コミックマーケット(C76)、台場ガンダム視察

 

◆夏コミ二日目

 
 かつて「ラブクラフト至高」だの「京急が最高(いろんな意味で)」だのいう、SF・鉄道オタクたちによる同人誌即売会だった「コミックマーケット」も、今や三日間で50万人以上が参加する日本最大級のイベントになってしまった。
 
 
 同人誌即売会なんてものは、特定の趣味を持つ人たちが集まり、みずからの本を売ったり、知り合いの手伝いをしたり、同好の本を買ったりと、クリエイター同士の交流が中心だが、コミックマーケットは違う。同人作家にとっては年に二度と稼ぎどきであり、限定グッズを求めて企業ブースにファンは長蛇の列をなす。
 
 なぜ、コミックマーケットは、これほど別格の祭典となったのか。一つはその歴史の長さだろう。蓄積されたノウハウは、スタッフの誘導の手際の良さから見ることができる。
 
 また、コミックマーケットは誰でもタダで入ることができることも理由のひとつ。事前に下調べをしていないと、どこに何があるのかすらわからないほど規模が大きいが、人々が集まるところには何かあると物見遊山で行列に加わる者も少なくないだろう。
 
 それにしても、主催者発表を信じるのならば、一日で十数万人が群がっているのだから大変だ。どこかで暴動が起こっても、すぐに気づくことはないだろう。台場の潮騒公園のガンダムが動き始めて、人ごみを蹴散らしていたとしても、逃げることは、ほぼ不可能である。コミックマーケットについての様々なデマが流布するのも、その現場に居合わせた人が一部にすぎないからだ。会場の東京ビッグサイトに行ったところで、その全容を把握することは、ほぼ不可能だ。
 
 と、そんな夏コミに僕はなぜか行ってきた。理由はデータが誤って消えてから、すっかり書く気がなくなった「フリーRPGをふりかえる」という記事の続きを仕上げるきっかけづくりである。といっても、事前準備もせずに行ってきたので、成果はゼロであった。そんなやる気のない僕の、夏コミ二日目レポートである。
 

◆12:30、待ち時間40分

 
 夏コミは三日間で行われている。わかりやすくまとめると、次のとおり。
 
・一日目(8/14) アニメ・ジャンプ系
・二日目(8/15) ゲーム系(東方など)
・三日目(8/16) 男性向きゲーム・創作系
 
 二日目はゲーム系といっても、ゲームを題材にした同人誌が中心である。オリジナルゲーム作品を探そうとしても、下調べをしていないとどこにあるかすらわからない。
 
 さて、僕が向かったのが12時30分ぐらいである。その時刻だと、この夏の猛暑の下で待つことなく、会場に入れるだろうとたかをくくっていた。しかし、その目論見は甘く、入るのに40分ほど待たされることになった。
 
 炎天下で待つのはつらい。汗をかきやすい人はタオルが必須である。女性は日傘をさしたいだろうが、行列でのそれは推奨できないし、反感を買う。
 
 まわりを見ると、本を読んだり、DSなどのゲームをしたり、携帯をもてあそんだり。僕のように、一人で来ているのは少数派で、グループ内での会話が耳に届く。
 
 僕の後ろでは、エロ会社に就職したオオタさんなる人物が、今では宣伝などの広報にも駆りだされて大変だという話をしている。そのオオタさんがコミックマーケットの企業ブースにいたら話が発展するが、そんなオチはなく、グラフィッカーとして就職したのに、いろんなことをやらされてるオオタさんの大変さを伝えているだけの話であった。
 
 それにしても、女性の割合が多いことに驚く。男6:女4ぐらいではないかと感じた。もはや、コミックマーケットは、オタク野郎の祭典ではなくなっているのだ。
 
 その中には、中学生ぐらいの女の子もいた。しかも、目に届くだけで数グループも。女子中学生が夏コミに行くなんて、日本の将来は真っ暗だと絶望した僕に、こんな会話が聞こえてきた。
 
