もはや、ハルヒは「特別」なアニメではなくなった
平野綾のシングルとしては良い曲である「Super Driver」と、「笹の葉ラプソディ」だけを残して、「涼宮ハルヒ」新アニメシリーズは終了するようだ。
「二期」ではなく「あらためて放送」にすぎなかったのならば、なぜ、新OP・EDを用意したのだろう。
一年以上前から、制作側は「涼宮ハルヒの消失」関連の公式イラストを公開してきた。
http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/gallery/index.html
それなのに、今回の新アニメでは、「消失」は先送りされ、見どころのない「エンドレスエイト」を8回にわたって放映した。
こうして、新アニメ一作目「涼宮ハルヒの憂鬱4 笹の葉ラプソディ (第1巻) 限定版 [DVD]」は、大規模な宣伝に関わらず、一期の40%減の売上にとどまっている。
・ハルヒDVD限定版売上枚数
巻数 | 初動 | 2週計 | 累計 | 発売日 |
---|---|---|---|---|
00巻 | 28,729 | 33,892 | 35,176 | 06.06.23 |
01巻 | 30,927 | 34,529 | 36,095 | 06.07.28 |
02巻 | 34,054 | 38,838 | 41,856 | 06.08.25 |
03巻 | 32,017 | 39,169 | 41,260 | 06.09.22 |
04巻 | 34,205 | 38,789 | 40,343 | 06.10.27 |
05巻 | 33,618 | 37,392 | 38,457 | 06.11.22 |
06巻 | 31,859 | **,*** | 43,079 | 06.12.22 |
07巻 | 38,728 | 43,360 | 44,899 | 07.01.26 |
新作 | 21,812 | 25,397 | **,*** | 09.08.28 |
参考程度に、2009/9/7までの他作品の売上を紹介すると、
「けいおん!」ブルーレイ版は、(1)(2)ともに3万枚以上。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」ブルーレイ版は、9万枚近く。
「崖の上のポニョ」DVD版は、80万枚近くの売上である。
ハルヒ新巻の売上が少ないのは、ブルーレイ版発売に備えてだろうか?
いや、ファンというものは、一度そろえたものはすべてそろえないと気がすまないものだ。
限定版DVDを購入してきた熱心なファンですら、半数近くが新作を見放したことに注目すべきである。
ハルヒ新アニメは、以降、四巻にわたって、ほぼ同じ内容の「エンドレスエイト」DVDを発売する予定だ。
果たして、どれだけ売上が落ちるのだろうか。
「けいおん!」を下回るセールスというのが、今の「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品の立ち位置である。
「京都アニメーション」という制作会社の名を、マニア以外にも知らしめた、かつての勢いは、そこにはない。
もはや、ハルヒは「旬」のアニメでも、エポックメイキングな作品でもなくなったのだ。
どうして、ここまで、ハルヒブランドは失墜してしまったのだろうか。
(1) やらなくて良かった、新アニメシリーズ
今回の「あらためて放送」で追加された新アニメは14話。
内訳は次の通りである。
・笹の葉ラプソディ 全1話
・エンドレスエイト 全8話 (ほぼ同じシナリオの繰り返し)
・涼宮ハルヒの溜息 全5話
これは、ファンの予想を裏切るものだった。
原作既読のファンには、シリーズ最高作と評価の高い「涼宮ハルヒの消失」が放映されると確信する根拠があったからだ。
(1)「涼宮ハルヒの消失」という作品は、シリーズにとって大きな分岐点となっている内容で、それ以降では物語が大きく変わる。
(2)「消失」をアニメ化しないのならば、一年目12月までの三つのエピソードしか原作にはない。
(3)その三つのエピソードだけでは、せいぜい6〜8話しか作ることができない。
(4)となれば、「消失」が放送されるのは間違いない
ところが、三つのエピソードだけで、全14話の枠を埋めてしまったのだ。
驚くというよりあきれたというのが、ファンの本音であろう。
エンドレスエイトの8話ループが実験的だと語る人がいるが、なんてことはない、そうしないと放送枠を満たすことができなかったせいだ。
ただの引き延ばし工作であり、つじつまあわせである。
せめて、オリジナルエピソードを用意すれば良かったと思うが、今のハルヒ制作スタッフには、そのような脚本能力はなかったようだ。
「ハルヒ」のイメージを壊さないことだけに神経を費やし、コンテンツをたれ流したのが、今回の新シリーズだった。
そんな作品に、ファンが歓喜するとでも思ったのだろうか。
(2)「涼宮ハルヒの消失」は映画として成功するか?
