いている人は、ブンガクという砦に立てこもるのではなく、文章だからこそ描ける物語の魅力というのを、必死になって追究すべきではないかと。
 たとえ、別メディアで展開されて有名になるにしろ、小説の必要性はこの現在でもあると思います。
 
 そんな僕の見解が通用するかどうか、この会合に行って、確かめてみようと思います。
 この会合に刺激されて、僕が創造意欲をかりたてられたら、すごくハッピーなことですけどね。