「ちぃちゃんってさ、自分で行かなくて、かわりに母さんが買いに行ってるんだって」
「うわー、最悪じゃん」
 
 これには僕もビックリである。コミックマーケットは1975年から始まり、セーラームーンが流行した1990年代から女性の参加者が増えたとはいえ、母が娘の同人誌を買うような時代が訪れるとは。
 
 そう考えると、母に買わせるよりは、みずから来た彼女たちを賞賛すべきなのだろうか、と考えてしまった。
 
「かき氷欲しいな」
「むしろ、頭からかぶりてぇ!」
「うんうん」
 
 そんな会話を聞きながら、タオルで汗をぬぐい、はるか遠くに見える東京ビッグサイトを見る。いったい、彼女たちの視線の向こうには何がいるのだろうか。
 
 もちろん、従来のオタク層だって多く、物騒で滑舌の悪い会話だって聞こえてくる。
 
「おいおい、コミケで立ち止まるなよ。切り殺すぞ」
「オウフ!」
 
 ただし、二日目のジャンルのせいか、女子の割合の多さが目についた。しかも、彼女たちのほとんどが真面目に着飾っているのである。
 
 夏コミなんて半パン、ビーサンでいいじゃん、と思うのだが、彼女たちはこの祭典に出会いを求めているのだろう。ネットで知り合った同好の士だとか、すばらしい絵を描く同人作家など、そのような趣味をぞんぶんに語りあえるきっかけを求めているのだ。そこで彼女は立派な女性であると認められたいのだ。その延長線に恋愛があるのかどうかはともかくとして。
 
 

◆吸い寄せられる魂と、疲れきった人々

 
 雪崩のようにゾロゾロと会場である東京ビッグサイトに入り、何の目的もなく東ホールに向かった。
 
 会場には当たり前のようにコスプレした人がいるので、それを見るだけでも楽しめる。隣にヒゲあとの残る女装したおっさんがいても、気にならないのがコミックマーケットである。コスプレ・カップルだって珍しくない。しかし、学校の制服姿としか思えない女子中学生の姿には、さすがに驚いたものだが。
 
 さて、ネット界隈では、児童ポルノ規制法案に対して、活発な意見が交わされている。同人作家の中には「今回は修正が厳しかった」という人もいた。その影響のせいか、会場で見るかぎり、露骨な性的表現はあまり目につかなかった
(あとで調べてみると、二日目は男性向け同人誌のジャンルがなかったためであることに気づいた)
 
 僕には同人誌の修正の基準がよくわからない。昔の漫画は、性器描写は曖昧だったはずだが、今の同人誌は「くぱぁ」とかなりストレートに描いている。そうでないと売れないのだろうが、その歯止めはかけなければならないと思う。特に、男子中高生がこういうのを読んだら、とんでもないことをしでかしそうで怖い。
 
 ただ、今ではネット上にでもセクシャルな広告はあふれている。それを見ないふりをすることになれた少年少女には、コミックマーケットに「乱れた性の祭典」を求めていないのかもしれない。彼女たちは自分の知っているサークルのブースへと一直線に選び、そして、そこで目的の商品を買ったり、いろんな出会いをくりひろげるわけであろう。
 
 
 それにしても、その人の数の多さは想像力を麻痺させる。彼女たち一人ひとりがそれぞれの意思のもとに、この会場に集っているわけだが、その色とりどりの服を文章でどう表現していいものか、考えてみると頭が痛くなった。はっとするような美人の子だっている。そんな彼女たちが、たとえば、東方関係の同人誌を求めて、むらむらと集まっているのだ。
 
 そんな人の波を描写しようと努めるのに疲れて、やがて、人々の魂を思い描くことにした。彼女のたちの魂を震わせるにはどうするのかいいか。そんな考えをすると気分が落ち着いてきた。コミックマーケットという祭典に、そしてその祭典に出展するたちに、まるで磁力のように人々の魂は吸い寄せられて、十数万人もの人がいるのである。
 