映画上映をするかはともかく「涼宮ハルヒの消失」は単体作品として公開されることになりそうである。
それ以降のエピソードで、アニメ化に値する作品は少なく、14話の枠を埋めることは不可能だからだ。
しかし、シリーズ最高作と噂される「消失」でも、映画上映という形では成功しないだろうと考えている。
なぜなら、「涼宮ハルヒの消失」という物語は、それだけで独立した内容ではないからだ。
そのタイトルの通り「涼宮ハルヒの消失」は、SOS団の部室で圧倒的存在感を放っていた涼宮ハルヒがいなくなる物語である。
好き勝手に暴れまくって、他のキャラを困らせたハルヒが、「消失」のある部分から、ポツリといなくなるのだ。
その寂寥感は、シリーズを通して見るからこそ効果的なのであって、単体作品として見たところで、たいした感慨をもたらすことはできないだろう。
また、「笹の葉ラプソディ」のとあるイベントがないと、「消失」という物語は進まない。
だから「笹の葉ラプソディ」を見ていることが、視聴者の絶対条件となっている。
そんなことが映画上映作品として許されるのだろうか。
もし、劇場公開するのならば、「笹の葉ラプソディ」の内容を含めた「涼宮ハルヒの消失」として制作するべきであったのだ。
わずか三つのエピソードを14話にわたって放送するという今回のやり方は、多くのファンを失望させただけだった。
その涙ぐましい努力に拍手を送るのは、おひとよしの人だけだろう。
創造性のカケラもない新シリーズは、結果として「ハルヒ」ブームの熱を奪うだけの結果に終わった。
(3)「涼宮ハルヒ」の魔法は溶けた
涼宮ハルヒというキャラクターは本来好き嫌いがわかれてしかるべきである。
孤立するのを恐れず自由気ままにふるまう彼女の生き方は、ほとんどのクラスメイトに理解されないものだった。
しかし、彼女に興味を持ったある男子生徒を視点に、その理不尽さにも彼女なりの理由があることを視聴者は知る。
そして、ハルヒの活躍を見て、みずからの日常の退屈さを打ち砕くような爽快感を抱くのだ。
「涼宮ハルヒの憂鬱」が成功した理由は、キャラクターの思い切りの良さにある。
他人に嫌われても気にしない涼宮ハルヒだったからこそ、従来のアニメ層だけではなく、新規ファンにも輝いて映ったのだ。
物分りのいい万人受けする涼宮ハルヒだったら、その物語は埋没していただろう。
そんなハルヒが活躍する三年ぶりの新アニメは、三つのエピソードを14話に引き延ばした、うすっぺらい内容だった。
「エンドレスエイト」の8回ループを真剣に考察していた人も、そのあと何の関連性のない「涼宮ハルヒの溜息」が放映されたことで、その努力が何ひとつ報われなかったことを知った。
原作を読んでいる人は、「エンドレスエイト」が「消失」と同時期に書かれたものであるから、「射手座の日」と同じく、長門の存在がきわめて強い内容であることを知っている。
「溜息」はシリーズ二冊目で、もっともハルヒが尖がっていた時期の内容だということを知っている。
(残念ながら、小説版「涼宮ハルヒ」シリーズは、時系列に並べて読んで楽しめるほど完成度は高くない。執筆順に読まないと、それぞれのキャラの立ち位置を把握することが難しい)
だから、原作を読まずに新アニメを見た人は、憤りに近い感情を抱いたのではないかと思う。
そんなファン心理を制作スタッフは想像できなかったのだろうか。
私案だが、次のように放映していれば、ハルヒブランドの失墜はなかったと考えている。
1.涼宮ハルヒの憂鬱 I
2.涼宮ハルヒの憂鬱 II
3.涼宮ハルヒの憂鬱 III
4.涼宮ハルヒの憂鬱 IV
5.涼宮ハルヒの憂鬱 V
6.涼宮ハルヒの憂鬱 VI
7.涼宮ハルヒの退屈
8.笹の葉ラプソディ
9.ミステリックサイン
10.孤島症候群(前編)
11.孤島症候群(後編)
12.エンドレスエイト
13.涼宮ハルヒの溜息 I
14.涼宮ハルヒの溜息 II
15.涼宮ハルヒの溜息 III
16.涼宮ハルヒの溜息 IV
17.朝比奈ミクルの冒険 (リメイク)
18.ライブアライブ
19.射手座の日
20.サムデイ イン ザ レイン
21.涼宮ハルヒの消失 I
22.涼宮ハルヒの消失 II
23.涼宮ハルヒの消失 III
24.涼宮ハルヒの消失 IV
25.涼宮ハルヒの消失 V
26.雪山症候群 (前編)
27.雪山症候群 (後編)
28.ひとめぼれLOVER
「溜息」は4話で十分だ。
自主制作映画という体裁をとった「朝比奈ミクルの冒険」は、今回の放送でも終盤はアレンジされていると思う。2006年第一話として放映されたままだと、明らかに浮いた内容になるからだ。
「雪山症候群」と「ひとめぼれLOVER」は長門メインの作品なので、長門色が強い「消失」のエピローグとして視聴者を納得させることができるだろう。
スケジュールの都合上、今回のような中途半端な形でしか、新アニメを始めることができなかったのかもしれない。
だが、それならば、やらない方がマシだった。
「笹の葉ラプソディ」を含めた「涼宮ハルヒの消失」一本にすべてを注ぐべきだったのだ。
今や、シリーズ最高作である「消失」の面白さをも疑問視する声がファンの中で出てきている。
かつて、他人に有無も言わせず、ハルヒを薦めていたファンが、本当にそれに足る内容であるか不安を抱くようになっている。
「なぜ、自分はハルヒが好きなのか?」
そんなことまで、考えなければならなくなったのだ。
それは、ハルヒがもはやメインストリームではなく、マイナー作品に成り下がったことを意味していた。
こうして、ムーブメントは終わった。
熱病にうなされたように、ハルヒと共に踊っていた人は、それを見る冷めた視線に気づいた。
こんなことは、「エンドレスエイト」を8回くりかえすようなバカな真似をしなければ、起こらなかったことだ。
ハルヒの魔法がとけた今、「涼宮ハルヒの消失」が映画上映であれ、特別枠放映であれ、熱心なファン以外に注目されることはあるだろうか。
そして、ここまで引き延ばした「消失」を見たあとで、ほとんどのファンはこんな感嘆の声を上げるだろう。
「やっと、ハルヒから解放される!」と。