芥川龍之介を60年代ロックにたとえると ―破滅的な美しさ

 
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51301901.html
 
 上記エントリの、次の発言に大いに突っ込ませてもらう。
 

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/07/28(火) 13:06:08.55 id:udlFttO/0
夏目漱石ビートルズ
谷崎潤一郎ストーンズ
芥川龍之介ピンクフロイド
太宰治=ドアーズ

 
 夏目漱石ビートルズっていうのは、わからないでもない。日本文学における、手塚治虫のような存在ではないかとも思っている。
 
 「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」「三四郎」と、初期の作品群は、それぞれ日本語における小説のあり方を追求した、いずれも創作動機が異なる作品だ。そして、晩年の「こころ」では、書簡形式のわかりやすい文体で、心象描写の表現に成功した。言うまでもなく、日本を代表する近代作家の一人である。
 
 しかし、芥川龍之介ピンクフロイドっていうのは、見当ちがいだと思うのだ。
 
 ピンクフロイドといえば、20分を超える楽曲「エコーズ」から、アルバムの可能性を追求してきたミュージシャンである。二枚組アルバムで世界でもっとも売れたのは、ピンクフロイドの「ザ・ウォール」である。
 長編を書く体力がなかった芥川を、そんなピンクフロイドにたとえるとは、何か間違っているのではないか。
 
 たしかに、初期のピンクフロイドには、シド・バレットという才能あふれるリーダーがいた。彼はドラッグで身を滅ぼし、やがてメンバーから脱退してしまう。そのシド・バレットのことを言っているのかもしれないが、世間のいうピンク・フロイドは、重厚なアルバムのアーティストというイメージであろう。
 

 個人的な話をしよう。大学時代、芥川にハマった時期があった。「侏儒の言葉」とか「或る阿呆の一生」とか。でも、芥川が「人生は一行のボードレールにも若(し)かない」と絶望する意味がわからなかった。ボードレールの「悪の華」は近代詩集の傑作だろうが、人生がその一行にも及ばないというのは頭がおかしいと思う。もともと詩ってそういうものじゃないし、レトリックで世界は変えられない。
 
 芥川は詩人になりそこねた作家だった。だから「詩と真実と」というゲーテの自伝のタイトルに憧れて、そんなものを書こうとしたが失敗し、それは遺作「或る阿呆の一生」となった。でも、「歯車」にしろ「或る阿呆の一生」にしろ、洗練化されすぎているので、狂気を描き出すことには成功していない。恐怖を読者に追体験させることに失敗している。ここらへんの美意識が、芥川の失敗したところだと思うんだけど。明治知識人の限界っていうか。
 
 そんなわけで、芥川は多くの幅広い短編を遺しているけど、やはり「地獄変」に代表されるような「芸術至上主義」というのが、彼の思想であったと思うのだ。では、それに近い60年代ロックのミュージシャンは誰かというと、これはもう、ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンしか思い浮かばない。
 
 ビーチ・ボーイズといえば「サーフィンUSA」みたいな能天気な歌をうたっている人たちと考えてるかもしれないが、そのバンド名は会社に勝手につけられたものだし、曲のほとんどを書いたブライアン・ウィルソンはサーフィンができなかった。
 
 だんだん、アーティストの自主性が認められてくると、ブライアンはスタジオにこもり、ビーチもサーフィンもない曲を作り続けた。
 
 そのなかでもっとも知られているエピソードが未完に終わったアルバム「スマイル」。ビートルズへの対抗意識を燃やしていたブライアンは、トータル・アルバムの最高傑作をつくろうと「スマイル」録音に夢中になった。だが、彼が本気になればなるほど、曲は分解し、録音された素材は積み上げられた。やがて、ブライアンの精神は破綻し、「スマイル」の制作は放棄された。
 
 そのフィナーレを飾るとされていた曲が「サーフズ・アップ」。破滅的な美しさを持つ一曲である。
 

 
 気の狂う寸前の天才が作ったと紹介されても納得するしかない楽曲だ。
 
 結局、「スマイル」は、2005年にブライアンのソロという形で再現された。しかし、そこにはブライアンの狂気のハイ・トーンはもう聴けなかった。
 
 
 ブライアンの曲の中でよく知られるものが「God Only Knows」。ポール・マッカートニーが「世界で一番美しい曲」と評した作品だ。
 

 
 キリスト教文化圏にない我々からすれば、この「God」を「神」と置きかえても理解できないと思う。「絶対者のみぞ知る」ということは、つまり「人間の我々にはどうしようもできない」ということだ。
 
 この曲はラブソングである。そして、二人の関係が「God Only Knows」であると歌われる。これはどういう意味なのか。あくまでも推測だが、この当時、ブライアンは妻の妹と浮気していた。義妹との恋愛は決して許されるものではない。そんな許されざるものに恋をしてしまった想いが、この曲にたくされているのではないか。
 
 
 ブライアンは「ペット・サウンズ」という偉大なアルバムを遺しているが、その曲のほとんどは三分以内だった。こういうところが、芥川に似ている。恋愛のだらしなさも芥川っぽい。
 
 
 芥川の「或る阿呆の一生」では、「ダブル・プラトニック・スーサイド」とささやくシーンがすごく好きで、大学時代にそんな恋愛に憧れていた時期もある。僕にとって、芥川の小説には、そんな大学生だった頃の書生じみたイメージがつまっている。今、読んだら、違う感情を抱くかもしれないけれど。
 
 
【リンク】
 
青空文庫― 芥川龍之介
 
 芥川の作品は著作権が切れているので、ネット上でほとんどの作品は読める。
 お奨めは「トロッコ」と「戯作三昧」かな。
 あと「西方の人」はかなり笑える。おまえ、どんだけ性格ゆがんでんだよ、と突っ込みながら読むといい。