 そんなことを考えながら、焼きそばを食べた。屋台で売っているような透明カップ入りのものである。300円。ペヤング焼きそばのほうが、遥かにおいしかった。まあ、値段にけちをつけても仕方ない。
 
 テラスに出ると、買った同人誌をさっそく読んだり、仲間たちと成果を話したりしている。充実した表情よりも、疲れきった表情が多い。眠っている子もいる。
 
 無理もない。コミックマーケットは巨大化しすぎたのだ。それを楽しむのは、大勢の人が集まっているからこそで特別なイベントが行われるせいであり、行列に並ぶのもまた、エンターテイメントなのである。その戦利品は、それぞれの心を満たすことになるだろう。
 
 コミックマーケットは、決して書店のように本を選ぶ楽しさは味わえない。あまりにも騒々しすぎる。同人誌を探すならば、別のイベントに行けばいいし、インターネットのSHOPの見本をのぞいたほうが成果は大きいだろう。ただし、活気がある。気がねなく立ち読みできる。やたらと疲れるが、インターネットで下調べをして、自分の行くべきエリアを絞っておけば、選ぶ楽しさも味わえるかもしれない。
 
 そして、作者の顔が見られるのはいい。メディアに守られて、露出の少ないライトノベル作家に比べれば、みずから商品を売る同人作家に愛着がわくのが当然だろう。
 

◆企業ブースのコンパニオン

 
 コミックマーケットは、ただの同人誌即売会ではなく、企業ブースも設けられている。そこでは、アニメやゲーム制作会社などが、限定グッズを販売したり、新たなコンテンツの紹介をしたりしている。
 
 この企業ブースには、それほど人は密集していない。ネットで話題になっている「なのは」なども、ブースの前に行列ができているのではない。だから、何も買わなければ、それぞれのブースの内容をのんびりと眺めることはできる。
 
 しかし、そんな平穏に見える企業ブースの外では、幾重にもなる行列が渦巻いている。彼らは限定グッズを買うために数時間も並んでいるわけなのだ。
 
 そんな彼らはさておき、企業ブースには、抱き枕の図面など、お尻がはみ出たものが提示されたりして「おいおい、こんなもの」と感じるのだが、そういう突っ込みをするのは僕ぐらいなのだろうか。売る商品はともかく、ブースにそんなものを掲げられると困る。でも、ブログのアフィリエイトだって、相当ひどいものがあるんだけど。18歳うんぬんよりも、知性が疑われると思うんだけどなあ。
 
 しかし、企業ブースの最大の魅力といえば、なんといっても、かわいいコンパニオンのコスプレである。彼女たちは社員ではなく、バイトなので、そのキャラに愛着を持っているわけではない。しかし、そのかわいさの前には、そんなことはどうでもいいのである。
 
 そんな見とれてしまった高校生ぐらいのかわいい子に、ある男性(30代のオタクな男性)がいろいろ話しかけていた。どうやら、そのコスプレしているキャラについて解説いるらしい。女の子のほうは「そうなんですかぁ。よく知ってますねぇ」と受け流しているが、男性マニアはますますヒートアップしていた。それは、あまりにも見苦しかったが、その男を勇者だと思わずにはいられなかった。そう、男はかわいい子に自慢話がしたいのである。そのために、キャバクラなんてものがあり、そこに数万貢ぐ愚かな男性が後をたたないのだ。
 
 もちろん、かわいい子ではなく、女子社員らしき人が、説得力あふれるキャッチーな宣伝をしていることがあるが、残念ながら世の男性は、バイトしているコンパニオンに目を奪われてしまうのである。
 
 ただし、アニメ制作者にとって、自分の美醜は決定的な障害とはならない。キャラクターという媒介手段があれば、女性はみずからの信じる「可愛さ」を男性に訴えることができるのである。
 
 二次元キャラにお金を費やすことはむくわれないのではないか、と言われるが、実際の恋愛のほうがむくわれないことは多い。「この人はありえない」と決め付けた男性に、女性が恋心を抱くことは100%ないわけで、いくらお金と時間を捧げてもどうしようもないからだ。眼中にない男性に告白されても、女は笑うことしかできないし、それで繊細な男のプライドは粉々になってしまうのである。
 
 そんな絶望に比べれば、身を削るように二次元キャラに情熱と金を捧げることは決してむくわれないものではない。アニメや漫画の美少女も、鉄道模型も、その中身はあんまり変わらないのである。夏コミの戦利品は、彼らにとって心の栄養となるのだ。たとえ、それが、女性のブランド品のように見せびらかすものではなく、ただ部屋の一隅に置かれたものだとしても。
 
 そんなことを考えながら企業ブースを出る。残す目的はただ一つ、コスプレ広場である。僕は邪心を高めながら、歩き続けるのだが、なかなかそこにたどり着けない。あれ? コスプレ広場って、また場所変わった?
 
 結局、企業ブースのコンパニオンのコスプレを見て満足したということで、会場の東京ビッグサイトを後にした。しかし、そのまま帰るのではない。台場ガンダムを見に行くのである。
 

◆「デカい」よりも「カッコいい」台場ガンダムの美学

 
 コミックマーケットの舞台である有明から、ガンダムのいる台場の潮騒公園は歩いて二十分ぐらいはかかる。そのために、コミックマーケットに来たのに、ガンダムを見ないで帰る人も少なくないだろう。しかし、台場ガンダムは評判になってるだけあり、様々な想像力を刺激する存在感がある。
 
 さて、有明から台場に歩くと、通行人の印象が変わってくる。アニメ紙袋を持つ人たちの数は減り、家族連れが多くなる。ただし、数年前に行ったときに感じていた断絶感はなくなっていた。今年の夏コミはおそらく、過去最大の動員数となるだろう。日々、進化する夏コミには、もはや、オタクの祭典だった閉鎖性はなくなっている。
 
 ところで、台場に行くと、十数メートルのガンダムはすぐに目に付くと思ったのだが、そんなことはなかった。公園の樹木にさえぎられて、どこにあるのかすらわからない。整理員の指示にしたがって順路を進んでいくと、やがて、それは姿をあらわす。鎌倉の大仏を見たときの記憶がよみがえってくるようだった。
 
 まず、台場ガンダムを見た最初の印象は、「でかい」よりも「かっこいい」である。
 
 何度もプラモデルになっているだけあり、その安定感はずっしりときた。動き出してもおかしくないぐらいのリアルさがある。
 
 しかし、そこに「圧迫感」はなかった。もし、台場ガンダムが動き出しても、僕には逃げられる自信があった。
 
 台場ガンダムと僕は、人間とハエのような関係である。人間には、殺虫剤やハエ叩きという道具なくして、ハエをやっつけるのは難しい。それと同じように人型ロボットには隙があるのだ。
 
 台場ガンダムに比べれば、不良グループのほうがよほど怖い。彼らに目をつけられると、逃げ切れる自信がない。しかし、台場ガンダムの巨大さは、それゆえに僕に余裕をもたらした。
 
 だから、このガンダムよりも数倍大きいビグ・ザムの量産化を夢見たドズル・ザビは愚かであったとつくづく思う。ジオンには資源が乏しいのに、なんでビグ・ザムみたいなものを作る必要があったのだろう。その点、連邦はジムやボールを量産化したのは賢明である。連邦は勝つべくして勝ったのだ。
 
 台場ガンダムの会場は、様々な角度からみられるように、広いスペースがとられている。僕はいろんな角度で見ながら、ガンダムが襲ってきたら、どうすべきか考えていた。僕にはガンダムについてのある程度の知識があるから、それが敵意をもったものかどうかは動きで判断できるだろう。それから逃げ出しても何とかなる。いや、遠くへ逃げ出すよりも、踏まれないように注意しながら、その足元にいたほうが助かるような気がする。
 
 ガンダムにとっても、ビルを破壊するよりも、人ひとりを倒すほうが、よほどか困難だろう。
 
 しかし、こんなガンダムのようなロボット(モビルスーツ)同士のバトル戦が繰り広げられるのは楽しいと思う。ロボリンピックというか、F1のようなナショナリズムのこい企業同士の戦いというか、そういうのが戦争の代わりになってくれれば、どれだけいいことか。そこにはテロリズムのような残虐性や凄惨さはない。
 
 以前、僕は東京タワーは我々を見守ってくれる存在と書いたが、このガンダムはどうだろうか? 台場の守護者となるにはガンダムはスマートすぎると思う。だから、その美学をフルスケールによって存分に楽しむことが、台場ガンダムの鑑賞方法といえるだろう。
 
 今回のガンダム企画は放送30周年記念とのことだ。かといって、台場ガンダムを見るのは、30代以上のガンダムマニア男性ばかりではない。家族連れが中心で、母娘の二人で互いに写真を撮ったりしている。ガンダムというアニメの内容を知らずとも、この台場ガンダムは楽しめるのだ。
 
 だいたい、スペースノイドとかニュータイプとか、そんなガンダムの思想に共感している人は少数派だと思う。シャアはカッコいいと思うが、政治家としては話にならないほどお粗末さだ。そんなガンダムが、このように老若男女関係なく(行けばわかる。本当にいろんな人がいる)愛されているのは、やはり、そのロボットにこめられた美意識と、それをフルスケールで再現できたほどのリアルさだと思う。
 
 物語を作るうえで、もっとも大切なのは、思想よりも、読者のリアリティを刺激させる描写なのだなあ、と台場ガンダムを見ながら思った。見た人に想像力を喚起させることが、創作のもっとも大切な鍵なのだ。
 

◆脱出

 
 4時になったので帰ることにした。夏コミ二日目は5時に終了する。そこから帰るとなると悲惨な事態になることは言うまでもない。
 
 しかし、そうでなくても、有明や台場から脱出することは難しいのだ。交通手段の代表格は「ゆりかもめ」と「りんかい線」だが、ゆりかもめは四両編成だし、りんかい線は10分に一本程度しか出ない。
 
 ゆりかもめ台場駅には、フジテレビ本社の前まで行列ができていた。乗るまでに30分以上かかりそうだ。そのため、りんかい線東京テレポート駅から帰ることにした。
 
 駅のホームでは「今日は有明で大きなイベントを行っているため、電車が大変こみあっております。後部車両には若干の余裕がありますが、乗り込めるとはかぎりませんのでご了承ください」とくりかえしアナウンスされる。そこまでいうのならば増発させろ、と思った。別方向の新木場行きのガラガラの電車に乗って遠回りするのもいいと考えた。
 
 だが、たどり着いた電車の中はまだまだ余裕があった。井の頭線小田急線のラッシュに比べれば、全然たいしたことがない。リュックや荷物などで満員のように見えるが、人間その気になれば、いくらでも詰めることができるのだ。
 
 それにしても、りんかい線は運賃が高い。東京テレポート駅から大崎駅までで320円もかかる。大崎駅や大井町駅で、山手線や京浜東北線に乗り換えれば、数分単位で電車は来るので、ストレスなく帰ることができる。
 
 はっきりいって、恵比寿に住もうが、大宮に住もうが、たいして問題がない。有明や台場から脱出するのに骨が折れるのだ。
 
 こうして、何の目的もなく、思いつきで始まった夏コミ二日目と台場ガンダム見学が終わった。明日は行きたいサークルがあるので、リベンジを果たしたいと思う。常連さんからすれば、僕のような物見遊山は、うっとうしいと思われているかもしれないけれど。